走快エイトの気まぐれ人生

家族・スポーツ・スペシャルオリンピックス・教育・消防団・仕事・テレビ番組などの話題を、気ままに綴っていきます。

楽しかった結成式

2010年04月13日 23時53分29秒 | 職場22年度~(成田)
今日は、10時45分までの夜勤終了後、職場の結成式(団結式)が成田市内の居酒屋で行われました。若い職員が率先して幹事をし、式の日程や店の手配をしてくれて、助かりました。12時から始まり、課長の挨拶の後に私が乾杯の音頭を取り、しばらくは歓談し、その後一人一人の自己紹介をしました。昼間とあって、店内は殆んど貸切状態のため、大いに大声を出して笑い、楽しいひと時でした。

2次会も、駅付近の居酒屋に3分の2程の仲間がついてきて、盛り上がりました。昨年度からの残留者が多く、変わったのは私を含む管理職と若手職員の若干名であり、とても深い信頼でまとまった良い雰囲気でした。23歳のムードメーカー的な男性職員には、「もっと、ビシビシと指示をしてリーダーシップを取って欲しい。」と本音を言われ、普段の自分の態度がどう見られているのか、多少理解出来ました。

私のライフワーク

2010年04月12日 07時01分25秒 | 初めての方へ
私は、これまで様々なボランティア活動に加わってきました。3月末で青少年相談員を卒業する前から、新たな生き甲斐を模索中でしたが、これが私のライフワークになるかもしれないという活動が見つかりました。それは、スペシャルオリンピックス(以下「SO」と言う。)のプログラム実施により、障碍を持つ子どもたちの健全育成に係ることです。

昨年の夏に、初めてSOの活動と出会いました。切っ掛けは、女房が近所でSOのプログラムが実施されている情報を知り合いから入手してきたことでした。一般の方も、1998年に長野で開催された冬期オリンピック大会の直後、同じ場所で開催された知的発達障害のある人たちのオリンピック大会をテレビでご覧になったことがあると思います。

NPO法人である日本スペシャルオリンピックスは、公式ホームページによると、「知的発達障害のある人たちに様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じ提供している国際的なスポーツ組織です。」との説明があります。私は、その千葉県支部で実施されている様々なプログラム(活動)の一つと、繋がりが持てました。

次男は、昨年の夏休みから月に2回のスポーツ教室を、新型インフルエンザで1度休んだ以外は全て出席しています。私は都合がつく時だけの参加で、コーチのサポート役といったお手伝いをしています。昨年秋には、1日だけの指導者向け研修にも参加してきました。将来は、運営に関わるとか、もっと深い関係を持って活動していきたいと考えています。

たかが連絡網ですけれど…

2010年04月11日 07時14分30秒 | PTA&学校(19年度~)
8日の入学式直後にPTA役員の選考があり、クラスの理事を務めることになりました。最初の仕事は連絡網を作ることだそうで、集まった保護者全員に氏名・電話番号・メールアドレスなどを紙に書いてもらい、自宅に持ち帰り、休日にパソコンを使って連絡網を作り始めました。入学式のパンフレットに記載されていた新入生の氏名も参考にしました。

自由な形式で良いと言われたのですが…字体は明朝体、ゴシック体などでどれが良いか?字の大きさは、通常使用している12ポイントで良いか?住所を書いていない人がいる。メールアドレスに書かれたアルファベットのnとh、oと数字の0、スペースが入っているのかどうか区別がつかない。ハイフンの種類は?名前に読み仮名をつけるかどうか?

