雪の残る八甲田山
六波羅蜜の4番目は、精進(しょうじん)です。
いちおう「努力」と訳すことができます。
これは善の心の働きの中にもありました。
つまり、普通に考えてもいい心の働きだということですが、覚るためにも、これは不可欠な項目だということを意味しています。
私たちの生きている世界は、ダイナミックに動いており、変わっていくものでいつまでも同じであるということはありません。
つまり、「無常」なのです。
そして個人としての私たちに与えられた人生の時間も無常ですから、永遠に続くものではありません。
好むと好まざるにかかわらず、それぞれに与えられた人生の時間は有限です。
これはまさに「好むと好まざるにかかわらず」で、ほとんどの人は好まないのですが、人生は有限なのです。
(私もとても好まないのですが。)
ですから、言うまでもないことですが――しかし言わないとなかなか気がつかないことですが、人生ですることのできることも有限です。
やりたいことをいつまでも何でもやり続けるということは、本当に残念なことですができないのです。
ですから、無常ということ、人生は有限だということに気がつくと、やらなくてもいいことや、どちらでもいいことをしている暇はないということがわかります。
ましてやってはいけないことなどするのは、人生の無駄遣いどころか悪用です。
なるべくやりたいこと、やるべきことに限定して精いっぱいやっても、人生の時間はまるで足らないという気がします。
ですから、前にも言いましたが、人生では最優先事項、優先事項、少し後に回してもいいことをしっかりと区分する必要があると思います。
特に世界新記録、金メダルクラスのきわめて高い人間成長をしたいと思うのなら、他の余計なことをしている暇はないでしょう。
目標に向かってまっしぐらにトレーニングを重ねていくほかありません。
それが「精進」という言葉の意味だと思います。
これは布施、持戒、忍辱と異なって、特定のことをするというよりは、有限な人生の時間の使い方の基本的な心構え、まっすぐまっしぐらにわき目もふらず、修行していくという姿勢のことだと思っていいでしょう。
ちなみに日本の日常用語に「精進料理」という言葉がありますが、これはもともとお寺で修行に励む時の食べ物という意味です。
修行の中心は、この次にお話しする「禅定(ぜんじょう)」で、心を静め、集中して空・一如の世界を直感することです。
そのためにもちろん体の姿勢も坐禅という静かな姿勢を取ります。
心も体も静かにするためには、食べ物も淡泊なものである必要があります。
ですから、生き物を殺してはいけないということも含めて肉や魚は食べませんし、ネギやニラやニンニクといった体に元気がつきすぎるものも避けるのです。
主として穀類と野菜で作られた、しかし非常に繊細なおいしい食べ物が工夫されました。
それが一般的な料理になったのが「精進料理」です。
グルメとして高級な精進料理は食べるけれども、人生における精進は心がけないというのではもうまるで本末転倒ですね。
人生の楽しみのひとつとしてたまには高級な精進料理を食べることも悪くないと思いますが、やはり人間として与えられた潜在的な成長可能性を精いっぱいに引き出して、芽生え、伸び、花開き、実り、しっかりと熟してから、大地に戻る植物の営みのように、有限な人生の四季を無駄なく生きたいと、私は思うのですが、みなさんはいかがでしょう。
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