巨人戦スポーツ解説

プロ野球の巨人戦の解説です。

2017年1月13日。6. <坂本龍馬>「新国家」専心 暗殺5日前の書簡発見

2017-01-13 16:16:23 | Weblog
      2017年1月13日
#為替、114.78円。114.98円。114.87円。ユーロ、121.75円。122.02円。121.99円。
#ダウ、19891.00ドル。-63.28ドル。ナスダック5547.48。―6.16。
#前場、19233.89円。+99.19円。後場、19287.28円。-152.58円。
日本のお寺
栄山寺(えいざんじ)(奈良県五條市)1/13済
栄山寺(えいさんじ)は、奈良県五條市にある真言宗豊山派の寺院。藤原武智麻呂により創建された。山号は学晶山(がくしょうさん)。本尊は薬師如来。奈良時代の建築である八角堂(国宝)があることで知られる。
歴史[編集]
現代の五條市にあたる地域は古代には阿陀郷と呼ばれた。「阿陀」の地名は『万葉集』にも見え、式内社(『延喜式神名帳』に記載された神社)の阿陀比売神社(あだひめじんじゃ)があるなど早くから開けた地域であったと思われる。
栄山寺は古くは前山寺(さきやまでら)と呼ばれ、藤原不比等の長子である武智麻呂が養老3年(719年)に創建したと伝わる。その後、武智麻呂を祖とする藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで大いに栄えた。南北朝時代には南朝の後村上・長慶・後亀山天皇の行在所が置かれていた。そのため「栄山寺行宮跡」として国の史跡に指定されている。

本堂と石灯籠(重文)および「栄山寺行宮跡」の史跡を示す石柱
現存する八角堂は、藤原武智麻呂の没後、子の藤原仲麻呂が父の菩提を弔うために建立したと伝える。武智麻呂の墓は当初は佐保山(奈良市街地北部の丘陵地)にあったが、天平宝字4年(760年)、栄山寺北側の山上に改葬された。八角堂の建立時期はこの年から仲麻呂の没した天平宝字8年(764年)までの5年間に絞られる。正倉院文書に天平宝字7年(763年)12月20日付けの「造円堂所牒」(ぞうえんどうしょちょう)という文書があり、この「円堂」は栄山寺八角堂を指すものと考証されている。
栄山寺は役小角の修行地とも伝えられ修験道にも関係があったが戦国時代末期には八角堂を除く堂坊を焼失した。その後、本堂、阿弥陀堂、塔ノ堂が再建され、さらに塔頭六宇が再建された。
寺は元来は興福寺の末寺であったが江戸時代初期に一時無住寺となり、その後泉涌寺別院雲龍院(京都市東山区)の末寺となり、さらに護国寺(東京都文京区)の末寺となった。現在では塔頭も梅室院のみが残っている。

スポーツ、

1. 広島菊池「ゲッツー増える」危険スライディング禁止
日刊スポーツ 1/12(木) 20:57配信

ボール回しをする広島菊池。左は庄司(撮影・池本泰尚)
 広島菊池涼介内野手(26)が12日、静岡市内で行う自主トレを公開した。アップの後はキャッチボールとノック、打撃練習で汗を流した。

【写真】囲み取材に応じる広島菊池

 かねての目標に「補殺記録更新」を掲げている菊池。11日の日本野球規則委員会で、併殺を阻止するための危険なスライディングを防ぐ規定が公認野球規則に追加されることが決まったことを受け「二塁から一塁への送球で怖さがなくなる。各チーム今年はゲッツーが増えるんじゃないですかね」と話した。

 菊池は「1軍の試合に出たての頃」に併殺崩しの“餌食”になったこともある。当時守備走塁担当だった石井琢朗コーチと懸命に練習。「1、2年目は削られてケガもした。琢朗さんとずっと避ける練習をやりました。僕は避けられるので、そこまで影響はないのかなと思う。でも怖さはなくなるし送球が安定すると思う」と語った。

【関連記事】
広島菊池、初のWBCへハイペース調整「楽しみ」
大谷、筒香らWBC侍メンバー18人を発表/一覧
広島菊池1億4500万 チーム日本人最高年俸に
広島新井、黒田氏とのV抱擁「何も話していません」
ゲッツー 、 スライディング 、 菊池涼介 を調べる

2. 巨人の補強が一番も「表があれば裏もある」/西本聖
日刊スポーツ 1/13(金) 10:43配信

13年、日本シリーズで巨人と対戦する楽天時代のマギー
 キャンプインを前にFA、トレード、新外国人獲得などプロ野球12球団の補強がほぼ完了した。野球評論家の西本聖氏に今オフの補強について話を聞いた。

【写真】12球団補強選手一覧

 -FA選手を3人も獲得するなど巨人の大補強が目立った

 西本氏 巨人が一番。スキの無い補強をしたと思う。これで優勝できなきゃどうするの? というくらい選手を獲った。ただ何事も表があれば裏もある。良い面ばかりではないということ。メリットは故障者が出ても大丈夫。逆にデメリットは、ポジションは1つしかない。選手は口には出さないが間違いなくやる気がそがれる。元楽天のマギーを獲った。どこを守るの? 一塁には阿部、三塁には村田がいる。3年目の岡本なんてどう思っているのかな? 若い選手の芽を摘んでしまう。新たに選手を獲るということは、ダメだってレッテルを貼っているのと一緒だと思う。

 -投手陣ではFAで山口俊、森福、トレードで日本ハムから吉川光、新外国人でカミネロ(29=マリナーズ)を獲得した

 西本氏 弱点を補うのが補強だが、本当の補強とは「選手を育てる」ことだと思う。僕もドラフト外から入って巨人に育てられたと思っている。高木だって宮国だって10勝する力があるのに伸び悩んでいる。新しい選手を獲ることも必要だが、育てることもしっかり考えていかないと。選手を育てるコーチの補強も大事だと思う。

 -近年、外国人選手の入れ替えが非常に激しい

 西本氏 外国人というのはやってみないと分からない、投げてみないと分からない。しかも良い選手というのはまず日本には来ない。何かしら欠点を持った選手が来るのに1年以内に結果が出ないとすぐにクビにする。1年で結果が出るわけがない。でも指導者さえしっかりしていれば2年目から結果を出すことだってあるはず。数打ちゃ当たるかもしれないが、裏を返せば育てられませんということ。

 -西本さんもコーチ時代に外国人投手を指導した

 西本氏 失敗もあるけど成功した例もある。ロッテではマーフィー。カーブの使い方を教えたらシーズン途中から急に勝てるようになって12勝を挙げた。グライシンガーもそう。ロッテ移籍後の12年、最初は勝てていたのが急に勝てなくなった。「どうしたら勝てますか、教えてください」と言ってきたのでそれまでのチェンジアップとカットボールに加えてカーブの使い方、ボール球の使い方を教えた。12勝を挙げて復活してくれた。オリックスではディクソン。勝てなくなってスタッフ会議で「2軍に落とす」となったが「待ってください」と言って1軍に残した。プレートの踏み方やスローカーブを教えた。元々低めにしっかり投げ込める投手。長打を打たれることが少ないし、悪いところをしっかり把握して直せば結果を残す選手だった。

