そば実践 素庵覚え書き

庵主のホビーライフをそば打ち・そば屋さん・出前サロン・陶芸・釣りなどを通してご紹介します。

蕎麦春秋

2019-07-21 | 蕎麦の書籍

久し振りに「季刊のそば読本 蕎麦春秋」を1号から目を通しました。
とは言っても、「蕎麦を科学する」記事があった昨年は購入して読んだのですが、それ以外はここ数年は控えています。

今回たまたま,江戸ソバリエの理事や講師をやっておられるほしひかるさんと話すことがあり、蕎麦春秋に掲載されている氏の「暖簾めぐり」を纏めてみました。

庵主は30号くらいまでは定期購読していましたので、その間の記事をまとめたにすぎませんが、氏は歴史の範疇に造詣が深く、お蕎麦屋さんの「暖簾」を基本にまとめているシリーズものは、なかなかのものです。
東京を中心ですが暖簾巡りということでの記事を、ポイントのみをピックアップしてみました。

ほし ひかる 「蕎麦春秋」記事エディット

vol14 暖簾巡り「長寿庵」223店 暖簾の源流 采女会・十日会・実成会・四之橋会

     1706年 三河屋           ちょっとした料理と酒と、最後に蕎麦

vol15 暖簾巡り「巴屋」54店 山本庄左衛門 「近江の福助」原点 三方良し

     1830年 巴屋同盟会        屋号は赤穂大石家二つ巴

vol16 暖簾巡り「満留賀」94店 道徳会をベース 愛知県豊川市

     1901年 満留賀会麺業協同組合   一人一人の根性と信念と団結

vol17 暖簾巡り「浅野屋」32店 和久井鉄蔵・仙夫妻

     1899年「浅和会」 出来るだけレトルトは使わない。

vol18 暖簾巡り「尾張屋」

     1870年 雷門通り尾張屋:蕎麦食い地蔵尊・1923年 神田尾張屋 6店

     1892年 尾張屋のれん会 31店:松本家・島田家・志村家

vol19 暖簾巡り「更科」更科直営店 総本家更科堀井「更科そば」

     1789年 布屋太兵衛  信州更科蕎麦処「布屋太兵衛」

     2010年 総本家更科堀井 九代目 堀井良教「ザ・カリナリー・インスティチュート・オブ・アメリカ」でスタンディングオベーション

         築地さらしなの里・大井布恒更科・芝大門更科布屋

vol20 暖簾巡り「本陣房」直営11店 社員独立80店

1978年 本陣 房(高級な部屋)「惜福・分福・植福」

vol21 暖簾巡り「「大村庵」62店「大むら」56店 地縁と血縁

     1954年 大村庵:大村兄弟会 渥美半島赤羽村

     2958年 大むら:大むら親子会 渥美半島伊良湖岬

vol22 暖簾巡り 横浜元町「一茶庵」 片倉康雄の教室方式の提唱

     1926年 一茶庵 江戸時代のそば通 日新舎友蕎子を目標

     1933年 大森 1954年 足利市 1973年 日本蕎麦大学講座

     1985年 神楽坂 「一茶庵そば・うどん手打ち教室」

     食はすべてそのもとを あきらかにし 調理をあやまたず そこのうことなければ 味わいすぐれ 体を養い、病をもいやし よく人を作る 

vol23 暖簾巡り「銅子会」と「木鉢会」家族的な絆で結ばれた老舗団体

     1952年 銅子会:江戸そばの老舗二代目以上の旦那衆  37店

     1958年 木鉢会:銅子会の子弟、三代目以上現役の店主たちの勉強会

          鰹節のエキスは10分で抽出できる

     1980年 第二期木鉢会 会長 神田まつや六代目「小高孝之 20店

vol24 暖簾巡り 「総本家 小松庵」町場のそば屋から飲食ビジネスへ

     1922年 駒込 染井の里で開店そば、チャーハン、鰻

     1992年 池袋メトロポリタンプラザへ出店 95年 手打ち

     2010年 蕎麦の学校 蕎学舎 
ディナーレストランを目標。

vol25 暖簾巡り「砂場」蕎麦屋最古の暖簾を継承 和泉屋・津国屋

          砂場会 120店

     1587年 大阪城築城 いずみや まかない的形態

     1657年 守貞慢稿 日本の食店の鼻祖は待乳山聖天前の奈良茶屋

     1748年 薬研堀大阪砂場そば大和屋

     1781年 浅草黒船町角砂場蕎麦

         巴町砂場、南千住砂場、室町砂場、虎ノ門大阪屋砂場

         汁に合わせて外二八、返しは本返し3か月寝かせる

vol26 暖簾巡り「玄庵・江戸東京そばの会」食材の質を落とさない

     1996年 そば教室「江戸東京そばの会」

          「体験教室」「インストラクターコース」「「プロコース」

     1997年 手打ちそば「玄庵」   卒業生 蕎麦屋200件

vol27 暖簾巡り 越後屋「蕎友会」(のれん会)と「花粉会」(蕎麦研究グループ)

