深く潜れ(Dive Deep)! キネシオロジー&クラニオセイクラル・ワーク(クラニオ)の蒼穹堂治療室

「ココロとカラダ」再生研究所、蒼穹堂治療室が送る、マニアックなまでに深く濃い、極私的治療論とお役立ち(?)情報の数々。

バイオダイナミックなクラニオと施術者の意識のあり方 1

2010-05-09 02:04:03 | 一治療家の視点
クラニオセイクラル・ワークあるいはクラニアル・ワークというものには、ベースとなる考え方によっていくつかの流派に別れるが、その中でもバイオダイナミックなクラニオ(クラニオセイクラル・バイオダイナミクス)では、全ての鍵は施術者の意識のあり方にあるように思う。

クラニオの世界では、命の息吹(Breath of Life)によって全てのものの源である根源的基盤(original matrix)に生じた周期的な律動の全体を第1次呼吸(primary respiration)あるいは潮流(tide)と呼ぶ。潮流は1つではなく、いくつかのものが存在することが知られている。その名前は本によっても違うが、フランクリン・シルズの『クラニオセイクラル・バイオダイナミクス』(以下、CB)に従えば、
・クラニアル・リズミック・インパルス(cranial rhythmic impulse ; CRI)
・ミッド・タイド(mid-tide)
・ロング・タイド(Long Tide)
の3つがあり、更にその上には明確なリズムを持たない
・動的静止(Dynamic Stillness)
がある、とされている。

それらの潮流はボディマインド上に階層を成すように同時存在しているので、施術者はボディマインドに対する意識の向け方、あるいは意識のあり方を変えることで、必要な潮流の階層にアクセスすることができる。

ところでバイオダイナミックなクラニオでは、身体は組織(tissue)、体液(fluid)、ポーテンシー(potency)(注1)に大別される。もちろん「大別される」といっても、実際の身体は組織、体液、ポーテンシーが混じり合った不可分一体のものとしてできていて、組織の部分、体液の部分、ポーテンシーの部分などと明確に分離できるわけではないが、非常にラフなレベルで説明すると、CRI、ミッド・タイド、ロング・タイドはそれぞれ組織、体液、ポーテンシーに対応しているようだ(注2)。実際、CBによると、施術者がホールドする手を組織の上に浮かぶように接するとCRIに、体液の中に浮かぶ、あるいは浸すようにするとミッド・タイドに、そしてポーテンシーの中に浮かぶ、あるいは浸すようにするとロング・タイドにアクセスすることができる、とある。

(注1)ポーテンシーは、それについてのさまざまな説明を見ると、原気(元気)あるいは生気という訳語が一番ふさわしいように思うが、これまでの翻訳で私がpotencyをポーテンシーと訳してしまった関係で、ここでもそう表記している。
なお辞書的には、英語には「力」を表す言葉としてpower, force, potencyの3つがあり、powerは一般的な意味の力、forceは外部に現れる力、potencyは内なる力を意味する、といった説明がある。そのためpotencyの訳語は内在力がふさわしい、とする意見もあるが、シルズやケーンの著作を見るとpotencyをpowerやforceで言い換えている箇所が頻繁に見つかる。つまり、バイオダイナミクスの世界ではこの3つの言葉の辞書的な意味の違いを重視していないと考えられるので、potencyを内在力と訳すのは適当ではないと私は考えている。


(注2)だから例えばリドリーの『スティルネス』では、ミッド・タイドのことをフルーイッド・タイド(fluid tide)と表記している。なおシルズのバイオダイナミクスにもフルーイッド・タイドという用語が出てくるが、こちらは文字通り「体液部分に生じる潮流」という意味で、リドリーの言うフルーイッド・タイドとは異なる。紛らわしい限りだ。

だがそれと同時に、潮流の各階層にアクセするためには、手のあり方だけでなく施術者の知覚場(⊂意識)のあり方も変える必要があるようだ。CBには、施術者はCRIにアクセするには自分の知覚場を、ホールドしている部分を中心に骨や膜に向けるが、ミッド・タイドでは相手の生体場(biospher)全体を包み込むように、そしてロング・タイドでは知覚場を地平線まで広げよ、と書かれている(注3)

(注3)ここには動的静止は出てこない。シルズのCBやケーンの『ウィズダム・イン・ザ・ボディ』では、動的静止にアクセスするにはロング・タイドにアクセスした後、「針の目(eye of the needle)」あるいはミステリアス・ゲートウェイ(mysterious gateway)を抜けていかなければならないとされ、リドリーの『スティルネス』では、施術者の心臓知覚(=自分の心臓に留めた意識)が(施術者の意識的な操作ではなく自然に)地平線を越えて広がった時に動的静止にアクセスできるとされる。いずれにせよ、動的静止は「アクセスしに行く」のではなく「気づいたらアクセスしていた」という形でしか到達することはできない。なおリドリーは、この動的静止の先には更に「純粋な命の息吹」があると書いている。

ついでながら、上に述べたことを全体として見ると、組織とは身体の局所的なもの、体液とは身体全体に広がるもの、そしてポーテンシーとは身体を取り巻く外部世界全体とつながるもの、という身体感が浮かび上がってくる。バイオダイナミックなクラニオには、こうした身体感が共通認識としてあるようだ。

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