 -最後にトレードについて。今オフ成立したのは2件。巨人大田、公文と日本ハム吉川、石川慎の2対2のトレードが目立つ程度だった。西本さんも巨人から中日(中尾捕手が巨人へ)に移籍するなどトレードを経験している

 西本氏 トレードというのは新外国人の補強と違い、選手の能力が分かっている。だから計算もできるはずだし有効な手段。僕も巨人が「捕手が欲しい」ということで交換トレードで移籍した。お互いがいい形を作れるはずだし、選手を生かす意味でももっと活発になっていいと思う。

【関連記事】
巨人陽岱鋼、阪神糸井他/12球団補強選手一覧
張本勲氏「一番は陽岱鋼」巨人の大補強を解説
「巨人は余分な金をかけたかもしれんし」/森監督
ラミレス監督「少しとりすぎ」巨人FA補強くぎ刺す
12球団 、 野球評論家 、 レッテル を調べる

3. 小林誠司には元木大介の匂いがする!?なぜ阿部は彼に坊主頭を命じたのか。
Number Web 1/13(金) 11:31配信

監督2期目、大型補強という条件で、高橋監督には優勝への期待がより強くかかっている。土下座をしてまで阿部にキャンプでの指導を仰いだという小林。 photograph by Hideki Sugiyama
 「理想はあいつをレギュラーで使わなくてもいいチームを作ることだ」――巨人の長嶋茂雄監督(現終身名誉監督)からこう言われ続けた選手がいた。

 1990年代から2000年代にかけて活躍した元木大介である。

 上宮高校では甲子園に3度の出場を果たし、特に3年夏の大会では1試合2本塁打を放つなど大活躍。その甘いマスクとともに一躍、甲子園のスターとなった。

 その元木が一浪の末に念願の巨人入りを果たしたのが、1991年のことだった。2年目の'92年には一軍昇格を果たし、長嶋が監督となった'93年には内野ならどこでもこなすユーティリティープレーヤーとして一軍に欠かせない存在へと成長した。そうして'97年に二塁、遊撃、三塁の3つのポジションをこなしながら101試合に出場すると、6年連続で100試合以上に先発。その間も内野の全ポジション('99年から3年間は外野も兼任)をこなし、定位置のないレギュラー選手としてチームを支えたわけである。
長所がそのまま短所に繋がってしまう元木の性格。
 長嶋は元木のことを「クセ者」と呼び可愛がったが、その反面、元木のできるが故に見切ってしまうプレーを再三、嘆くこともあった。

 何せ高校時代に甲子園大会で内野への平凡なフライを打ち上げて相手がそれを落球。ところが全力疾走を怠ってアウトになるという失態を演じて、当時の山上烈監督から叱責される姿が全国中継された選手である。野球頭が良く、とにかく相手の心理を読み、配球やプレーを予測する力に長けていた。それがプラスに出れば頭脳的なプレーと称されたが、その反面で先を見切って無駄なことは極力やらないことが“怠慢プレー”と揶揄されることもしばしばだった。

 そうして長嶋が嘆くように発したのが、冒頭の言葉だったわけである。

 ただ、元木の凄いところは、こうして監督がライバルをあてがっても、必ず最後は使わなければならないように仕向けるところなのだ。

 困ったら元木がいる。

 だから勝つには欠かせぬ選手だった。

図らずしもキーマンになってしまう……小林誠司。
 30億円補強が話題となった今季の巨人。

 おそらく今の理想からすれば、この選手にとって代わるレギュラーが出てくることが理想かもしれないが、そうはいかずにキーマンとなってしまう元木のような選手がいる。

 それが捕手の小林誠司である。

 プロ4年目。

 昨年は阿部慎之助の故障離脱もあり開幕からスタメン出場すると、その後も高橋由伸監督の方針でレギュラー捕手として起用され続けた。

 6月に肩の骨折で戦線離脱するアクシデントはあったが、それでも129試合に出場して12球団の捕手でただ1人、規定打席に到達。盗塁阻止率3割5分6厘はリーグトップで、捕手として成長の跡を残したシーズンとなった。

 ところが周囲の評価は、なぜか物足りなさに溢れている。
侍ジャパンの強化試合で露呈した、小林の弱点。
 結果的にはベストナインの捕手部門は優勝した広島の石原慶幸に奪われ、何より捕手として改めて不評を買ってしまったのが、オフの侍ジャパンの強化試合でのプレーだった。

 オランダとの試合で、バッテリーを組んだソフトバンクの千賀滉大が慣れないメジャー球に悪戦苦闘。武器のおばけフォークでワンバウンドを連発したが、そのボールを3度も逸らして暴投にしてしまった。

 このキャッチングに、テレビ中継で解説していた元ヤクルトの古田敦也さんが呆れを超えて、ちょっと怒気をも含んだコメントを発していたほどだった。

 「気配りができない」「キャッチングが雑」――実は巨人でも入団以来、ことあるごとに首脳陣からこう指摘されてきた。ただ昨年1年間、レギュラーとして出場することで、本人もそれなりの自覚を持ってプレーを続けてきた。投手陣ともコミュニケーションをとり、リード面での成長を認める声も聞こえてきた。

 その矢先だっただけに、残念といえば残念な結果だったのである。
「巨人が勝つためには小林が一人前にならないと」
 ちょっと気を緩めると、そういうスキを見せてしまうところも、小林の甘さという声もある。

 そこを見逃さなかったのが、チームリーダーの阿部だった。

 「巨人が勝つためには、こいつがきちっとやって一人前に成長してくれなければダメだ」

 こう語って年明けからのグアムでの自主トレを小林とマンツーマンで敢行。その参加条件が頭を丸めて、坊主で参加することだったのは単なるウケ狙いだけではない。

 「バリカン持ってこい。サラサラヘアを気にしている。あれはキャッチャー像じゃない」

 阿部も入団以来ずっと坊主頭で通してきている。かつてダイエーやシアトル・マリナーズで活躍した城島健司もスポーツ刈りだった。

 共通するのは「(マスクを何度も脱着して帽子を被り直す)キャッチャーをやるのには一番、いい髪型だから」(城島)ということだ。

阿部の20年間の捕手人生を伝えるために。
 実は坊主でもスポーツ刈りでも、サラサラヘアでも、この問いかけの本質は髪型の問題ではない。

 この自主トレは阿部の持つ捕手としてのノウハウを1から教え込むことが目的だ。ただ、その前に小林に必要なのは、そういう技術ではなく、まず野球との向き合い方だった。

 野球を一番に考え、捕手というポジションを最優先で考えて、自分の全生活を決める覚悟を持つこと。

 阿部はまずそのことを教えたかったのである。

 そうしてグアムに乗り込んだ自主トレでは捕手としてのキャッチング、フットワークなど技術面から20年間の捕手生活を詰め込んだ阿部ノートを教科書に、連日連夜の野球談義と阿部先生による授業は続いているという。

 丸坊主で参加した小林が、そこで何を感じるか、だ。
宇佐見真吾をライバルとして……監督の思惑。
 「小林だって1年間、やったからといってレギュラーというわけではない」

 今季の構想を取材したときに高橋監督は小林に対して改めて、こう厳しい声を投げかけていた。どうしても殻を破りきれない正捕手候補へのもの足りなさ、不満は隠しきれない様子だった。

