PAPP GÖRGY

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パップ・ギョーリキー

暖かくなってきたので公園で読書でもと思っていたところが昼からの雨により国立博物館へ。中宮寺半跏思惟像

2005-03-18 03:17:23 | 出来事
中学1年生の地理の問題集を見る機会があったのですが、すごいですね。
「ユネスコ世界文化遺産」だとか「重要文化財」だとか答えさせる穴埋問題。
こんばんは、モです。

試験が終わってすぐにヨーロッパへ旅立ったせいで
東京国立博物館 「国宝 鑑真和上像と盧舎那仏展」
を見逃してしまったのですが、今日は行ってまいりました、
「中宮寺 国宝 菩薩半跏像」
です。

大学受験の日本史で、広隆寺のものと並んで
「中宮寺 半跏思惟像」
と習った仏像です。
5年だか10年だか前に中宮寺で見たときは、
「日本史の資料集に写真が出てる仏像!」
などと感動していた記憶がありますが…

「アルカイックスマイル」を浮かべた表情からは、「怒っている」「優しく微笑みかけている」などのように感情が読み取れず、ある種薄気味悪さのようなものを感じました。
「モナリザは何を思っているのだか…」
「アジア人の表情は気味悪い」
などよく言われることと同じなのでしょうか。
鼻梁が真っ直ぐで、鼻が低い印象。

顔の感じは女性のようでもあり、優しい男性のようでもあり。
が、頭頂に玉のような髷が二つ結ってあるのが私にはアクセサリーのように見えて、それが女性的なかわいらしさを醸し出すので、全体を見ると、肩まで伸びた髪の長さも相俟って、もう女性にしか見えません。
手で視界の一部を覆って髷を隠して見ると、男性の僧侶がきりっと、しかし柔らかく、半跏で座禅を組む姿にも見えます。
菩薩の優しさ故に、あるいは中宮寺が尼寺であったが故に、女性らしさを強く打ち出して作られたのかもしれませんが、髷を現代の感覚で捕らえてしまうことによって女性としてしまうという、物を「見る」でなくて「見えてしまう」の部分で苦しみました。
自分が生きている世界の文化に無いものを受け入れることの難しさを感じました。
海外旅行先で何かを見ても、自分の文化を通しての見方、制作者の意図や現地に住む人たちとは違った見方をしていることがきっと多いのでしょう。

と、普通のことを改めて実感させられました、ヨーロッパから帰国後に。

ところで、こういった展示品、いつどのように運んでいるのでしょうか??