興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

泣いている人に寄り添うという事

2022-04-18 | プチ精神分析学/精神力動学
育児困難を抱えている方達とお会いする事は多いのですが、よくあるテーマとして、自分の子供が泣いた時の対応が分からなかったり、間違った対応をしてしまっている、というものがあります。

でもこれは小さな子供がいる親たちに限った問題ではなく、世の中、誰か大切な人が泣いている時にうまく対応できない、とにかくしんどい、という方はとてもたくさんいます。

また、誰かが泣いている状況にもよります。
泣いている理由に自分が直接関係ない場合は対応可能だけれど、自分が関わっている場合は無理、という人もいますし、自分が関わっていても基本対応できるけれど、その内容によっては厳しい、という方もいます。

例えば、普段は優しい夫で、妻が職場の問題で泣いていたらとことん寄り添えるけれど、自らの不貞行為で妻が泣いていたら対応できないという感じですが、これは夫の罪悪感という分かりやすい理由があり、本題からは外れます。

今回私が話題にしたいのは、相手が子供でも大人でも、自分の大切な誰かが泣いている時にうまく寄り添えない人たちです。

例えば、子供が泣き出したら強い苛立ちや怒りを感じたり、そうした耐え難い感情で、子供を強制的に泣き止ませようとしたり。

苛立ちや怒りは感じないけど、焦りや焦燥感から、「大丈夫、痛くないよ」とか、「悲しくないよね」とか、「お兄さんだから大丈夫だね、うん、強い強い!」、「強い子は泣かないよ」、「大丈夫、大丈夫!」などと、その子の気持ちを逸らしてやり過ごそうとする人たちです。

こうした方達の「良い意図」は分かりますが、手段はどうであれ、結果として、子供という自分とは異なった人格をもつ一人の人間の気持ちを無視してしまっている事になります。

泣いている理由をしっかり聞かないでいきなり励ましから入る人もそうです。

それではこういう人たちが冷たくて共感性の低い人たちなのかと言えば、そういうわけではありません。むしろ感受性や共感性は基本的には強い人たちも多いです。

人には、何かがうまくできないのには必ず理由があります。

その理由は様々ですが、多くの場合、その人の幼少期の親子関係や家庭環境に関係しています。

特にその人が大人になって自分の子供を持った時の親子関係には、その人自身が子供だった時の親子関係の関係性が顕著に現れます。人は多くの場合5歳以前の記憶は曖昧ですが、そうした思い出せない記憶は、手順記憶や身体記憶といって、無意識的であり、体に刻まれているものです。

それではこうした育児困難を抱える人たち治らないのか、ひたすら堪えるしかないのかといえば、もちろん違います。

克服法はいくつかあると思いますが、私がこうした悩みを抱える方達と取り組む克服法の過程は、概して以下のような流れがあります。

まずはじっくりとその人の生育歴や半生について聞いて、共感的に、寄り添いながら聴いていくことです。これは単なる情報収集のプロセスではなく、実はこの寄り添い方そのものが、彼らの克服に深く関係しています。なぜならこのプロセスそのものが修正的情緒体験(corrective emotional experience)となり、こうした方たちの心に内在化された対人関係のテンプレートの更新につながるからです。

多くの場合、こうした方たちが子供の頃、泣いた時に、親がうまく対応できなかったという事実があります。

もちろん時代性もありますし、親にもまた幼少期があり、そうできなかった理由があるわけで、このブログでも何度も強調していますが、カウンセリングは親の悪口でも犯人探しでもありません。

親を責めるわけでもなく、「親にも事情があった。親は親なりにベストを尽くして育ててくれた。でも悲しいかな、親にも大事な事ができなかった理由があって、仕方がないけれど、それによって今の自分がこういう問題を抱えている。親を責めるわけではなく、親が自分にできなかった事によって、今の自分に何が足りなくて、それをどうやって身につけていくか」、つまり、「今あなたがその問題を抱えているのはあなたのせいじゃない。それでも、いずれにしても、あなたには、あなた自身のために、また、あなたの大切な人のために、それを克服していく責任があるのだ」という、いわば、成長責任、回復責任があるわけです。

話が逸れましたが、時代性やこうした方達の親御さんの個人的な事情によって、「泣いている子供にとことん寄り添う」、「その子の気持ちを大切にして、その子が自然に泣き止むまで、共感的に一緒にいてあげる」事ができなかった、という事実を認めて理解することです。

あらゆる事がそうですが、「泣くのはダメ」という価値観にも、多くの場合、「世代間伝達」というものが存在します。つまり、あなたもあなたの親もその親も親もその影響を受けてきた、ということです。

そしてこのブログを読んでくださっている方は、そうした負の世代間連鎖を自分の代で断ち切って、新しい流れを作っていこうという勇気を持っている方だと思います。それが自分の子供であれ、他者や次世代の人たち全体であれ。

久々にきちんとした事を書こうとするとやはり話は逸れまくりますね。私にはADHDがあります。ご容赦ください。

話を元に戻しますが、現在育児困難を抱えている方たちが子供だった時に泣いた時に、多くの場合、親が、「泣くのはおかしい!泣かないでちゃんと話しなさい!」と怒ったり、「泣いていたら分からないよ。泣き止んだら来てね」、と放置したり、「お兄さん(お姉さん)だから泣かないよ」、と言ったり、いずれにしても、親が、「泣く事」の意味や、寄り添うことの重要性を理解していなかったり、誤解していたという事実があります。

人は、自分がしてもらえた事は自然に他者にもできますが、してもらえなかった事をするのは容易ではありません。だからこそ、私はこうした方たちに、時間をかけてとことん寄り添います。カウンセリングの治療関係の中で、たくさん新しい経験をすると、その人の中に新しい流れができて、子供たちに、パートナーに、それから自分自身に、新しい事ができるようになっていきます。別に私でなくても、カウンセラーでなくても、あなたの周りにそれができる人がいるかもしれませんし、あなたが誰かにとってそういう立場の人かもしれません。それはとても素敵な事です。

いずれにしても、こうしたプロセスの中で、自分の幼少期には何が足りなかったのか。自分は何が欲しかったのか。そして、どうしたらそれらを自分の子供やパートナーや自分自身に与えてあげられるのか。そうした、新しい体験に基づく、経験的理解が、認知レベルを超えて、身体記憶、手順記憶を更新する事で、人は本質的に成長します。






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