 だからこそ秋季キャンプでは同じように強肩が売り物で2年目の宇佐見真吾をライバルに指名して尻に火をつけてもいる。

 もし小林を正捕手から追い落とすような存在が現れれば、それは巨人にとって理想かもしれない。ただ、現実は今年も小林が正捕手の第1候補であり、指揮官が望む、望まないにかかわらず、チーム浮沈のカギを握る選手であるのは紛れもない事実なのだ。

 巨人にとっての本当の理想は……小林が正捕手として誰もが認める存在に成長することなのである。
(「プロ野球亭日乗」鷲田康 = 文)

【関連記事】
「戦力不足」だった高橋巨人1年目。勝つしかない覚悟と、世代交代と。
なぜラミレス監督は嶺井を使ったか。DeNAと巨人の明暗は、捕手起用の差?
復帰は捕手か、それとも一塁手か。阿部慎之助の選手生命を懸けた決断。
巨人・小林誠司と「スターの宿命」。逃したチャンスが“追いかけてくる”!?
世代交代とは球団の顔が変わること。小林誠司と中村奨吾、2つの戦い。

♯、今年のVのカギは小林です。
リード、キャッチング、バッテングは、二軍レベル??
使えるのは強肩のみ!。澤村、菅野の低迷は小林の馬鹿なリードの結果です。

4. なぜラミレス監督は嶺井を使ったか。DeNAと巨人の明暗は、捕手起用の差?

 負ければ全てが終わるこの土壇場で、DeNAのアレックス・ラミレス監督は、なぜ第3捕手の嶺井博希を使ったのか?
 クライマックスシリーズ、ファーストステージ第3戦。2位の巨人に0.5勝のアドバンテージがあり、3位進出のDeNAは勝つことでしかファイナル進出の道はない。そんな状況の中、3-3の同点で迎えた8回のDeNAの攻撃だった。
 この回先頭の4番・筒香嘉智の内野安打から無死一、二塁のチャンスを作ったが、6番の倉本寿彦の投ゴロ併殺で2死二塁と状況は変わった。巨人のマウンドは左腕の山口鉄也。ここでラミレス監督は代打の1番手に後藤ゴメス武敏内野手を送ったが、巨人ベンチは当然塁を埋めるために歩かせて、一、二塁となった。残る右の代打には前日に先発出場した白崎浩之もいる。だが、ここで指揮官が指名したのが嶺井だった。
嶺井起用にいたる、練習での振りとリードの違い。
 今季レギュラーシーズンでの出場はわずか11試合で、放った安打は5本。しかも2番手捕手に高城俊人がいるため3番手の嶺井は6月15日に一軍初昇格して7月14日にファーム落ちすると、シーズン終了間際の9月28日に再昇格するまで二軍暮らしが続いていた。
 CSでシーズンとは違い捕手3人制となって、巡ってきた晴れ舞台である。
「試合前の練習からバットが振れていた」
 ラミレス監督は言う。
「だから早い段階から、(代打で)使うので準備をしておくように伝えていた」
 実際にお呼びがかかったのは終盤の8回だったが、もちろん準備は整っていた。そして、このとき指揮官が嶺井を指名したもう1つの理由は、この打席だけではなく、延長を想定した守備があったからだったという。
「高城は(先発した)戸柱と似たような配球になる。嶺井は2人とは全く違うリードをしてくれると思った」
 これがこの土壇場で嶺井を使った最大の根拠だったのだ。
ラミレス監督の深謀遠慮でファイナルステージへ。
 8回の打席は二塁へのフライに倒れて、結果を残せなかった。ただ、指揮官にとってこれはある意味、想定内のことだった。その裏からマスクを被り、リリーフ陣を引っ張って巨人に決勝点を許さない。
 それが嶺井を使った狙いだったのだ。
 延長11回に回ってきた2度目の打席で放った、歓喜の左翼線決勝打。これは指揮官も想像していた訳ではなかった。ただ、負ければ終わりの土壇場の試合、しかも8回のあの土壇場の場面で嶺井を使う根拠は確実にあった。
 だからこの結末も……必然だったということでもある。
 同じ投手陣でも、捕手のリードによって全く違う顔になることがある。捕手を替えることで、投手の違う顔を引き出そうとしたラミレス監督の深謀遠慮で、DeNAはファイナルステージへと駒を進めることになった。
巨人は課題の捕手問題がCSでも出てしまった。
 それでは、敗れた巨人はどうだったのか?
 敗因は様々ある。ただ、その中の1つとして、改めて捕手・小林誠司の課題が浮き彫りになったシリーズだったのも確かである。
 今年の巨人で最も成長した野手を挙げるとすれば、この小林ではないだろうか。
「捕手を固定すること」――。
 開幕前にチームの課題の1つをこう語っていた高橋由伸監督も、開幕直前の阿部慎之助の故障を受け、肚を据えて小林の育成に着手した。
 その起用に応え、小林自身も課題だったリード面で投手陣の信頼を得られるようになり、成長の足跡を残したシーズンでもあった。
 ただ、ミスを許されない短期決戦で、改めて小林が克服しなければならない課題がクローズアップされてしまった。

投手と配球の意図が共有できていなかった場面が。
 シリーズ開幕前のミーティングで徹底したのが、シーズン中に合わせて19本塁打を浴びている2番・梶谷隆幸、3番のホセ・ロペス、4番・筒香と並ぶDeNAの主軸打者への対策だ。
 ところが蓋を開けてみるとこの3人にシリーズ4本塁打を浴び、特に第1戦では3回に梶谷に同点弾を浴びると、1点リードの6回には最も警戒していた筒香に逆転2ランを浴びた。
 ここが小林の責任が問われるところだった。
 場面は6回2死一塁。カウントは3ボール1ストライク。小林本人が「歩かせてもいいと思った」場面で、マウンドのマイルズ・マイコラス投手は「自分は攻めるつもりだった」と全く逆のことを考えていた。配球への意図を共有できないままに、中途半端な外角へのチェンジアップを要求した。それが甘く入って痛打されている。
「徹底すべきところは徹底すべき場面。シーズン中と同じことになってしまった」
 試合後に振り返ったのはヘッドコーチの村田真一だったが、シーズン中から指摘されていた配球の詰めの甘さ、投手とのコミュニケーション不足が勝負どころで出てしまったわけである。
短期決戦が捕手の戦いだとしたら……。
 またシリーズでは合わせて3つの暴投があり、第2戦では2回の暴投から先取点を奪われているのも見逃せない。
 これもまたシーズン中からの課題だった軽率なキャッチングと、ワンバウンドしたボールに対して体で前に落とすブロッキングの悪さが大事な場面で出たものだった。
 正捕手として3試合にフルでマスクを被って臨んだシリーズ。9打数で安打はわずかに1本きりだったのは、ある意味指揮官も想定内だったかもしれない。ただ、打撃には目をつむっても、しっかり守って投手陣をリードしていってくれるという信頼感こそが、高橋監督が小林を使う根拠だったはずなのである。
 短期決戦が捕手の戦いだとしたら、その捕手起用への根拠が最後に決まったのがDeNAだった。そしてその捕手で計算外があったのが巨人だった。
 ならばこの結末も、また必然と言えるのかもしれない。