時代が変わる中何をすべきか

     1907年 無識庵越後屋 

vol28 暖簾めぐり「竹やぶ」自分らしさを貫く「阿部ワールド」 22店

          池之端やぶ~名月庵田中屋  師 小島政二郎、大村義信

vol29 暖簾めぐり 朝日屋会 1906年 稲廻家へ奉公

一族の絆と発明の知恵

     1918年 朝日屋会結成  51店  1959年そばの出前機

vol30 暖簾めぐり 達磨グループ 33店

     1975年 「翁」開業 カウンター席のあう蕎麦屋

     1986年 長坂「翁」 良いそば粉とよい水

     2002年 広島長坂町「達磨」        

 vol31 暖簾めぐり 流石グループ 美味しいもの好き  5店

     2004年 流石(さすが)



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殺したい蕎麦屋

2018-08-11 | 蕎麦の書籍

借りた本を返却に図書館へ行った時に、偶々「殺したい蕎麦屋」のタイトルの本を見つけて借りてきて読んでいます。
本屋さんへ行った時に蕎麦の名前が付いていると、取り敢えず購入していますが、この「殺したい蕎麦屋」の名前は覚えていませんでしたが、ともかく初めてとは思えないどぎついタイトルでした。
その作者は椎名誠さんですが、今までこの作者の作品は読んだことがありませんので、丁度よい機会と手に取ってみたものです。
この内容は、色んな本へのエッセイ集を集めたもので、海外旅行中での食べた食事のエッセイ等が面白おかしく書かれていました。
やっと目次に従って[殺したい蕎麦屋]が出てきました。
読んでみるとどこかで読んだ記憶がよみがえってきて、収集先を見て見ますと山下洋輔編「蕎麦処 山下庵」小学館所収と書いてあり、思い出しました。


この[蕎麦処 山下庵]はジャズビアにストの山下洋輔さんが[蕎麦もジャズも大人のもんだ]との帯タイトルのもと、蕎麦へのこだわりを持つ蕎麦者の30 のエッセイが集められて名店話が書かれていました。その一つに椎名誠さんのエッセイがありました。
そのエッセイは『殺したい蕎麦』のタイトルで何故かこちらには『屋』は付いていません。

それ以外は全く同じ内容で、屋を付けるかつけないかは、少しドギツイタイトルで読者へアピールしようとしたのか、たぶん洒落くらいのものかと思われます。
面白いのは、メインタイトルが[殺したい蕎麦屋]の方は、245 ページのうち、その中で4ページを占めていて1.6 %のウエートですが、[蕎麦処山下庵]の「殺したいそば」の方は、5 ページに書かれて2.3 %のウエイトです。
書かれている内容は、あるお蕎麦屋の蕎麦の「量」や「雰囲気」などをテーマに、面白おかしく椎名誠流に書いているものです。

山下洋輔さんとは面識はなくコンサートに2~3回行ったくらいですが、彼のマネージャーであり(あった)ジャムライスという会社の社長の岩神六平さんとは広島に居た時に出会いがあって、それ以来少ないですがお付き合いがあって、山下さんには親近感を覚えていたことがあり、「蕎麦処 山下庵」にすぐに手が伸びました。
この山下庵で紹介されているお蕎麦屋さんは、例えば浅草の大黒庵なども紹介されていてなかなかユニークなものです。

こんな本もありました。


 

 

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ニッポン蕎麦行脚 そばもん 17

2017-10-28 | 蕎麦の書籍

先回に続いて、そばもんからの紹介ですが、vol17は「出雲そばルネッサンス、冬将軍の蕎麦、神田藪そば年代記」ですが、「出雲そばルネッサンス」は、島根県出雲エリアでのおそばや、小泉八雲の話などから構成されています。
お蕎麦の話は 「江戸そば」と「出雲そば」を比較しながら紹介されています。

「江戸そば」は口の中を通過していく麺と口腔内の粘膜との接触感などの「のどごし」を楽しみ、細長い麺をすすりこんで楽しみ、工夫を重ねて小麦粉のつなぎを入れて麺を細く長く仕上げました。あまり噛まずにつるりと飲み込むスタイルです。こののどごしのうまさを楽しむ場合、麺の味もさることながら食感が重要となり、出汁の取り方も独特で、麺は食感を楽しむもの、味はそば汁で楽しむものとして続いてきました。それに対して郷土そばの一つである「出雲そば」はつるりと飲み込むのではなく噛んで食べるそばで、どちらかというと色も黒くてちょっと太めで短めであり、出雲の人達は自分たちの食べるそばを親しみを込めて「ドジョウそば」とも呼んでいます。そばもん17巻では、関東風になることを意識的に拒否した名店「ふなつ」のお蕎麦を紹介し、合わせて松江、出雲エリアの割子そばを紹介しています。

この名店「ふなつ」の槻谷さんのお蕎麦については、以前、そばWebの片山さんの主催で出雲ならぬ東京で行われたイベントに参加して、蕎麦打ちとそばを拝見させていただいたことがあります。その時の様子は以前ブログでご紹介しましたが、VOL17関連ということで再度紹介させていただきます。