仕方なく、試行錯誤しながら数種類の連絡網を作成してみて、女房に見てもらいました。そして、最も見栄えが良いものを子どもにもたせて、担任の先生に見てもらい、最終的にはクラスメイトを通じてコピーを保護者に見せて間違いないか確認してもらい、数日後に私の手元に戻ってきた時点で、イラストなどをつけて加工し完成させることにしました。

1週間を振り返る

2010年04月10日 09時29分55秒 | 自分&家族
新年度が始まり、忙しい毎日を送っていますが、その原因は職場・学校・消防がキーワードです。新しい職場環境では、何事も航空機の離発着時間に左右され、乗客の物凄い大混雑があったと思えば、全く人影がない時間帯もあるのです。私が勤務している第1ターミナルビルの中には、4か所現場がありますので、暇なところから忙しいところへ職員を応援に向かわせ、人員配置を工夫しています。

成田空港は、基本的に周辺地域の騒音対策により夜11時から朝6時までの航空機による離発着は禁じられています。8日は、出発区域での夜勤でしたが、最終フライトは4月から就航したU・A・E(アラブ首長国連邦)の航空会社の便で、10時過ぎの出発でした。同機の離陸を確認し、書類の後片付けや、職員同士のミーティングをしていたら、就寝が1時近くになってしまいました。

今週は、初めてですが入学式への参列が3回ありました。6日が中学校・7日が小学校・8日が高校でした。例年、仕事の都合で入学式の場合は、どれか一つに絞っていたのですが、たまたま今年は都合よく全てに出席できたのです。次男の通う高校では、入学式の後にPTA役員の選考があり、必ず3年間のうちに1回は何かしら役員を務めることになるので、立候補してクラス代表の役を受けました。

最初に任されたのが、クラスの保護者全員の連絡網作りでした。一人一人に保護者と生徒の氏名・住所・携帯番号・メールアドレスを紙に書いてもらい、それを私がまとめて、家で連絡網を作成しました。月末の総会で最終的にどの委員会になるか決定するそうですが、私は仕事で出席無理なので、女房に出席してもらうことにしました。3交替制の勤務ですから、今後は平日の活動にも参加できそうです。

消防団の小型ポンプ操法の練習も始まりました。これまでも他の市町村の消防団で教官として指導し、県大会まで導いた功績を持つ優秀な方が2名も来てくれています。その指導方法は厳しいながらも、なぜそうなるのか納得できる説明があり、選手たちも文句を言わずに頑張っています。全く顔を出さない団員がいるので、私からも携帯やメールで協力を依頼し、多くの参加者が集まるように努めています。

消防団の花見?

2010年04月09日 23時48分48秒 | 消防団
今夜は、2回目の小型ポンプ操法の訓練がありました。初回は、雨のために地元の消防署車庫を利用しましたが、今回は正規の練習場所である町総合公園で行いました。選手は、ゆっくり見る余裕はなかったでしょうが、私たち補助員は夜桜を楽しめました。とても寒かったです。

現在の体調

2010年04月08日 06時55分21秒 | 健康管理
6・7日と続けて学校の入学式に参加したのは、既にブログで紹介済みです。実は、うっかり二日ともマスクをしないで、学校までの往復3㌔を歩いてしまいました。花粉を吸い込んだせいか、目は異常にかゆくて疲れ、身体全体も重く感じて体調が良くありません。午前中の入学式から帰宅し、昼食を取った後は、眠くて仕方ないので、2時間前後も昼寝をしてしまいました。

6日は無理して、夕方に自主トレで走りました。以前でしたら、この体調では走りませんでしたが、今なら精神的に頑張れるようです。当然ながら、運動する際はマスクをしました。しかし、7日は雨でしたので、両方の膝も痛むし外へ出る気になりませんでした。今日は、これから次男の高校入学式に出席するため、女房・次男と共に車で出かけますので、運動出来ません。

入学式のため2時間の有給休暇を取ったとはいえ、夜勤が待っているので、前回の4日同様に、睡眠不足が予想されます。願わくば、最低4時間の仮眠は確保させて欲しいものです。前回は、赴任期間中の課長が不在のため、無事に最終フライトの乗客をさばいて片付けをした後に、多くの決裁文書を私が点検することになり、仮眠ベッドに辿りつけたのは1時半でした。

