オーストリア皇后エリザベートを描く映画「Cosage」予習のため(?)1972年の「ルートヴィヒ」を見ました。40年前の日本公開時には約3時間でしたが現在の完全版は4時間の大作です。
エリザベートはルートヴィヒの従姉妹で8歳年上、登場回数は多かったです。
彼女は映画の始めの頃19歳で戴冠したルートウィヒに結婚話をし「自分は16歳だった」と言ってました。でもルートヴィヒはエリザベートが大好きなんですよね〜。彼女以外の女性には興味がなく、一旦は王の務めとしてエリザベートに勧められた彼女の妹ゾフィーと婚約します。この辺までは自分の趣味より義務を優先させる理性が働いたんですね、それがのちにどうしてもゾフィーに何の興味もないことから婚約破棄してしまう。それが彼の中で公務よりオタク活動を優先させた転機に見えました。
4時間の間、カメラは淡々と、淡々と喋る人たちを映していきます。初めはそれが今のテンポの良いストーリー展開に慣れた私には辛くて、「すべてを台詞で語る日本製映画みたいじゃん・・・」とまで思ったんですが、語ってる人たちはドイツの本物の宮殿で喋ってるわけで、実はそれを観れるということが、本物の貴族どころか王族の生活を観れることに意味がある、とのちのち王が発狂したとされ退位させられ移った先の簡素な家(と言っても屋敷)の白い壁を見て実感しました。
王族の暮らす室内といえば金箔と濃い色はベルベットの深い光を吸い込む布。もうNetflixのザ・クラウンが軽〜く見えますからね、ドイツの本気!
そういう部屋で子供の頃から神話のオタクだった王様が、敬愛したとされるルイ14世のように王としてうまく生きられなかったのは何故かしらと考えてみたら・・・
大の女好きだったルイは何人も愛人をとっかえひっかえしても、お金いっぱい使って田舎に大宮殿建てても許されたのに・・・まあ政治をちゃんとしてたのが1番ですけど、
ルートウィヒと神父の会話に「罪と愛」が出てきて、キリスト教の愛とは結婚して子供をもうけること、それが神の示した道だとされて、一方罪とはそれをしないこと・・・映画ではっきり言われないですが、美男子趣味に罪の意識を持つことで、自己肯定感が持てず、現実逃避への道〜狂気〜自滅へと至り太陽光とは正反対の狂った王として歴史にその魂を残した王に、同じ趣味を持つヴィスコンティ監督はいたく共感、自己投影してこの作品を撮ったのかな・・・と思いました。
エリザベートの予習にはちっともならず、最初はヘルムート・バーガーも王様に似てるけどそんなに好きにもなれず、しかし見てるうちにどんな時もエレガントな王様にけっこう肩入れしてヴィスコンティの思惑にまんまと・・・
監督に関しては「ベニスに死す」のビョルンの証言などで私の中でセクハラ&パワハラの人になってるので昔のようにただひれ伏すことはないのですが、才能を否定することもまた出来ないのだなと。
ところでアマプラで見たんですが、イタリア語なんですよ〜、なんでドイツ語版じゃないの〜
4時間の超大作、おつかれさまでした。私はその昔、大学の図書館のAVコーナーの個人試聴エリアにたてこもり、小さいブラウン管&VHSテープで観ました。若かったからこそできるムチャだな、今ではムリ(笑)。
>もうNetflixのザ・クラウンが軽~く見えますからね、ドイツの本気!
これだからヴィスコンティ映画は無視できないんですよね~。同じ場所で撮影しても、あの贅沢な空気は出てこない。不思議なもんです。
>>小さいブラウン管&VHSテープで観ました。
ううう!ご自宅で見直すと今ならエクストラで1時間追加も!
私は映画館で見ましたが字幕読んでも色々ピンと来ず眠くなりましたが
今見たらいったい何がわからなかったのか難しい事は何もなかったです。
>>同じ場所で撮影しても、あの贅沢な空気は出てこない。不思議なもんです。
パワハラできるパワーがあってこそできる技もあるのかと・・・(涙)
かなり昔観ました。
ルードヴィッヒは12歳の時に観た歌劇ローエングリンに大変な感銘を受けてそこからワグネリアンになったそうです。私も10代半ばに観ましたが感性のレベルが違うのか特に何も起こりませんでした笑 劇場とテレビではそもそも別ものですが。
でも、アーサー王伝説をひと通り知った今、ローエングリンが円卓の騎士パーシヴァルの息子と知って、おーーっ!となっています。アーサー王伝説はまさにヨーロッパ文化の土台なんですね。
若い王に経験を積ませず、小さい失敗を重ねさせてさせてプライドを折る。政治への関心をそいで趣味の世界に逃げ込むようにし向ける。手に余れば狂人に仕立て始末する。宮廷の高官らの連携プレーで何とでもできただろうことは想像に難くありません。権力の根拠が単に「血」ですから脆いものです。
ルードヴィッヒとシシィは感性に同質のものがあったと思いますが、彼女には彼にない強さを感じます。親愛とか憧れとか彼はいろんな風にシシィを好きだったでしょうね。
ヨーロッパの、しかも王族ですので12歳でも経験値の差により
受容体も我々とは違ったものを持っていたことでしょう^^;
でも我々だって貸切り劇場の最上席で本物に触れてたならわかりませんよ。
>>ローエングリンが円卓の騎士パーシヴァルの息子と知って、おーーっ!