 写真家で蕎麦の著述の作品もたくさんある片山虎之介さんが主宰する「そばWeb 課外講座」を受講してきた。
第1回目は一昨年妙高の「こそば亭」で行われ、昨年は今日と同じ会場で下呂の「仲佐」と 妙高の「こそば亭」の両店主の蕎麦打ちを勉強し、
今年は松江市の名店「ふなつ」の店主が講師で、「本当の出雲蕎麦を知る」というタイトルのもとで、
奥出雲地方の在来種「横田こそば」を使っての蕎麦打ちの見学と「本来の出雲そば」を食味する会で、大変有意義ある会でした。

最初は「ふなつ」店主夫妻の紹介から始まり、次いで店主による「横田こそば」を使っての蕎麦打ちが行われ、
そのあと「割子そば」と「釜揚げそば」の試食、次いで対談形式で「出雲そば」と在来種「横田こそば」の解説が行われました。

  

「横田こそば」は米粒状と言っていいくらいの小粒のそばで、小矢川地区で栽培されている。
この小粒の様子は、写真の中の硬貨は50円玉ですし、蕎麦の千粒重は21gで信濃1号は30gということでも分かります。
この在来種は、澱粉が少なく、蛋白質が多く、小麦を入れると固くなるそうです。


今日の蕎麦打ちは、玄挽き1.2kgと抜き0.6kgをミックスしたそばこによる生粉打ちで、そば粉1.2kgに対し水は720ccと60%でしたが、
会が始まる前に打ったそばでは66%ほどとかなり入れます。
水回しの捏ねの段階では掌にもそばがべったりとくっついてしまう状態でしたが、そば粉が粗いことからか時間経過ごとにかなり固くなってくるとのこと。
延しの作業は、地元の出雲では丸く延していくということですが、この会場では四角く打っていく方法を取られましたが、
四角の角出しにはここだわらず、幅出しを重視して打っているが、延しの段階も一種独自性がある打ち方です。

     
そばは
1人前200gとのこと。ともかく大変切れやすい為、切り終わった後、包丁で掬ってアルミ箔に一気に載せて保管し、

湯搔く時にはそこから滑り落としてともかくストレスを当てないようにしている。

 

    
薬味は、ネギ、大根おろし、鰹節が用意されていましたが、「割子そば」「釜揚げそば」ともに何も使わずにいただきましたが、なんら、問題はありません。
食感は、秋田・由利本庄市の今は亡き「石碾屋」さんのおそばを思い出させるものでしたし、「釜揚げそば」は、本当にぶつぶつ状態で
片山さんいわく「そばガキ」状態であるが故に、このそばが旨いと感じる。 

   

 ここ2~3年片山さんが日本各地の在来種を「サライ」や「自遊人」に特集をとり上げて、その蕎麦の特徴や食味をアピールされている。
この「そばWeb検定大学」に入ったおかげで、希少価値高い「在来種」の情報と食味を経験できる機会を得ることができました。 

 

 

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そばもん 16より 「ソバの花ことば」

2017-10-26 | 蕎麦の書籍

ニッポン蕎麦行脚 そばもん 16の構成は、会津そば、そばの花言葉、明後日の汁 から構成されています。
ある夫婦が神田の蕎麦屋「まつや」へ通っていろんなお蕎麦を食べて、「そばの花言葉」が紹介されています。
 

「そばの花言葉」のコーナーでは、神田の蕎麦屋「まつや」でのそばのメニューや池波正太郎の作品などが紹介されていますが、併せて紹介されている花言葉は「懐かしい思い出」「喜びも悲しみも」「あなたを救う」の三つです。
「懐かしい思い出」は「そばを食べると昔のことを思い出す」ということのようですが、庵主にはこの花言葉は実感がありません。
このときのお蕎麦のメニューは「もりそば」と「ごまそば」で、「もりそば」では唐辛子の使い方が紹介されていて、
池波正太郎氏紹介の「そばの上に少しずつふっておいて食べる方法」が紹介されています。「ごまそば」は白ごまをあたり鉢で擂って盛り汁を加えるそうです。 

二つ目の花言葉の「喜びも悲しみも」では、お蕎麦のメニューは「月見そば」「揚げ天もり」ですが、「月見そば」の作り方が紹介されています。まずは温めたそばをどんぶりにあけ、その上に四つきりの海苔をのせる。そこに生卵を落とし、黄身がお月さま。その上からアツアツの汁を張ると汁の熱さで卵の白身が白雲のように変化する。そこへ青味を見越しの松に見立てて添えると秋の味わいとなる。これが「月見そば」の意味するところとのことです。
ここでも池波正太郎の小品「むかしの味」が紹介されています。「:「まつや」のきゃくはいずれも終日働きぬいている客だ。高い値段で二箸か三箸で消えてしまうそばをだすいわゆる高級蕎麦屋とは無縁の人達だ。時分どきにはそうした客で店ははちきれんばかりになる。: 」