Sports Graphic Number 912
Baseball CLIMAX 2016
【独占インタビュー】 大谷翔平「僕の想像を超えたシーズン」
【10月決戦総力特集】 鈴木誠也、坂本勇人、筒香嘉智、柳田悠岐
イチローの2016年を振り返る

5. <速報>松山英樹は3アンダーで前半終了 谷原秀人、小平智も好スタート
ゴルフ情報ALBA.Net 1/13(金) 9:49配信

安定したプレーで前半を終えた松山英樹
<ソニー・オープン・イン・ハワイ 初日◇12日◇ワイアラエCC(7,044ヤード・パー70)>

松山英樹の秘密がここに!有識者がスイングを徹底解説

2017年の第2戦となる「ソニー・オープン・イン・ハワイ」がワイアラエCCで開幕。今大会5度目の出場となる松山英樹は前半を3アンダーで折り返した。

OUTからスタートした松山は2番のパー4で約151ヤードのセカンドをピンに絡めてバーディを先行させると続く3番でも7メートルを決めて連続バーディ。9番のパー5では約166ヤードを7メートルに2オンしてバーディとし3アンダーまでスコアを伸ばした。

6名が出場している日本勢は谷原秀人が3アンダーでフィニッシュ。小平智も5ホールを終えたところで3アンダーと好スタートを切っている。岩田寛は6ホールを終えて1アンダー、片岡大育はイーブンパーで初日を終えた。宮里優作も6ホールを終えてイーブンパーとなっている。

首位には2イーグル・8バーディ・1ボギー“59”で11アンダーのビッグスコアを叩きだしたジャスティン・トーマス(米国)。PGAツアーでは8人目となる50台のラウンドでロケットスタートを決めた。

(撮影:岩本芳弘)<ゴルフ情報ALBA.Net>

【関連記事】
6戦4勝の松山英樹と3戦2勝のJ・トーマス、米ツアーは常在戦場だからこそ面白い【舩越園子コラム】
好調の秘訣は? 松山英樹、「自信がないと成績は残せない」
オフは記憶なくしても…片岡プロは17年もノンアル【山下美穂子レポートinハワイ】
【PGAツアー動画】松山英樹インタビュー「そんなに落ち込んでいない」
コヤマカズヒロが選んだ、2016年のドライバー大賞は?



ニュース、
1. <トランプ氏会見>日米貿易摩擦の懸念 赤字削減要求へ
毎日新聞 1/12(木) 20:46配信

記者会見するトランプ次期米大統領=米東部ニューヨーク州のトランプタワーで2017年1月11日、西田進一郎撮影
 トランプ次期米大統領は11日の記者会見で、貿易赤字削減を目指す方針を表明した。貿易赤字相手国として中国、メキシコと並んで日本を名指し。2国間通商交渉を通じて赤字削減を迫ると見られる。米国自身が戦後、長い時間をかけて築いた自由貿易秩序を崩すだけでなく、結果的に米国を含む関係国経済を混乱させる恐れが強い。

 「米国の貿易協定は惨事だ」。トランプ氏は記者会見で力説し、貿易赤字は米国に不利な貿易協定が原因との考えを示した。選挙中から対中国、対メキシコの貿易赤字を問題視してきた。日本への言及はいったん影を潜めていたものの、再び矛先を向けた。

 トランプ氏が貿易赤字削減を重視するのは、商務長官となるロス氏と新設の国家通商会議(NTC)を率いるナバロ氏が「赤字削減が国内総生産(GDP)成長率を押し上げる」と唱えている影響が大きい。GDP成長率の算出では貿易赤字が少ないほど、数値が高くなるためだ。

 しかし、クリントン民主党政権時代の財務長官で、経済学者としても知られるサマーズ氏は両氏の主張を「ブードゥー(おまじない)経済学をはるかに超えている」と厳しく批判。高関税導入などで無理に貿易赤字を減らそうとすれば、輸入物価上昇を通じてインフレが進み、国民生活は苦しくなりかねない。これまで金融市場では、トランプ氏が掲げる財政支出拡大や規制緩和を好感し円安・株高が続いていた。しかし今回の記者会見では言及がないうえ、貿易摩擦を引き起こしかねない内容だったため、円高・株安となった。

 ◇日本対応難しく

 赤字削減について、トランプ次期政権が重視する2国間交渉を通じて要求する可能性が高い。相手国に鉄鋼製品などのダンピング(不当廉売)輸出をやめさせたり、輸入拡大・輸出縮小を求めたりすることが考えられる。近年にない米政府の介入で、ワシントンの日米政策関係者からは「貿易赤字削減を目標にすれば相当な混乱を招く」との指摘が出ている。

 もっとも、日米経済関係の歴史は貿易摩擦と隣り合わせだった。財務省貿易統計によると、1976年から一貫して日本から米国への輸出が輸入を上回り、米国から見た対日貿易赤字は40年続いている。80年代には自動車、半導体などを巡って摩擦が激しさを増した。

 世耕弘成経済産業相は6日、「日本の自動車産業は1990年に約150万台だった米国での生産台数を、2015年に約386万台へ拡大した」と述べた。

 批判を受けた日系自動車メーカーは米国内に工場を建て、従業員を雇うことで現地社会に溶け込もうとしてきた。菅義偉官房長官は12日の記者会見で「日本企業はアメリカの良き企業市民だ」と強調。日本政府は日本企業の米経済への貢献を強調してトランプ氏に理解を求める姿勢だ。

 トランプ氏は11日の記者会見で、ツイッターでメキシコ工場新設撤回を求めたトヨタ自動車には言及しなかったが、「雇用創出に精いっぱい取り組む」ことは強調した。トランプ氏が赤字削減を迫る「次の手」は読みきれず、日本政府は難しい対応を迫られそうだ。【秋本裕子、ワシントン清水憲司】

【関連記事】
<橋下徹さんに聞く「トランプ現象」>
<「黙れ」トランプ氏、CNNの質問拒否>
<トランプ氏の弱み握る?>ロシアが「買春映像含む」保有
<野口悠紀雄さん「トランプ・バブルに熱狂するな」>
トランプ氏は「王様」? 次期首席補佐官うっかり

2. 屋根から落ちた雪に埋もれたか、山形で女性死亡
読売新聞 1/13(金) 0:57配信

 12日午後10時10分頃、山形県大蔵村南山で、介護ヘルパー佐藤悦子さん(61)が自宅玄関脇の軒下で雪に埋まっているのを夫が見つけ119番した。

 佐藤さんは搬送先の病院で死亡が確認された。県警新庄署は、屋根から落ちてきた雪に埋もれたとみて調べている。大蔵村の積雪深は12日午後11時現在、215センチを記録した。

3. 韓国民団が慰安婦像撤去求める 「在日同胞は息を殺して生活」
産経新聞 1/13(金) 7:55配信

 在日本大韓民国民団(民団)は12日、都内のホテルで新年会を開き、呉公太(オ・ゴンテ)団長が韓国・釜山の総領事館前に設置された慰安婦像について「撤去すべきだというのが、私たち在日同胞の共通した切実な思いだ」と述べた。その上で、一昨年12月の慰安婦問題に関する日韓合意の堅持を訴えた。