日本プロ野球界の宝が逝く

2010年04月07日 16時15分12秒 | 日本の野球
巨人の木村拓也内野守備走塁コーチが、本日未明に「くも膜下出血」のため死去されました。1991年に日本ハムに入団後、広島、巨人と3チームを渡り歩き、内外野に加え捕手も守れる選手として活躍しました。昨年の試合では、捕手が負傷しチームの緊急事態に、彼が捕手を務めたことを多くのファンは覚えています。

昨年、19年間続けてきた現役を引退し、今年からコーチとして選手の育成に取り組み、これから第2の野球人生が始まる矢先の37歳でした。本当に惜しい方を亡くしました。巨人だけでなく、日本のプロ野球界から見ても貴重な存在であり、正に宝物と言っても過言ではない素晴らしい人物でした。ご冥福を祈ります。

こんなニュースを見ると、神様はどうして彼の人生をあのような形で終わらせたのか?と恨みたくもなります。あれが、彼の運命だったとは絶対に信じられません。高齢の方ばかりの病気だと思っていたのに、37歳のスポーツ選手がくも膜下出血で亡くなるとは、他人ごとに思えません。人の命について考えさせられました。

小学校の入学式

2010年04月07日 12時20分51秒 | PTA&学校(19年度~)
今日は、異動による時間調整のため日勤でしたが、有給休暇を取って休みました。庶務担当者の話では、元々4週間に1度もらえる時間調整で休日に当たっていたそうです。せっかく休めたので、地元小学校の入学式へ来賓で出かけてきました。昨日は姪(弟の次女)の中学校入学式で、今日は甥(弟の長男)の小学校入学式、そして明日は我が次男の高校入学式と3連続になります。

幼い子供たちは、とても初々(ういうい)しく見えました。新入生は107名ですが、新興住宅地に引っ越してきた家庭の子が半数以上を占めているのには驚きました。ちなみに、私の住んでいる地区の子はたった2名です。今年の式では、「2年生からの歓迎のことば」として、2年生が全員で座っている新入生を囲み、「大きなカブ」の寸劇をミュージカルのようにして行いました。

これまで、10回程度は地元小学校の入学式に出席してきましたが、このような試みは初めてであり、とても感動しました。1年経てば、あんなに立派な寸劇ができるようになるのかと、列席の保護者や来賓は感じたことでしょう。来賓席ではカメラ撮影が出来ないため、寸劇の様子をご紹介できず残念です。その代り、桜が満開で見事な風景の、校舎周辺の写真を掲載しました。

新戦力がパワー全開

2010年04月06日 16時19分00秒 | アメリカ大リーグ
イチロー選手が所属する大リーグのシアトル・マリナーズは、今日が開幕初戦でした。アスレチックスのホームでのゲームでしたが、序盤からマリナーズが積極的に攻め、試合の主導権を握っていました。中でも、トレードでマリナーズに新加入したフィギンス・コッチマン両選手の活躍が目立ちました。二人とも守備は間違いなく大リーグを代表する上手さを持っています。

さらに、フィギンス選手はイチロー選手を凌ぐ足を生かしての盗塁が得意で、今日も彼の足が得点にからんでいました。2四球2盗塁2得点は見事です。そして、コッチマン選手の打撃は、今日5得点のうち、彼が4打点を荒稼ぎしていました。今年のマリナーズは、たとえイチロー選手が敬遠で歩かされても、前記2名の活躍で得点能力が昨年に比べて格段にアップしています。

手術などで出遅れているリー投手が、例月に復帰すれば彼の左腕も期待出来ます。かつてのサイ・ヤング賞受章者であり、15勝は確実に計算できることでしょう。イチロー選手も、今季のチームは本気で地区優勝が狙えるものと期待しているはずです。GM(球団の代表)が、よくぞこれだけの実力者を補強したものだと拍手を送りたいです。今度こそ優勝だぞ、頑張れマリナーズ!