三つ目は「あなたを救う」で、そばのメニューは「そばがき」「ふと打ち」「小判焼き」が紹介されています。
「そばがき」は別として「ふと打ち」は松屋の名物とのことで、このお蕎麦についても「まつやの太打ちと柚子切り・・・・ことに太打ちの蕎麦は遠いむかしの江戸の蕎麦を目前に見る思いがする。味も形態も、実に見事なものだ。現・当主の小高登志さんは(中略)黙々として、この町のこの店へ来る客のために蕎麦を打っている。」と池波正太郎氏は紹介されています。

ニッポン蕎麦行脚 そばもん 16 小学館  定価 本体600円+税

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そばもん 15 汁の鑑定

2017-10-16 | 蕎麦の書籍

ニッポン蕎麦行脚 そばもん 15 は 「そばLIVE IN」と「汁の鑑定」、「会津そば」の3章から構成されています。
その中の「汁の鑑定」は修行に出ている蕎麦屋の息子の話で、主人公の稜さんがそば屋の息子に汁の作り方について教えて家業につく話から構成されています。

 

その時の出汁の作り方は、
まず返しは醤油に砂糖を入れて沸騰させない様に煮返して冷暗所にねかせ、修行先から出汁を分けてもらってそれに返しを加えて汁の鑑定の訓練をする。そうしてもりそば、かけそばの味付けをして自分の店の暖簾の味を作るようにと指導している。
その訓練の方法は、そば猪口に出汁を2杯半と自分で作った返しを入れて出汁の出方=今日の出汁はしょぱいとか、甘いとか毎日の汁の味の違いを知る=を知る方法です。もう一つ高度な訓練は、出汁に返しを入れていき、出汁と返しのやじろべいがピタリと止まる地点を探す方法です。

素庵では出汁を作り出してから今年で15年くらいになりますが、基本の作り方はいろんな本に書いて紹介してあったお蕎麦屋さんの出汁の構成を参考にかつお節、昆布、椎茸などを使って出汁を取り、使う醤油はスーパーでいろんなメーカのものを買ってきて自分の好みの醤油を決めて返しを作って今に至っています。
かつお節、昆布、シイタケなどから作った出汁はその都度味を確かめてから、返しと合わせています。
具体的な作り方をご希望の方は、メールください。ご連絡させていただきます。


今日たまたまテレビで「京都の味」と言うことで、京都の老舗「瓢亭」でのだしの取り方が紹介されていました。
その方法は、昆布囲いで2年ほど熟成された利尻昆布を、40分程一定の温度で煮出して昆布だしを取り、鮪の削り節を煮出して昆布だしと合わせたものが1番出汁、今まで使った昆布と鮪節を再度煮立てて沸騰させて作ったのが2番出汁とのことです。この1番出汁は煮物椀で使い、2番出汁はおしたし、くず、白みそ合わせの汁などに使うとのこと。昆布についている白いマンニットは、普通はうっすらの状態で残しますが、瓢亭ではしっかりと取り去るそうです。

使っている昆布や節などの材料こそレベルが違いますが、出汁の作り方は同じでした。

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そばもん 13号より にしんそば

2017-08-14 | 蕎麦の書籍

ニッポン蕎麦行脚 そばもん13号を読んでいます。
この内容は、明治アラベスク:にしんそば、板わさの味などで構成されていますが、明治アラベスクでは「にしんそば」について歴史的な背景やにしんそのものの戻し方や作り方などが書かれています。
いまは「にしん」そのものは既製品で販売されていますが、たまには身欠きにしんから戻して作ってみるのも乙かと思います。 

「にしんそば」というとすぐに浮かぶのは京都の名店、「にしんそば「松葉」」ですが、その「松葉」での「にしん」の戻し方や作り方などが描かれています。
「身欠きにしん」は身が固くて脂とアクが強くそれらを抜くため、お米のとぎ汁や米糠などに浸けた後、番茶に浸けて煮るそうです。
味付けの仕方は、水、酒を沸騰させてにしんを半日煮て、醤油、砂糖、味醂で味付けして弱火で4,5時間炊き、一日置いて出来上がり。
このあとの「にしんそば」については、にしんの載せ方がポイントのようで、天ぷらそばのように、そばの上ににしんを乗せると、最初ににしんを口にするため後で食べるそばの味が負けてしまうため、にしんをそばの下に沈めるそうです。
そうすることにより、重いにしんの煮汁は下に沈め、最初にそばそのものを味合うことが出来、少し食べ進めるとにしんの煮汁がそば汁に溶けた、中間層の味と出会いそうして舌に少しずつ馴染んでいき、にしんと出会って「にしんとそば」の醍醐味を味合うということのようです。
手間暇はかかりますが、ともかく一度身欠きにしんを買い、米のとぎ汁をある程度確保してやってみるのもいかがでしょうか?