 呉氏は日韓合意を「両国政府が苦渋の末に選択した結果で、関係発展のための英断だ」と評価し、会場の拍手を浴びた。その上で「誠実な態度で履行されなければ問題は永遠に解決されない」と強調。「合意が履行されずに再び両国関係が冷え込み、私たち同胞はまたも息を殺して生きなければならないのか」と切々と述べ、「(韓国)国民の冷静かつ賢明な判断と、日本政府の冷静な対処」を求めた。

 民団は在日韓国人の最大組織。新年会には日韓の国会議員ら約800人が出席した。日韓議員連盟会長を務める額賀福志郎元財務相(自民)は、日本政府が慰安婦像設置への対抗措置として駐韓大使らを一時帰国させたことを「(日韓合意による)国と国との約束を守っていくため、初心に帰ってがんばろうというメッセージだ」と語った。

 一方、共産党の小池晃書記局長は慰安婦像設置には言及せず、「日本政府は過去に元慰安婦の人権を著しく侵害したことへの誠実な謝罪が必要だ」と主張。永住外国人地方参政権付与について「超党派で力を合わせ、実現に向けた努力を続ける」と語った。社民党の福島瑞穂副党首も参政権付与に関して「一歩進められるよう国会議員や民団の皆さんとやっていく」とあいさつした。

 また、額賀氏は同日、韓日議連の徐清源会長と都内で会談。関係改善のために韓国政府に具体的な対応を促すよう協力を求めた。

【関連記事】
韓国こそ「慰安婦」を強制連行…「反日」政治利用に元慰安婦が怒りの告発
「なぜ日本だけを標的に?」欧米から疑いの目を向けられる韓国妄執の“自業自得”
韓国慰安婦像新設に菅官房長官激怒 「あの国とは絶交だ」藤岡信勝氏
慰安婦「少女像」を作り続ける夫婦の意図とその協力者
日本はこれ以上韓国に深入りしないほうが賢明

4. 中古購入40歳未満、住宅改修最大65万円補助
読売新聞 1/13(金) 8:39配信

 国土交通省は、中古住宅を購入し、省エネや耐震改修などのリフォーム工事を行った人に、最大で65万円を補助する新たな制度を作り、2月にも申請の受け付けを始める。

 補助対象を40歳未満に絞り、子育て世帯など若年層の住宅取得を後押しする。中古住宅やリフォーム市場を活性化させ、空き家の増加に歯止めをかける狙いもある。

 対象となるのは、中古住宅を購入した40歳未満の人で、専門家に建物の劣化状況などを検査してもらう「インスペクション(住宅診断)」を受けることなどが条件だ。住宅診断と省エネリフォームにかかる費用について最大で50万円を補助し、耐震改修を行う場合はさらに15万円が上乗せされる。補助金は宅建業者などが住宅購入者に代わって国に申請し、購入代金から補助額を差し引く仕組みだ。同省は1万戸以上の利用を見込んでいる。

【関連記事】
「40代で子宝」夫婦の誤算…「老後破産」の現実
10年で4000万円の差が…「マンション2020年問題」
高層階の住人に多い心臓停止死、25階以上は生存率ゼロ
あなたは税金払いすぎ?元国税調査官が教える「裏技」
ご注意! 中高年男性に忍び寄るコワーい足の病気

5. 世界の富豪たちが「安藤建築」に託す夢
Forbes JAPAN 1/13(金) 10:00配信

TADAO ANDO(Photo by Peter Stember)
「仕事の依頼は大抵、突然事務所にかかってくる電話から」。

世界の富豪たちは、「邸宅」という彼らの理想を体現する最後のプライベートの夢を、安藤忠雄にどう託し、彼はいかに応えているのだろうか。

私の建築家としての経歴は、個人宅の設計から始まっています。1970年代から40数年、海外や日本で個人宅をたくさんつくってきました。

最初は、身近な場所から仕事を始めました。その頃につくったもので、私の実質的なデビュー作でもある「住吉の長屋」(1976、写真下)は、当時評判が悪かったです。

大阪の住吉大社の近くの長屋の建て替えでした。そこで私は外部を窓のないコンクリートの壁で覆って外界と隔絶させ、中庭に入ってくる光や風で住み手に四季の移ろいを感じてもらおうとしましたが、室内は冷暖房がなく、快適さや利便性はいいとは決していえません。依頼主はもともと長屋の住人だったので、そのとき意図していたのは、中庭を置くことでプライバシーを保つことでした。いまでも彼はそこに住んでいて、「中庭から見えるのは自分の空だ」と語っています。

1992年に、ルチアーノ・ベネトンにアートスクール(FABRICA, イタリア・トレヴィゾ2000)の設計を依頼され、17世紀のヴィラを改造してつくりましたが、その後、彼の長男のアレクサンドラ・ベネトンから自宅をつくってくれと頼まれました。

彼の妻は有名なスキーのメダリストで、敷地内には大きなプールやジムがほしいといいます。ゆったりと住める家に住みたいというリクエストとともに、彼らが最も重視したのも、外部からのプライバシーをしっかり確保することでした。私が手がけたのは、地中に建物が半ば埋もれた「見えない家」(2004)。敷地の周囲も緑で覆い、住み手が静かに暮らしたいという要望に応えたのです。

仕事の依頼はいきなり電話から

仕事の依頼は大抵、ある日突然事務所にかかってくる電話から始まります。私には海外の仕事を取りつけるコーディネイターはいませんから、直接連絡が入ります。事務所のスタッフが「ジョルジオ・アルマーニから電話です。ご本人だそうです」。そして、ミラノに行くことになり、アルマーニの劇場や本社の設計に携わりました。いまでも彼とは付き合いがあります。

人間同士の心の交流がないと個人宅の設計を引き受けるのは難しい。個人宅の設計は依頼主と後でもめることも多いといわれますが、私は違います。相手の話を聞いて、こちらはプランを出す。心が通じていれば、クレームはありません。これまで個人宅を設計した依頼主のほとんどの人たちといまも付き合いが続いています。

クライアントと共につくる夢

「シカゴの住宅」(1997、写真下)の設計を依頼されたフレッド・アイキャナーとの出会いは、1991年にニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催された私の個展を彼が観に来たことから始まりました。いまでは25年の付き合いです。

ニューヨークで会った後、しばらくして彼から「シカゴの自宅を建て替えたいので設計してほしい」と言われました。現地を訪ね、仕事を引き受けることにしましたが、私にとって初めての海外での住宅設計だったので、うまくいくだろうかと若干の不安もありました。彼は、「住吉の長屋」や「小篠邸」(1981)などの私がそれまでにつくった住宅をよく研究しているようでした。

メキシコの資産家ファミリーの場合
海外の人たちは私のつくる建築を見て、日本的な感性があふれているといいます。建築のファサードから一切の装飾を省いているという点もありますが、屋外から入り込む自然の光の時間による移ろいを通して建築を構成していることが珍しいのでしょう。

アイキャナーはこうした特性が自分のテイストに合うと感じたのだと思います。技術の進歩で、今日建築の造形や装飾はどこまでも自由に表現できる時代になっていますが、私は造形の先にある空間を主題に据えたいと考えています。一方、住み手もひとりの人間として自らの住まう家にどんな希望や夢を育むのか。明確なビジョンがあるかどうかが問われることになります。