中学の入学式

2010年04月06日 12時04分14秒 | PTA&学校(19年度~)
今年の入学式は、天気にも恵まれたうえに桜の花が満開で、とても印象深いものでした。来賓席は体育館のステージ上のため、さすがに写真撮影は無理なので、式が始まる前の風景をカメラに収めておきました。偶然にも、先日地元の小学校を卒業した弟の次女が、1組になったために最前列に座っていたので、表情が来賓席から手に取るように見ることが出来て良かったです。新入生は、皆が緊張していて、座りながらの礼の仕方もぎこちない感じでした。

3月に卒業して行った生徒数と、ちょうど同じ数だけ新入生が入ってきたそうです。初めての学生服でフレッシュな感じがするものの、女生徒のリボンの色が紺で少し違和感がありました。私が学生時代もそうでしたが、伝統的に1年が赤・2年が緑・3年が紺と決まっていたためです。22年度からは、校則が変わったようです。来賓席で隣りに座った方は、私が地元小学校のPTA会長をした際の前任者でしたので、気軽に話せて会話がはずみました。

目指せ県大会!

2010年04月05日 23時52分57秒 | 消防団
今晩から、いよいよ我が消防団の小型ポンプ操法訓練がスタートしました。あいにくの雨で、練習場が予定していた総合公園内のグランドから、消防署の車庫内に変わりました。初めてお会いする二人の教官は、これまで数々の功績をあげてきた方だそうで、厳しいけれども理論的に説明できる指示なので、選手たちも頑張っていました。

最終的には、7月4日の郡大会までに合計34回の訓練予定を組みました。消防団長の挨拶の中で、これまでの当町消防団では、県大会3位というのが最高だそうです。目標は高い方が良いので、まずは郡大会で1位か2位になり県大会進出を目指すことになりました。くれぐれも選手4名は、怪我や病気で倒れないよう、頑張って欲しいです。

初日は、消防団本部から団長以下4名、我が分団からは8名が集まりました。欲を言えば、もっとたくさんの消防団員が集まり、ヤル気を教官に示したかったです。分団員の半数近くも欠席したのが残念です。長い期間にわたって続く訓練なので、是非ひとりでも多くの団員が訓練に顔を出し、選手の活躍を応援できるような態勢を取りたいです。

消防団活動も明日スタート

2010年04月04日 10時26分16秒 | 消防団
4月5日は平日ですが、地元消防団の小型ポンプ操法の訓練がスタートします。昨年の町消防操法大会で、地元消防団の選手が準優勝に輝きました。昨年は優勝分団が、今年は準優勝分団が郡大会に出場する決まりがあるため、7月の郡大会目指しての練習が早々と4月初めから行われることになったのです。

噂では、相当厳しい教官が2名も教えにきてくださるそうなので、気を引き締めて頑張りたいです。通常、地元消防団の操法訓練は回数一ケタが多かったので、今回40回程度も訓練予定を組んでいるのですが、選手や補助の私たちの体力がもつか心配です。それぞれ、本業をもっていますから、まずは本業優先です。

訓練は夜8時に開始するので、それまでに小型ポンプなどの準備やウォームアップを済ませなければなりません。幸いにも、私は明日が夜勤明けなので参加は問題ないのですが、何名の分団員が集まるか心配です。初日に選手+補助数名ではかっこがつきませんので、なるべく大勢集まって欲しいものです。

初日で仕方ないのだけれど…

2010年04月04日 00時04分55秒 | 職場22年度~(成田)
全く、情けないです。昨日が新年度初日だったというのに、ドジを何度もしてしまいました。まずは、扉のテンキーの問題でした。1日に私が引継ぎで教わった番号だけでは、少しばかり不十分だったようです。現場への出入り口は二つの関門となるテンキー付きの扉があるのですが、その番号が分からずに入れなかったのです。仕方なく、事務室まで戻って他の夜勤班の職員に番号を聞いて、私が行くべき現場へ出直しました。

その次は、現場のコンピューターの使い方でした。2年前に私が居た頃とは、かなり違っていまして、他の職員に教わりながら扱いました。分からなくなる度に、近くにいる職員に助けを求め、恐る恐るキーボードを叩きました。東京の職場では、同じ部屋で、書類とにらめっこをしてのデスクワークが殆んどでした。しかし、成田空港では、大勢の乗客や乗務員を相手に、殆んど座ることもなく、数時間も立ちっぱなしでした。