 ニッポン蕎麦行脚 そばもん13 小学館 @552円+税

 

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そば打ち一代  蕎亭 大黒屋見聞録

2017-07-31 | 蕎麦の書籍

一昨日お伺いしておそばを頂き、店主さんご夫婦といろいろお話させていただいた浅草のお蕎麦屋さん「蕎亭 大黒屋」をテーマにした本を銀座の「蔦屋」で見つけました。正直なところ、大黒屋さんへは2度目の訪問であり、事前の知識としては、そばWebの片山さんの「おすすめの十割そば」情報=十割そばのみであることや、十台余りの石臼で手挽きでの製粉であること=をもとに行ったのが一昨年で、その時には「せいろ」を頼んでそれなりにショックを受けていましたが、大黒屋さんのお店や店主さんについては、何ら知識がありませんでした。
今回、蕎聖と言われる片倉康雄の意見を聞いて修行したことや、片倉の次男のお店で修業したこと、東京から山梨~広島へ移った達磨の高橋邦弘とほぼ同期であることなど修行中の話をいろいろ聞かせていただき、お店なりのことが判りましたが、丁度この「そば打ち一代 蕎亭 大黒屋見聞録」を読んでより詳しい大黒屋さんのお店のことやご夫婦のこと、在来種を中心にしたお蕎麦の自家製粉の話、下呂の仲佐、妙高のこそば亭との交流などそばにかける情熱が大変判りやすく書かれています。

 

この本の構成は、無論本人さんからの取材が中心ですが、参考とされた書籍は50冊くらいのタイトルが書かれていました。その中の30冊ほどの本は自分が読んだことがありましたので、忘れかけていた内容が不思議によみがえり、自分のそばに関する知識の総棚卸の役目もすることとなりました。

繰り返しになりますが、一昨日に訪問したお蕎麦屋さんの本が初めて訪問した本屋さんでたまたま見つけたことに因縁を感じたところで、当然大黒屋さんをより身近に感じることとなりました。
大黒屋さんのお蕎麦の感想等は、3日前のブログをご覧ください。

 

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出汁の神秘

2017-02-27 | 蕎麦の書籍

 素庵の出汁は、羅臼昆布と鰹節と椎茸の3種類を水出しをメインに作っています。
出汁の通り方は、いろんなお蕎麦屋さんの作り方を参考に今の方法にたどり着きましたが、出汁関係の本の中には伏木亨さんの「コクと旨味の秘密」や最近出版された「だしの秘密」があり、読んで参考にしています。後者の「だしの秘密」に「科学と伝統の技が証明」の副題の元「究極のだしの引き方」が書いてあり、科学と人間の舌が証明した「最高に旨いだし」とあり、早速作ってみました。
それによりますと①鍋に分量の水(2000cc)を入れて昆布(30g)を加え、65℃に加熱します。加熱してから1時間。できるだけ65℃を維持して、昆布を取り出す。この65℃を維持してと書いてありますが、維持するのはなかなかむつかしいです。

  

② ①の温度を95℃に上げ、かつお節を一気に加えます。95℃に温度を揚げますと、前の作業の昆布のアク(?)なのでしょうか、表面が白濁して覆います。

   

一気に鰹節を加えるといっても、今回は粉かつお節ですので全体に広がります。
いつもは粉かつおはお茶パックの袋に入れますが、今回はそのまま加えてみました。

   

2分後、速やかに漉します。湯気ではっきり見えませんが、これで出来上がり。塩と薄口醤油を加えて出来上がりと書いてありますが、素庵の場合はそば用の辛汁であり、濃口醤油を使います。

  

一口飲んでみましたが、確かに平坦な味ではなく、奥行を感じました。
こうして作った辛汁と通常作っている辛汁を持って懇意なお蕎麦屋さんの大将の感想を聞いてみます。

だしの神秘 伏木 亨  朝日新書 @760

 

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そばもん 11

2017-01-24 | 蕎麦の書籍

ビッグコミックのニッポン蕎麦行脚「そばもん」はその都度テーマが決まっている。
11号は夏色のそば・三色のそば・大阪のそば文化・松茸そばの4テーマで構成されているが、そのうち「大阪のそば文化」は東京・京都・大阪の三か所でのご当地の「味」の経過について、その経緯が書かれており、自分の知らない部分であり、しっかりと理解するため、まとめてみました。

 

蕎麦そのものについては、京都大学の大西近江教授により、2005年に発祥の経緯が明らかにされました。その発祥は中国南部の東義河流域に誕生し、雲南省・東チベット・四川省の一帯の三江地域のメコン河・長江・サルウイン河あたりでそば栽培がされて漢民族に伝えられ、朝鮮半島を経由して九州に伝わったといわれ、蕎麦そのものの言葉は722年(養老6年)続日本紀の中での元正天皇の詔に見られるといわれます。
ただ初めの頃は米や麦と違って、殻が固く取れにくいので粒食には適さなかったようで、鎌倉以前はあまり普及しなかったが、1242年南宋時代の中国から聖一国師が水車と石臼による製粉技術を持ち帰ったころから粉食が広がり始めたようで、蕎麦団子やそばがき、そばもちなどが食べられるようになったようです。
「そば切り」という言葉が発見されたのは、1574年信州大桑村の定勝寺の文書の中で、その頃から今でいう「そば麺」が出てきたようです。
お蕎麦屋さんの老舗の三系統としては「更科」「砂場」「藪」がありますが、この中で「砂場」は江戸時代中期に大阪から江戸へ進出したとのこと。大阪はうどんの国と言われているが、「そば」は大阪城築城中の頃、資材置き場の一つとして砂利とか砂の置き場があり=砂場、津の国屋と和泉屋という麺類店があったといわれていて、その流れから現在の「砂場」が発祥したといわれています。