実際、彼からのリクエストは、庭にもとからある大きなポプラの木を残してほしいということで、それ以外の特別な注文はありませんでした。依頼主が自分なりの思いやしっかりとした方針を持って、こちらに委ねてくれると、仕事はやりやすいです。

「シカゴの住宅」の竣工から16年後の13年夏、彼は久しぶりに大阪の事務所を訪ねて来てこう言いました。「東隣の敷地のアパート群を購入したので、アートギャラリーに改造し、住宅と一体で使用したい」。私はシカゴの古い街並みの彩りを残すレンガ造りの既存の建物を残し、補強したうえで、上部にガラスのボックスを増築することにしました。来夏の竣工を目指し、現在工事が続いています。彼が夢に描いたアートと暮らしが一体化した住まいは、まもなく具現化されるでしょう。

「モンテレイの住宅」(2011、写真下)の設計を依頼されたメキシコの資産家ファミリーは、最後まで私を信じて精力的に支援を続けてくれた人たちとして強く印象に残っています。メキシコ第3の都市、モンテレイを代表する名家からメキシコ大使館を通じて私の事務所に連絡が入ったのは、2006年のことでした。最初に頼まれたのは、ファミリーの息子の個人宅の設計です。

翌年3月、私はメキシコを訪れました。彼らは現地では飛びぬけた資産家で、家にはピカソやマチス、ルノアールなどの絵画が飾ってありました。私は国立公園内にある山裾の広い敷地を歩きました。深い緑と美しい山脈を見晴らす絶景を望む高台に周囲の環境に溶け込むような住宅を建てることが、私に与えられた使命でした。建築で大事なことは、地域の風土や歴史、伝統に融合する世界をつくり出すよう、その土地とじっくり対話することです。 

ところが、設計を進めるとともに、現地の施工状況を調べると、我々や施主が求めるクオリティーは、現地の施工技術だけでは実現が難しいことが判明しました。そこで、日本から2名の技術者を派遣し、現地指導させることを提案したところ、すぐに快諾され、3週間ほど現地の作業員と共に、練習用のコンクリート壁を一緒に打設し、技術を伝えました。結果的には、それらの作業員を雇う形で、施主自身が建設会社をつくることになりました。

そこまでしたのは理由がありました。地元モンテレイ大学の理事を務めていたファミリーを代表する夫人は、大学のデザイン学科の校舎もつくり直してほしいと言い出したのです。それが「モンテレイ大学RGSセンター」(2012)です。

キャンパスの入り口に隣接する場所に、ダイナミックなゲート上のフォルムを構想しましたが、特殊な形態ゆえに建築コストが予想以上にかかり、一時工事を断念しそうになりました。しかしそこでも夫人は妥協することなく、なんとかプロジェクトを実現させました。

メキシコの資産家ファミリーの場合
海外の人たちは私のつくる建築を見て、日本的な感性があふれているといいます。建築のファサードから一切の装飾を省いているという点もありますが、屋外から入り込む自然の光の時間による移ろいを通して建築を構成していることが珍しいのでしょう。

アイキャナーはこうした特性が自分のテイストに合うと感じたのだと思います。技術の進歩で、今日建築の造形や装飾はどこまでも自由に表現できる時代になっていますが、私は造形の先にある空間を主題に据えたいと考えています。一方、住み手もひとりの人間として自らの住まう家にどんな希望や夢を育むのか。明確なビジョンがあるかどうかが問われることになります。

実際、彼からのリクエストは、庭にもとからある大きなポプラの木を残してほしいということで、それ以外の特別な注文はありませんでした。依頼主が自分なりの思いやしっかりとした方針を持って、こちらに委ねてくれると、仕事はやりやすいです。

「シカゴの住宅」の竣工から16年後の13年夏、彼は久しぶりに大阪の事務所を訪ねて来てこう言いました。「東隣の敷地のアパート群を購入したので、アートギャラリーに改造し、住宅と一体で使用したい」。私はシカゴの古い街並みの彩りを残すレンガ造りの既存の建物を残し、補強したうえで、上部にガラスのボックスを増築することにしました。来夏の竣工を目指し、現在工事が続いています。彼が夢に描いたアートと暮らしが一体化した住まいは、まもなく具現化されるでしょう。

「モンテレイの住宅」(2011、写真下)の設計を依頼されたメキシコの資産家ファミリーは、最後まで私を信じて精力的に支援を続けてくれた人たちとして強く印象に残っています。メキシコ第3の都市、モンテレイを代表する名家からメキシコ大使館を通じて私の事務所に連絡が入ったのは、2006年のことでした。最初に頼まれたのは、ファミリーの息子の個人宅の設計です。

翌年3月、私はメキシコを訪れました。彼らは現地では飛びぬけた資産家で、家にはピカソやマチス、ルノアールなどの絵画が飾ってありました。私は国立公園内にある山裾の広い敷地を歩きました。深い緑と美しい山脈を見晴らす絶景を望む高台に周囲の環境に溶け込むような住宅を建てることが、私に与えられた使命でした。建築で大事なことは、地域の風土や歴史、伝統に融合する世界をつくり出すよう、その土地とじっくり対話することです。 

ところが、設計を進めるとともに、現地の施工状況を調べると、我々や施主が求めるクオリティーは、現地の施工技術だけでは実現が難しいことが判明しました。そこで、日本から2名の技術者を派遣し、現地指導させることを提案したところ、すぐに快諾され、3週間ほど現地の作業員と共に、練習用のコンクリート壁を一緒に打設し、技術を伝えました。結果的には、それらの作業員を雇う形で、施主自身が建設会社をつくることになりました。

そこまでしたのは理由がありました。地元モンテレイ大学の理事を務めていたファミリーを代表する夫人は、大学のデザイン学科の校舎もつくり直してほしいと言い出したのです。それが「モンテレイ大学RGSセンター」(2012)です。

キャンパスの入り口に隣接する場所に、ダイナミックなゲート上のフォルムを構想しましたが、特殊な形態ゆえに建築コストが予想以上にかかり、一時工事を断念しそうになりました。しかしそこでも夫人は妥協することなく、なんとかプロジェクトを実現させました。

若い時代はひたすら走るしかない
建築は依頼者の強い思いがつくるものです。必要なのは、しっかりとした意思があり、ぶれないこと。依頼主がなげやりになると、設計もなげやりになります。建築家と依頼主はお互いにパートナーとして一緒に新しい世界を切り開いていく関係にあります。優れた依頼主はしっかり自分の意見を言うし、我々もしっかり聞く。そうすることではじめて価値ある建築が生まれるのです。

<RGS>という呼称は、モンテレイ大学の発展に寄与したファミリーの名前に由来します。2013年にセンターの竣工式を無事迎えた夫人は、翌年7月、自らの使命をすべてやり終えたかのように静かに逝去しました。

個人宅の設計というものは、我々にとってはひとつの仕事にすぎませんが、依頼主にとっては一生の住まいとなります。だから、お互いによほどの信頼関係がなければ、うまくいきません。

実は、モンテレイの仕事を請けるとき、最初はためらいがありました。それを乗り越えられたのは、依頼主の熱意に圧倒されたからです。技術的なことはメキシコと日本ではずいぶん違いますが、気持ちさえあればなんとかなる。仕事に必要なのは、創造性はもちろんですが、忍耐力と協調性、持続力です。