目が回る程、職場環境が変わり、トイレに行く余裕さえありませんでした。ようやく昼食が食べられたのも、飛行機の乗客が途切れた午後3時前でした。新しい職場は、飛行機の運航スケジュールや乗客の数によって、食事の時間が変化し、普通の時間に食べることは滅多にないようです。確か、私が2年前にいた頃も、泊まり勤務の際は、12時に出勤して3時頃に食事をしましたが、それは夕食の変わりだったのです。

つまり、夜勤の時は、最終便の到着まで付き合ってからの後片付けがあり、ようやく食事をとるにしても、午後11時過ぎとなります。翌日の朝は、6時からどんどん飛行機が到着するので、あまり遅くまで食事をしたり、同僚と歓談したりしている訳にはいきません。仕事中は、殆んど同じ班のメンバーとは別行動でして、話す時間が充分ありませんので、なんとか積極的に話しかけるチャンスを作りたいと思います。

やっと正式な着任

2010年04月03日 06時06分41秒 | 職場22年度~(成田)
既に1日から新年度が始まっているというのに、私の場合は勤務調整の関係で、今日が正式な着任日となります。1日は、スーツ姿で非公式に成田空港支局の職場を訪ねましたので、今朝は普段着で初出勤することにしました。通勤時間は、自宅の玄関から職場の入口までが1時間弱となり、今までより1時間以上も通勤が楽になりました。

私の3交替制勤務は、日勤→12時出勤で翌日10時45分までの夜勤そして非番→休日の4日サイクルを繰り返します。そのため、曜日は関係ありませんし、GWや年末年始の連休はありません。しかし、平日勤務の職員同様、夏には3日間の有給休暇がもらえるし、祭日や年末年始は特別手当がつきますので、家族のため頑張って働きます。

成田空港内の制限区域への入口は、全てテンキーで関係者専用の数字を入力して入ります。1日は初めてだったので、その数字が分からずに、遠回りしてガードマンが立っている入口から入りました。しかし、1日の引継ぎでその数字も教わりましたので、今度は地下の空港駅から最も近いドアのテンキーを押して入り、近道したいと思います。

走ることへ一直線

2010年04月02日 11時59分57秒 | スポーツ一般
オリンピック2大会連続でメダルを獲得した偉大な女子マラソンランナーである有森祐子さんについて、NHKの教育番組「となりの子育て」で特集されていました。浅野温子さんと平田オリザさんが、岡山へ育ての親を訪ねてのインタビューは、彼女の生い立ちから家族の様子、陸上との出会い、現在の活動についてなど、感動的に紹介されていました。

中でも驚いたのが、幼い頃から目立っていた有森さんの精神面の強さでした。小学校で走ることへ興味を抱き、中学では陸上部が休部状態であったのにも関わらず、一人で練習を積んで校内陸上大会では好成績を収めていました。高校では陸上部への入部を断られても、諦めずに顧問の先生にしつこく頼み続け、粘り勝ちして入部を認めてもらえたそうです。

高校時代は、体調不良が影響してか目立った成績はなかったのですが、顧問の先生から東京のN大学に推薦してもらえ、上京し初の寮生活を始め、陸上を続けたとのこと。周囲からは、卒業し先生となるものと思われていたところ、走ることへの情熱が捨てきれず、業団へ進み、そしてマラソンに転向し才能が花開き、オリンピック出場となりました。

彼女の功績は、自らの努力だけでなく、ご両親の厳しい躾も好影響を及ぼしていると思います。残念ながら、お父さんは既に他界されていましたが、退職金をつぎ込んで彼女の資料館を岡山に建設するほどの応援ぶりは見事でした。実は、私が新しく遣り甲斐を見つけた活動こそ、有森さんに密接な関わりのあることなので、後日ご紹介したいと思います。