東西の食文化の違い:東は濃い色の汁、西は淡色の汁

(江戸):甘辛:厚削りしたかつお節を煮詰めて濃度の高い出汁を取り、濃口醤油と混合する。これで野菜や魚を煮ると濃度の高い汁は、低い食材へと浸透していく=附け味。江戸では食材に汁が染みこんでいるので、汁は飲まない。飲む場合はそば湯で割った。

(京):はんなり=メリハリがしっかりとしていて、シンプルで落ち着いた上品な味わい。
料理の基本は「酒塩」(さかしお)=酒に塩を飽和状態になるまで加えて煮溶かした基本調味料。この酒塩に材料を漬けこんだり、焼き物の仕上げに塗ったりした。
出汁は昆布を表に出し、かつお節はあとに控える。味醂、砂糖は加えない。甘い味は下品。食材そのものの色と味が生かされる淡色文化。
附け味に対し上方の味は出汁の濃度が高くないので、食材の滋味は逆に汁の方へ流れ出す。だから上方ではその汁をつけながら食べ、汁は飲んでしまう。

(大阪):まったり:京風と江戸風を融合させたもの。=京風の薄口醬油に江戸風の砂糖、味醂の甘みが加わったもの。=昆布のグルタミン酸は甘く感じ、砂糖、味醂の甘みも加わり、濃口醤油より塩分の強い薄口醤油にかつお節のイノシン酸も加わって、上品で重層的な味わいとなる。うまみと甘みがバランスよく重層した味。
かつお節は削った節ではなく、粉末にして25~30分ほど煮出す。

京都の「はんなり」や大阪の「まったり」の言葉の内容を初めて知りました。

「ニッポン蕎麦行脚 そばもん」11号 小学館 ビッグコミック 著者 山本 おさむ @552+税

 

 

 

 

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機械打ちと手打ち:そばもん(10)

2016-12-13 | 蕎麦の書籍

そばもん第10巻には「変りそば」と「市販の汁」と「機械仕掛けの手打ちそば」の3つの話から構成されていますが、「変わりそば」はトマトを加えたおそばの話、「市販の汁」は出汁のとり方」などが書かれてそれなりにいいのですが、メインというか面白いのは「機械仕掛けの手打ちそば」。
この話は、手打ち蕎麦屋と機械打ち蕎麦屋の二人のお話をメインとして、今までの機械打ちのそばの歴史や手打ちそばの歴史が解説されています。
製麺機や混合機が発明されたのは明治時代で、普及したのは昭和になってモーターが取り付けられてからとのことで、木鉢も麺棒も包丁も組み込まれているようです。
業界の規格では水回しに混合機を使っても、手で延し手で切れば「手打ち」と名乗ってもよいことになっている。
逆に東京の老舗の多くでは、そばの出来を左右する木鉢の作業は手でやっているが、延しと切りは機械でやるので、これは「手打ち」ではないことになる。 
今までお蕎麦屋さんの話を読んだりしていて何が何だかわからなかった部分がありましたが、こんな事情を聴いておくとなるほどと判った気になります。
また江戸時代の手打ちとは駄そば=「2-8そば」に対抗した言葉で、小麦などを入れない上物=「生粉打ち」という意味らしいとか、駄そばとされた2-8そばについて2×8=16文というそばの値段説と小麦粉2割、そば粉8割の配合説があるとの説明もあります。

いろいろ話が展開されますが、「機械打ちそば」と「手打ちそば」のどちらを選ぶかという点では、庵主としては、やはり手打ちそばの風味とざらざら感というか食感とそれに合わせた汁との構成に両手を揚げます。

小学館 そばもん ニッポン蕎麦行脚 10 @552円+税

 

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そばもん(8)

2016-10-10 | 蕎麦の書籍

 「ニッポン蕎麦行脚 そばもん 8」のメインテーマは「いちばん長い日」のようですが、汁つくりに苦労している身にとっては、表紙に「鰹」が書かれているように「出汁のあれこれ」が充実しているのではと思います。

「いちばん長い日」は蕎麦打ち職人とプロの棋士の間の話で、棋士の考える「型」というものと、蕎麦打ち職人が自らに課した厳しい基準を作り、食材を吟味し、店の味を落とさぬように律して生きた話と相通じるものがあるという話で構成されています。