極東の我々だってこうして遠くの文化を学習できてます!えっへん!
>>若い王に経験を積ませず、小さい失敗を重ねさせてさせてプライドを折る。
そんなことがバイエルンの宮殿で?それはこの映画だけじゃわかりませんでした・・・
>>権力の根拠が単に「血」
それでもこうして王座から引きずり降ろされるのって、
王権システムには理性があるのかないのかよくわかりません。
王の弟オットーも戦争に行って精神を病んでしまいましたが
気の弱い兄弟だったみたいです。
事実ではなく私見でした。
プライドが高く繊細な彼は小傷を受けるだけで割と簡単に他の方を向いたんじゃないかなと思ったまでです。
狂ってたと言われる彼の莫大な浪費によって潤った人間たちが確実にいます。
彼の死についても謎のままで「自殺…かな、いや、、、??」同じくシシィもルドルフもいきなり死にますが、「相手は誰でもよかったテロリスト」とか「情死、、、違うかも」とか、色々不透明です。
王政だけど絶対王政はすでに過去。そろそろ血縁で支配する制度も限界と悟る感性があったのでは。政治から遠ざけられる不都合の理由があったように思います。
> オットー
細かいところを失念してるので昨日アマプラで観ました。
血族婚を繰り返す中で生き物としての活力が失われていったのかもしれませんね。
「
確かになぜイタリア語?
「いおそーのーたんとたんとふぇりーちぇ」と言うシシィでした。
>>事実ではなく私見でした。
おお!素晴らしい洞察力です!
>>彼の莫大な浪費によって潤った人間たちが確実にいます。
ワーグナーとか美青年とか
彼が反発を買ったのは嫉妬によるパワーも大きかったでしょうね!
>>死についても謎のままで
ヴィスコンティ映画は仮説の一つである自殺を取り入れたまでなんですね。
これを覆す創作作品が出たらみたいです。ドラマがありますけど未見。
>>絶対王政はすでに過去。
一党支配の腐敗と同じですね。すでにフランス革命後ですからねえ、
イギリスみたいに立憲君主制がうまく機能してなかったし
ドイツ統一もありましたし。なんで諸国で生き残れなかったんでしょうね。
>>血族婚を繰り返す中で生き物としての活力が失われていったのかも
ルートヴィッヒのセリフでもそういうのありましたね!
>>「いおそーのーたんとたんとふぇりーちぇ」と言うシシィ
王族が私の知ってるイタリア語喋ってるとものすごく親近感持ちました^^
散歩から帰らないルードヴィッヒと博士を探しに行くホルスタイン伯爵は「合図用」の銃を手にしています。つまり2発の銃声はこれだという暗示と受けとりました。まずルードヴィッヒを、次に目撃者の博士を始末して、計2発かなと。
訪ねてきたシシィに帰ってもらうシーンがありましたが、実際には初めから取り次いでないのではないかと。断られても諦めず彼女は近くのホテルに滞在します。彼女はルードヴィッヒの身の危険を懸念して助けようとしたという説があるそうです。一方ルードヴィッヒの周囲は彼のオーストリアへの亡命を懸念。一刻を争う中で、身柄を拘束されてすぐに暗殺されたとも考えられます。
もしそうならば彼が最後まで統一ドイツに反対していたのが理由でしょう。自殺するにしても王に相応しい最期を夢想するタイプのように思えます。
ノイシュヴァンシュタイン城には亡霊が出るという噂がありますが、色々納得できてなさそうではありますね。
>>「合図用」の銃を手にしています。つまり2発の銃声はこれだという暗示
わざわざ周りに見せて行きましたから、近い人にはわかりますね。
でも水に入ったのは王の意思だし銃殺されたのは博士だけだったのかも
検視の結果も権力でどうにでもなるでしょうから、「謎の死」と。。。
>>自殺するにしても王に相応しい最期を夢想
「飛び降りは無残だけど水死は肉体の損傷がないからいい」
とわざわざ言ってましたね。すぐ発見されたからいいけど
水の中に長時間いたらパンパンに膨れるとも聞いたことがあるんですが
王は知らなかったのねー^^;