その意味では、私が建築を手がけた直島(香川県)のベネッセハウスミュージアムの実現も、施主であるベネッセコーポレーションの福武總一郎氏の勇気といえるでしょう。どんなプロジェクトも、クライアントに勇気があって、前に進めようという気持ちがあるかどうかにかかっているのです。

これまで私は、サントリーの佐治敬三氏、アサヒビールの樋口廣太郎氏、セゾングループの堤清二氏、京セラの稲盛和夫氏など、多くの企業家たちとの出会いに恵まれました。皆私より15歳くらい年長です。彼らとの出会いが生まれたのも、私が常に希望を持って、夢に向かって全力疾走していたからだと思います。何の実績もありませんでしたが、ただ「人間として面白いから」というそれだけの理由で、相手にして下さったのです。

だから、若い時代はひたすら走るしかない。全力で走っていれば、必ず誰かが近づいてきます。クライアントは一緒に走れる人がいい。何でも言うこと聞く人より、言うことを聞かないけれど、希望に燃えている人がいいのです。

TADAO ANDO◎1941年大阪生まれ。建築家。独学で建築を学び、1969年に安藤忠雄建築研究所を設立。79年「住吉の長屋」で日本建築学会賞。代表作に「光の教会」「淡路夢舞台」「FABRICA(ベネトンアートスクール)」など。10年文化勲章受賞。17年9月27日(水)~12月18日(月)国立新美術館にて開館10周年「安藤忠雄展」開催。原寸大で「光の教会」を再現するほか100を超える住宅作品の全てが公開される。
Forbes JAPAN 編集部

【関連記事】
ハコより先にコンテンツを考える、「建築は、コン築へ」
なにがなんでも避けるべき有害な人10タイプ
ビル・ゲイツから孫 正義まで、「世界の大豪邸」11選!
スター気分にさせてくれるセレブ所有のホテル5選
外国人男性にモテる日本人女性の「残念なこと」

6. <坂本龍馬>「新国家」専心 暗殺5日前の書簡発見
毎日新聞 1/13(金) 13:00配信

新たに見つかった坂本龍馬の書簡。当時としては珍しい「新国家」という表現が使われている=東京都千代田区で2017年1月13日午前10時34分、竹内紀臣撮影
 幕末の志士、坂本龍馬が慶応3(1867)年に京都で暗殺される5日前に記した直筆の書簡が見つかった。高知県が13日午後、発表した。約1カ月前に将軍、徳川慶喜が大政奉還したことを受けて福井藩の重臣に宛てた書簡で、文中には「新国家の御家計(財政)」という言葉が使われ、新政府の財政担当者への出仕を懇願している。龍馬研究の進展が期待できる一級の史料といえ、研究者は「龍馬が新しい国家の樹立を目指して活動していたことが明確になり、歴史的価値は極めて高い」と評価している。【錦織祐一、最上聡】

【写真特集】新たに見つかった坂本龍馬の書状

 ◇福井藩重臣宛て 財政担当者への出仕懇願

 書簡は縦16センチ、横92センチで、11月10日の日付。京都の福井藩邸に滞在していた同藩重臣、中根雪江宛てで、本文中には「龍馬」の署名があった。

 大政奉還を受け、徳川家の親藩だった福井藩の前藩主、松平春嶽の京都入りを「千万の兵を得たる心中」と歓迎。龍馬は同藩士の三岡八郎(後の由利公正)を新政府の財政担当者に推挙していたが、三岡は幕府に強硬な姿勢だったため謹慎処分中だった。そのため、書簡で「三岡兄の御上京が一日先に相成候得ハ新国家の御家計御成立が一日先に相成候(三岡の京都入りが1日遅れれば、新国家の財政成立が1日遅れてしまう)」と訴えている。

 三岡は龍馬暗殺の翌月に京都に入り、新政府の五箇条の御誓文の起草に関わったほか、初期の財政も担当した。

 龍馬の書簡で「新国家」という言葉が確認されたのは初めて。鑑定した京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬が死の直前まで新政府の樹立、新国家の建設に専心していたことをよく示す、貴重な史料だ。龍馬と福井藩との関係の研究も進展する」と話す。

 書簡は、大政奉還と明治維新から150年を記念して高知県が開催する歴史博覧会「志国高知・幕末維新博」のため、全国の史料を調査する中で発見された。どのように保管されていたかや発見の詳しい経緯は明らかになっていない。3月4日から県立高知城歴史博物館(高知市)で公開される。龍馬の書簡は、暗殺される2日前の11月13日の日付で海援隊士だった陸奥宗光に宛てたものが現存では最後とされる。

 ◇考え色濃く

 三浦夏樹・高知県立坂本龍馬記念館学芸員の話 「新国家」建設に向け、龍馬が尽力していたことを示すものだ。龍馬の文字の特徴は出ているが、数ある書状の中でもきれいで丁寧に書かれており、松平春嶽に見られることも意識したのでは。何よりも国家建設には財政・経済が重要で、その任を担えるのが三岡だという、龍馬の考えが色濃く出ている。

【関連記事】
坂本龍馬 “最期の刀”は本物 刃文、文献と一致
<今回見つかった坂本龍馬の書簡全文>
龍馬しのぶ資料、4都県で 脇差しや掛け軸展示
大坂の陣迫真ルポ 秀頼が裏切り者を城壁から突き落とす
三島由紀夫 最晩年に行った対談のテープ発見 音声を公開