「出汁のあれこれ」は、出汁のとり方について鰹節のだしの取り方や、魚の「うまみの基本」や「かつお削り節とかつお節削り節」の違いなどを解説し、最終的には出汁には「吸い物出汁」と「煮もの出汁」があることや、鰹節を沸騰した湯の中に入れて作った出汁に醤油を入れた汁の紹介や、荒節、本枯れ節を作る意味などを細かく解説されている。因みに「かつお削り節」とは荒節=煮熟された後、燻し・乾燥の工程の煤乾(火入れと冷却)を繰り返してできたもの=を削ったもの、「かつお節削り節」は、「「荒節」に何度もカビつけした本枯れ節」を削ったもの。本枯れ節はカビつけによってさらに水分を吸い上げて乾燥させたもので、脂肪分も分解されて、より上品でまろやかな風味となるとのこと。

「年越しそば」の項は、年越しそばの意味あいとして「そばの切れやすいこと」から労苦や厄災をきれいに切り捨てることや「細く長いこと」から家運、寿命を長く伸ばすことや蕎麦は「つるつる・かめかめ」として動物の「鶴」と「亀」に引っ掛けるなどの縁起担ぎの面があるとし、他には「金がきれない=金箔造りの職人が金箔を打つ時、打ち粉にそばを使うと金箔の裂けを防げるそうで、これが金が切れない」=、また、飛び散った金粉を集める時もそば粉と一緒に集めると風で飛びにくく集めやすい=金が集まる=などで、年越しそばを食べたとのこと。庵主は年越しそばを説明するときには年越しそばでは年に1回だから、月越しそばとすると12回そばを食べられるということで「月越しそば」を皆さんに提案しています。

 

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ニッポン蕎麦行脚「そばもん」7

2016-09-17 | 蕎麦の書籍

 「そばもん第7巻」は「さらしなそば」がメインテーマであとは玉子とじそば、きつね・たぬきそば、そば屋の海苔と続きます。

メインの「さらしなそば」の内容は、「さらしな」には、更級、更科、さらしなと3種類あり、「更級」は地名つまり長野県更級郡という郡名が屋号となったものでほかには信州風のそばを出すお店という意味もあり、「更科」は信濃布を扱う布屋清右ヱ門という人が主家・保科家の江戸屋敷への出入りを許されたおり、布屋清右ヱ門は蕎麦打ちが得意で、保科の殿様から蕎麦屋への転業を勧められた時に、清右ヱ門は「更級」の「級」を保科家から特に許されて「科」の字を当て「更科」として麻布永坂でそば屋を開業したことから始まったとのこと。もう一つの「さらしな」は「更科」や「更級」を読めない人もいるから平仮名にしたとかで、そこではちゃんとした「さらしなそば」を出す店も、出さない店もあるとのこと。こうした3店の由来から始まり、「さらしなそば」の打ち方や「さらしなそば粉」の作り方や「さらしなそば粉」基準のことにも話が及びます。 

 

「玉子とじそば」は、そば屋にとっては怖い種物で、これを食えばその店の腕と心がけが解ると言われるくらいで、一見単純に見えるが、玉子とじの具合で中台の技術が、そばの振り具合で釜前の心がけが・・・そして、しっかりとした汁でないと味がぼけるので汁の良し悪しも問われるとのこと。
「きつねとたぬき」の話は関東では「きつねつね」と呼ぶ種物を大阪では「たぬき」というお話が展開されます。
「そば屋の海苔」では、そば屋さんでは海苔を使うメニューはかけそばに海苔をかけた花巻がありますが、「海苔」にも作り方にいろいろあり、コンビニ業界ではその作り方でおにぎりやおむすびなど使い方を分けているお話も出てきます。

この7号は2011年11月2日に初版が出ましたが、この年にそばもんの監修を担当されてきた藤村和夫氏がなくなられました。
合掌。

 

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そばもん(6)大根の甘辛の使い分け・固いそばの原因:そば粉の吸水のこと

2016-09-11 | 蕎麦の書籍

 この「そばもん」シリーズを読み返していますと、中途半端な知識で止まっていてお蕎麦屋さんに修業をしていない身にとっては、そういえばそうかと思い起こすことがいっぱいです。
第6号は「越前おろしそば」がメインで、他は昔あった「蕎麦職人あっせん業」の話と「かば焼きと揚げだしの作り方」、「固いそばの何故」についてのストーリーが展開します

第44~47話の「越前おろしそば」は、「おろしそば」と「江戸そば」の使っている「そばつゆ」や「薬味」などを比較して、「越前おろしそば」で使っている「おろし大根」についてその辛みの捉え方・考え方を中心に、「江戸そば」にも最初の頃は、辛み大根のしぼり汁を使っていたことや山葵は大根のピリピリがない時に使っていたこと、福島県会津地方の高遠そばには辛み大根のしぼり汁に焼き味噌、または醬油を入れて食べる「高遠そば」があることを紹介し、「大根」については頭の方は甘く尻尾の方は辛いことと同時に大根の辛み成分は大根の外側、つまり皮に近い層に集中していることがあり、大根を縦に切ったうえで辛さ、甘さをミックスしてお店で出していることなどを説明しています。
また関西で使っている「薄口醬油」や関東で使っている「濃口醬油」を使い始めたきっかけや鰹節が出来た歴史などが説明されており、納得がいきます。

