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 本は私の人生の友・・・

ほぼ日刊イトイ新聞(3月6日)より

2024年08月18日 | Weblog

 ある時期から、よく聞くようになったことばに
 「逃げてもいいんだよ」がある。
 それまでは、「逃げるな」「逃げちゃいけない」だった。
 なにからも逃げないですべてを正面から受け止めていたら、
 ふつうの人間ならこなごなになってしまうだろう。
 「逃げてもいいんだよ」が言われるようになって、
 「そうか」と気がついて救われた人はたくさんいるだろう。

 思えば、ぼく自身も「逃げたい」という場面にいて、
 「逃げるな」と「逃げろ」の間で、
 揺れ動いたことは何度かあったはずだ。
 はずだ、という言い方をしているのは、
 そういう場面では、ぼくは人に助言を求めることもなく、
 そのときの全力でその場を離れてしまったからだ。
 それはもう、身体的な反射に近いものだったと思う。
 「これは、ここにいちゃいけない」と本気で感じることは、
 おそらくだれにもあるのではないだろうか。
 「でも、いなきゃいけない」という理由も考えるだろう。
 「逃げても行く場所がない」という不安もあるだろう。

「これは、ここにいちゃいけない」ということは、
 ぼくらも弱気哺乳類の末裔なのだから、
 ほんとうはわかって感じているのではないか。
 信号が点滅するように、なにかブザーが鳴っているように。
 そういうときには「いなきゃいけない」だとか、
 「行く場所がない」とか考えているだけで危ないと思う。
 「逃げてもいいとかわるいとか」選ぶようなものじゃない。
 火事になって燃えている部屋で「逃げてもいいか」なんて、
 言ってる場合じゃないだろう。
 どこのだれに、なにを言われてもいいのだ。
 いつのまにか全力で逃げていたということでいい。
 罪でも、罰でも、不幸でも、不運でも来ればいい、と、
 それくらいの無我夢中で逃げるなら、怖いものだってない。

 「逃げてもいいんだよ」ということばがあることは、
 とてもありがたいことでもあるのだけれど、
 そういうときはもう、意味でも判断なんかでもなく、
 掛け声としての「逃げろっ」でいいと思うんだ。
 だってね、危ないから逃げるのだから、
 落ち着いて考えてごらんなんて聞いてられないよね。

 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
 あえて思い切りよく言ったんだけど、根本的なことだと思う。

 

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