
今年の初詣は総持寺に行くことに決めた。当寺は鶴見駅から
線路沿いを歩いて数分。昔から電車からよく見え、
一度はお参りに来なくてはと思っていた大寺院だ。
正月三が日の三日になると参拝客がずっと少なくなって
厳粛な空気が参道に戻ってくる。年のスタートにあたり
ひんやりした空気がキュッと身を引き締めさせてくれる。

宗洞宗大本山の総持寺は横浜市鶴見区にあり、明治44年に
石川県門前町から移転してきた。敷地は約50万㎡(約15万1,500坪)あり、
敷地内には鶴見大学などの学校施設もある。

参道を行くと最初に出てくるのが「三松関」。この門は総持寺の総門で、
建築様式は高麗門で禅院の総門としては特異であるそうだ。

続いて見えてくるのが大きな「三門」。昭和44年落成で
鉄筋コンクリート造り。日本一の大きさを誇っている。
金剛力士(仁王)像は元横綱北の湖15歳の姿をモデルにしているという。


平成2年に竣工した「三松門」。切妻造り鉄筋コンクリ―ト造、
広さ9,400㎡(2,848坪)、4F、B2Fの建物で、修道場、
各種セレモニー会場となっている。宿泊施設もある。

拝観、墓地、法要参拝等の総受付施設の「香積台」。
中には大きなおしゃもじとすりごまがある。
日本最大といわれる木彫りの大黒尊天が祀られている。


金鶏門の所にはご覧の様に長い百間廊下がつながっており、
総持寺が大伽羅藍であることが分かる。




本尊釈迦如来が安置されている仏殿。この仏殿をはじめ
主要建物の多くは20世紀前半(大正時代~昭和前期)の
本格的木造建築で平成17年にこの仏殿をはじめ
16件の建造物が登録有形文化財に登録された。
そもそも総持寺の創建は奈良時代まで遡り、開基は行基、
山号は諸嶽山、寺紋は五七桐紋だ。
1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され永平寺と並んで大本山となった。

仏殿の入口に居た若き僧侶。総持寺には全国曹洞宗のお寺の
子息が修行僧として来ているが、この僧侶はまだ僧に成って
日が浅いのではないか。所作を見ているとそう見えてしまう。





道元、瑩山紹瑾などの歴代の祖師を祀る大祖堂。
このお堂は太平洋戦争後に建立された鉄筋コンクリート造の建物で
本尊を祀っている仏殿より大きい。中にお参りした時に
紫の法衣を着た高僧(ひょっとして管主かも?)が説教をしていた。
お正月なのでご利益があると思い、一生懸命聞いたが
マイクを通しても声が小さくよく聞こえなかったのは残念であった。

大祖堂の前にはペットの待機場があり、唐草模様の服を着た
柴犬がじっとおとなしく繋がれていた。なんとも微笑ましい風景に見えた。


仏殿の横をちょっといくとほとんど参拝客が居ない
「放光堂」というお堂がある。ここに正しいお焼香の仕方が書かれていた。
私も正しいやり方は今迄知らなかったので
読者の皆様にも参考に成ればとアップしてみます。
① 合掌一礼致します。
② 左手合掌のまま右手の親指、人差し指、中指の三本で御香をつまみます。
③ つまんだお香を額の前まで持ち上げ
左手を添えて念じ、お焼香します。
④ 二回目は右手の三本指でつまみ、念じずそのまま御焼香します。
⑤ 焼香が終わりましたら合掌一礼します。




境内の奥には広大な墓地があり、あの石原裕次郎さんの
お墓もありました。裕ちゃんのお墓は一番端の方で
分かりにくく、思わず人に聞いてしまいましたが、
その人も裕ちゃんのお墓にお参りに来たとか。
お互いにここら辺だと思いますがと話をした前がそうで
一瞬導かれた様な不思議な気持ちに成りました。
同じような方々があと数組お参りに来て亡くなった後も
人の心の中に裕ちゃんは住み続けていると感じました。

石原裕次郎の墓へ行く途中に巨大で変わった形の
墓石があったので見たら「神刀流開祖天下無敵日比野雷風居土墓」と
書かれていた。他にも総持寺の墓地には芦田均元首相、
アサノ財閥の創始者、浅野総一郎。清浦奎吾元首相、
築地本願寺などを設計した建築家の伊藤忠太、
作曲家の黛敏郎などが眠っている。


境内の中では神奈川県赤十字血液センターが献血運動をやっていた。
各血液型の献血目標が書かれていたが、その横に日本人の
血液型の割合が出ていた。それによるとA型が約40%
O型が約30%、B型が約20%、AB型が約10%。
自分の認識と違っていたのでアップしてみました。

最後にいかにもお正月らしい鏡餅の写真を1枚。
今年も皆様にとって良い年になりますように。