50~51話の「固いそばの何故」は、そばの表現としてそばの角がこりこりと歯に当たり、中心には芯が残っていたり、こりこりと角が歯に当たるのを「こしがある」といったり、口の中でくちゃくちゃ噛むのを「歯ごたえがある」といったりしている風潮を捉え、「そばが煮える」ということはそば粉の中の澱粉が糊化することであり、でんぷんがドロッと糊状になること、そば粉は水分がくっついて初めて煮えること、糊化の条件はそば粉一粒一粒が水と結びついてなければならないこと、その水が熱せられることによってでんぷんが糊化する、湯と接した表面部分は火が通って糊化するがそうでない中の部分は生粉のまま残ることがあること、木鉢での水回の段階で、そば粉と水が結びあわされていないとこのようになるなどと、今までの自分の失敗の原因がたいへんクリアに説明してくれています。

「そばがきのかば焼き」や「揚げ出汁のそばがき」はその製法がかかれています。

 

 

 

 

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そばもん(5)

2016-09-05 | 蕎麦の書籍

「 ニッポン蕎麦行脚そばもん5号」(小学館)内容は「出前の心意気」と「立ち食いそばの心」「whatS天もり?」「カツ丼伝説」で構成されますが、メインは「WhatS天もり」のようです。
因みに「出前の心意気」は昔あった何段ものざるを方に積んで運んだ出前持ちの話や、現在使われている出前用の、茶碗やざるなどを載せている出前機の話です。この出前機は前のオリンピックの時に聖火を運ぶ為に使われたとのこと。
「立ち食いそばの心」は立ち食いそば店でのざるの振り方を指導します。
「カツ丼伝説」では所謂カツ丼をそば屋に伝わる知恵として小鍋にそば汁を注ぎ、パラパラと刻んだ玉ねぎをいれ、切ったカツレツをブッコミ、とじた卵をぶっこむ方法を紹介します。 

 

メインテーマの「WhatS天もり」は、そば屋の天もりのメニューから端を発し、天もりについている薬味のどんな内容がいいのか検討していきます。
まず天もりの定義が蕎麦屋毎で別々のようで、使う材料はそば用の薬味でネギと山葵があり、天ぷら用の薬味は大根おろしで、あるお店ではそば用の辛汁で天ぷらも使うようにしていたり、天ぷら用に専用の汁を用意していたり、塩を用意していたりとバラバラであったりしているようで、「天もりとしてどういう対応をすればよいか」とか「天もりの歴史」や「かき揚げの作り方」などが書かれています。
ただ庵主は「天もり」は滅多に食べたことがなく、実際にどんなふうに出てくるかは判りません。
他にはそば屋の天婦羅の作り方などが書いてあり、いずれもお蕎麦屋さんで修業しなければ判らない内容です。
「天ぷらとはタネと衣が含む余分な水分を高温の油で一気に蒸発させ、同時に水と油を交換させるという調理法」などのくだりは、大変興味にひかれます。
詳細は是非お手元での熟読をお勧めします。

 

 

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 そばもん(4)

2016-08-31 | 蕎麦の書籍

そばもん(4)の展開は、「先代のレシピ、花冷え時のそば、こんにゃく色のそば、おかめの心」といずれもお蕎麦屋さんのプロならではの内容で、故 有楽町 更科4代目 藤村和夫氏の体験に基づいた監修が全体にちりばめられています。そばもん(3)の中の「そばつゆ」についてご紹介したコメントも故藤村和夫さんの祖父の言い伝えです。
最初の先代のレシピは、お蕎麦屋さんを継いだ息子が先代の味をどのようにして引き継ぐかの話です。一口に先代の味といっても汁取りの素材には、醬油・砂糖・味醂・鰹節・鯖節・昆布がありますが、一つの材料を変えても汁の味も変わるわけであり、その素材を変えていない場合先代の味と同じ味を再現できない原因は何かを追求するストーリーです。先祖の味を代々受け継ぐのが「老舗」だが、それは「仕似せる」ことから来ていることや、先代の味を受け継ぐには、「言われた通りに作る」のではなく「言われた通りの味に作る」ようにしなければならないことなど、なるほどと頷ずかされます。

 

「花冷え時のそば」は、文字通り冷えた時期のそば粉を使ったメニューの、黒ゴマ・海苔・桜海老を加えたそばがきが紹介されています。
「こんにゃく色の蕎麦」はそばについて情報を流す情報誌について「そばの良しあしの基準」を問い、自家製粉、手打ちそば、(太さが不揃いの固いそば)、十割そば、などの意味を問い  3種類の通(「通る人」「通う人」「通じる人」)+半可通などを説明しています。
最後の「おかめの心」ではそば屋のメニューの一つである「おかめそば」について、その歴史、中に使う松茸、島田ゆば、玉子焼き、蒲鉾などの材料、を紹介します。
この4号にもそば屋さんならではのお話がちりばめられていました。

 

 

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