そば実践 素庵覚え書き

庵主のホビーライフをそば打ち・そば屋さん・出前サロン・陶芸・釣りなどを通してご紹介します。

  国内での「そば切り」のこと

2018-02-17 | うんちく

国内での「そば切り」の初出は、1574年の長野県の大桑村の「定勝寺」の古文書にあった「そわ切り」の記事と言われているというのが庵主の浅学な知識でしたが、それまでにもいろんな本の中に「蕎麦」の石碑があることを思い出しました。
考えてみますと長野県のあるお寺に急にお蕎麦の話が出てくること自体がおかしいというか、そのエリアに石臼などの製粉の技術のことやそば打ちの技術のことの資料が何もなく、そばきりの要素と脈絡のないことがおかしいことではあります。
知識というか情報としては、おそばの発祥というか関連の記事については、今まで塩尻市の中山道本山宿の「そば切り 発祥の里」を現地で見ていますし、ある本の中に山梨県の天目山栖雲寺の「蕎麦切発祥」の碑、1614年の慈性日記にもそばについて触れられている箇所がありますが、今回久しぶりに「そばもん19巻」と20巻を再読してみてそこには、「そば切り発祥伝説」として博多編、京都編、信州編と3部門に分かれて、面白くまとめてありました。博多編はそば切りが発祥するための三つの条件として①材料があること②そばの実を粉にする挽き臼があること③粉を麺体にする技術と道具があることの条件を前提に、承天禅寺の邸内の「饂飩蕎麦発祥之地」の碑からそばがここは方から始まったという話が展開され、京都編では抹茶製粉の石臼や動力水車がお寺にあった事実を基本に話が展開され、信州編では1706年刊の「風俗文選」に基づく話が展開されています。詳細は「そばもん19号」と「そばもん20号」を読んでいただくとして、共通語としては臨済宗の禅寺があり各地での禅寺の活動によって「そば」が日本各地に展開されて行って広がっていったようです。無論、石臼や機械挽きの基本の水車と石臼について1242年の博多承天寺での聖一国師が伝えたといわれる「水車と石臼」の話があり、それが日本での発祥の基本のように思われますが、それはあくまで粉食や粒食の「蕎麦」であって「そば切り」ではないようです。
今まで自分自身としては、「蕎麦」の栽培としては722年の続日本紀の元正天皇の詔が初見かと思いましたが、あくまでも「蕎麦」の所見であって食べ方などは、粉食というよりも粒食での食べ方であったかと思います。
ともかく詳細は「そばもん19号」と「そばもん20号」に掲載されていますので、そちらで確認してください。

 

 

 

 

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