7. 米トランプ次期大統領が会見で狙ったものは

選挙後初の記者会見として注目されたトランプ次期米大統領の記者会見(米国東部時間11日)は、日本ではCNN記者の質問に応じなかったことや日本を名指しで批判したことなどが報じられているようだが、勿論、それだけではない。そこにはトランプ氏の周到な準備の上の狙いが有ったとみられる。トランプ氏の狙いとは何だったのか?
●最初に問われたのはプーチンとの関係
最初の記者からの質問は当然、対ロシアの問題だった。それについての情報機関からの説明について問われると、トランプ氏は堰を切ったように話し始めた。
「情報機関から金曜日に説明を受けて、勿論、その詳しい内容については話すことができないが・・・」
大統領選挙にロシア政府がハッキングによって関与したと米国の情報機関が結論づけたこの問題については、トランプ氏は直接、情報機関から説明を受けている。それに加え、会見の直前に米国のメディア「バズフィード」とCNNが、ロシア政府がトランプ氏の不名誉な行為などの弱みを握っているとした情報機関作成と思われる報告書の存在を報じている。質問はそれにも及んでいたが、トランプ氏は、そういう報告は受けておらず誤った報道だと否定した。
暴言で知られるトランプだが、実は、記者会見などは周到に準備することが知られている。この会見について言えば、狙いの一つに、一連のロシア関連の問題に区切りをつけることがあったと考えるのは自然だろう。ただ、それは米国民に対してというよりも、異なる二つの対象に対して明確なメッセージを送ることだったように思える。
●情報機関へのメッセージ
一つは、自国の情報機関へ向けてだ。トランプ氏は、会見で初めて、大統領選挙で行われたハッキングがロシア政府によるものと認めて次の様に話した。
「ハッキングに関しては、それはロシア政府がやったものだ。それは確かにやってはならないことだ」
ロシア以外にも、中国も行っていると続けたが、これまで認めてこなかったロシア政府の関与を認めたことは大きい。
また、この問題に触れる際に、威厳を見せて語った情報機関の守秘義務も一種のメッセージだったのではないか。そのいささか芝居がかった表情は、彼が情報機関に対し私を信用して欲しい、そうすれば互いに良い仕事ができると言いたかったのではないかと思えてならない。
●プーチンへの牽制
そしてもう一つの対象は、ロシア政府及びプーチン大統領だろう。トランプ氏は次の様に語った。
「プーチンがトランプを好きだとして、それは何だ?それは『資産』であって『信頼』ではない」。
信頼関係云々ではなく、「資産」つまり、「使える手段」だという意味だろう。その上で次のように話している。
「プーチンとはうまくやりたいが、やれないかもしれない。やれない可能性は大きい。もしうまくやれない場合、ヒラリーと比べてどっちが彼に厳しい対応をとれるか、ここにいる誰でもわかるだろう。冗談もいいかげんにしてくれ」
つまり、自分はロシアに甘い顔をするものでないと表明したわけだ。冗談めかして語っているが、これはプーチン大統領とロシア政府を牽制するものだろう。
会見でもトランプ氏は、従来からのロシアの協力を得ながら特に混乱の極みにある中東政策にあたるとの考えは維持している。トランプ氏は、今後、オバマ政権が課したロシアへの制裁を解除する方向に動くだろう。その上で、イスラム国(IS)への対応でロシアと共同歩調をとる可能性が高い。
その際に障害となっていたスキャンダラスな問題に区切りをつけ、一方で、ロシア政府に対して甘く見るなとくぎを刺したという事だろう。
では、その狙いは達せられたのか。仮にトランプ政権が一定の距離感を持った関係を維持すればという前提はつくが、ロシア政府と従来にない緊密さを演出しても政権が混乱することはないのではないか。もっとも、そこには新たな疑惑が出てこなければという前提はつく。
●本当の狙いは利益相反問題の解消
しかし、ロシア問題より力を入れて狙ったのが利益相反の問題だ。トランプ氏が問われている最も大きな問題は実はこれだ。巨大ビジネスを経営する立場でいる人物が大統領の地位にいるということで、自己の利益に沿った政策を行うことが懸念されているのだ。
トランプの企業グループは不動産業を中心に各国でビジネスを展開し、或いは展開しようとしている。最近も、中南米での事業展開の話が問題視され、グループの弁護士が否定に躍起になるということがあった。
この問題への説明は特に力の入ったもので、まず、自らが企業グループの経営から手を引き、経営を2人の息子に託すことを決めたと発表。そのために必要な膨大な資料を記者の前に並べて見せて、「私は経営に関する相談にはのらない。のっても問題はないのだが、それはやらない」と言った。
その上で、弁護士も入れて細かい法律の問題にまで言及。ここで強調したのは、利益相反はそもそも大統領に対しては法的な問題が生じないということと、その一方で、それでも不審を持たれない為に利益相反が起こりえない為の措置をとったというもの。
しかしこの問題はロシアの問題のように言いっぱなしで終わる問題ではない。当然、この会見でこの問題に幕引きとはならないだろう。トランプ氏は自らの会社の経営から手を引くとは言ったが株主としての権利は保持するとしている。自らを会社の利益と完全に分離できる状態とは言い難い。また、大統領職が利益相反の問題に接触しないという解釈にも異論は有る。
その上、トランプ氏は1つのエピソードを紹介している。つい最近もアラブ首長国連邦の知人から多額のビジネスを持ち掛けられたというものだ。それを自分は断ったと高らかに語ったわけだが、それはつまり、そういう話が今後も付きまとうということを意味している。手を変え品を変えて説明を尽くしているように見えて、極めて脆弱な理論武装のように思える。
それにこの問題はトランプ氏だけの話ではなく、そもそも政権そのものが利益相反の巣窟のような状況だ。ホワイトハウス入りが決まっている娘婿や投資家の話などは既にYahooでも伝えている。
この利益相反の問題はこの会見で幕引きをはかるどころか、今後、場合によってはトランプ政権を命運を決めるスキャンダルに発展する恐れさえある。かつてニクソン政権が、ウォーターゲート事件で自壊したように。
●CNN批判も狙いのうちか
実は、この会見には、もう1つ、トランプ氏の狙いが隠されていたと私は見ている。それは、CNN記者とのやり取りだ。
CNNが報じた内容に関連した質問は既にほかの記者から受けており、トランプ氏は否定している。仮にCNNの記者から質問を受けても、同じように受け流せばその場は少なくともしのげる。
また、質問する記者を指名するのはトランプ氏だったわけで、単純に質問の声を無視するという手法も無いわけではない。何も、「お前は(お前の会社は)いかさま放送局だ」と言い放つ必要はない。もっともトランプ氏は、「You are fake news」としか言っておらず、これを「お前」と訳すか「あなた」と訳すかで印象はかなり違うとも言えるのだが。
私が見たところ、トランプ氏対CNNは、トランプ氏側が仕掛けた喧嘩だった感じが強い。そして、ここにトランプ氏の、「トランプ劇場」のプロデューサーとしての側面を見るような気がする。一部のメディア、それもリベラルなメディアをとらえて敢えて敵対して見せることで、保守派の支持者に強い大統領をアピールする狙いが有ったのではないか。
誤解を避ける為に言うが、私はこの次期大統領の言動に極め憂慮している者の1人である。
しかし、だからこそトランプ氏を冷静に分析する必要があると思っている。トランプ政権はその内部に利益相反という極めて危険な問題をはらんでの船出となる。それは癒着や腐敗とつながる恐れが高く、政権をコントロール不能にする恐れもある。また、そうした際に批判をかわすために、一部の保守層に支持されそうな少数者の人権を奪うような政策を強行する恐れもある。冷静な検証が必要だ。
●トランプ氏が陥った危うい瞬間
実は今回の会見で、トランプ氏に危険信号が灯るかと思われる瞬間が有った。それはCNN記者の質問を拒否した時のことだ。
この時、仮に、次にトランプ氏に指名された記者が、「私のこの重要な権利を、私は自分の良心に従ってCNNの記者に譲る」と言ったらどうなっていたか?
トランプ氏はいまいましそうに別の記者を指すだろう。そしてその時、その記者も、「閣下、私にとって極めて重要な質問の機会ですが、報道の自由と私の良識に従って、私はその権利をCNNの記者に譲ります」と言ったら?そしてその次の記者もまた・・・。
仮にそうなっていたら会見はトランプ氏にとって破壊的なものになっていたかもしれない。そして、その時、米国民は「トランプ劇場」の酔いから醒めたかもしれない。
しかし、現実には、そうはならなかった。トランプ氏に指名された記者はそれぞれの仕事をそのまま全うし、そして記者会見は1時間ほどで終わった。そして、「劇場」はこれから本番が幕を開けるのである。

立岩陽一郎
アメリカン大学フェロー、調査報道NPO「iAsia」編集長
調査報道を専門とする認定NPO「iAsia」編集長。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院卒業。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクとして主に調査報道に従事。政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。以後、化学物質規制が強化される。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。「iAsia」編集長の他、公益法人「政治資金センター」の理事として独自の調査報道に取り組む。現在はアメリカン大学客員研究員としてワシントンDC在住。