興味津々心理学

アメリカ発の臨床心理学者黒川隆徳によるあなたの日常の心理学。三度の飯よりサイコセラピーが好き。

認知の歪み その2 「白か黒か、0か100かの思考パターン」(All-or-nothing thinking)

2014-03-04 | プチ臨床心理学

 これから12回にわたって、この前で紹介した12個の認知のゆがみのパターンについて説明していきます。

 その第一弾は、All-or-nothing thinking--「オールオアナッシング、全か無か、0か100か、白か黒かの思考パターン」です。

 これは、前述のように、Dichotomous thinking(二分法的思考)とも呼ばれるもので、あなたが、自分の置かれている状況や、誰か他者やものごとの評価において、それらを2つだけのカテゴリーとして認識する傾向です。このカテゴリーは通常、良いか悪いか、善か悪か、好きか嫌いかなどの、ポジティブとネガティブの極みです。実際のところ、この世のあらゆるものごとは、連続性のある、スペクトラム的なものであり、カテゴリーではなくて、その程度差なのだけれど、この思考パターンが働いていると、ものごとの黒と白との中間の広いグレーゾーンが見えません。

 いろいろな例があります。たとえば、美由紀さんは、勝君に恋心を寄せていました。美由紀さんは、勝君が恰好よくて、面白くて優しい人であると認識していました。しかしある日美由紀さんは、勝君が煙草を吸っていることを知ります。大の嫌煙家の美由紀さんは、急激に勝君に対して嫌悪感がでてきて、勝君が全然魅力的でなくなってしまいました。「煙草を吸う」という事実で、美由紀さんにとって、勝くんが真っ黒になってしまったのです。今の美由紀さんには、勝君の喫煙以外の、彼女にとって魅力的だったいろいろな良い側面がまったく見えなくなっているのです。これは、仲の良い友達、恋人関係のふたりが喧嘩したときにも、しばしばみられるものです。一時的にではあるけれど、相手が自分にしたひどいことで頭がいっぱいになって、相手のそれ以外の良い面がまったく見られなくなってしまったり、相手の言い分がまったく理解できない、受け入れられない、というような状況です。

 また、ゆかりさんはダイエットをしていて、1週間ほど順調にいっていたのですが、今日はついつい決めていた限度以上の量を食べてしまいました。それによって、ゆかりさんはダイエットも自分自身もすっかり嫌になって、ダイエットをやめてしまいました。もしゆかりさんがこの思考パターンに気付けば、「1週間がんばっていたじゃん。今日はいろいろ辛いことがあったんだし、仕方ないよ。ちょっと食べ過ぎただけだし。明日から頑張ろう。ドンマイ」、と、ダイエットを続けられたかもしれません。

 それから、会社のあるプロジェクトに精を出していた和樹さんは、それが結構な評判だったのに、自分が思い描いていた「大成功」に至らなかったため、「プロジェクトは失敗だ。自分はまったくダメなやつだ」と感じて、とても落ち込んでしまいました。もし彼が、ものごとをもっとスペクトラム的に、程度問題として見つめられたならば、「今回のプロジェクトは完璧ではなかったけど、80%成功かな。次回は90%成功するように頑張ろう」、といった具合に、前向きでいられたかもしれません。

 このような、黒か白かの思考パターンは、完璧主義のひとにもしばしば見られます。「完璧」にできなかったら、それは失敗になってしまうのです。そして、このような思考パターンは、自己批判に直結し、あなたを必要以上に落ち込ませたり、鬱にしたりします。また、これが他者に向いているときは、怒りは必要以上に大きくなるし、必要以上に長引きます(脚注1)。それは人間関係にも悪影響を及ぼすし、ひとは、相手が真っ黒に見えるとき、自分自身も真っ黒な世界にいるこで、本人のこころにとっても有害です。

 あなたが何かを経験して、強烈な落ち込み、落胆、うつ、また、極度の憤慨など感じたときに、立ち止まって、自分がこの白か黒か、0か100かの思考パターンに陥っていないか見つめてみましょう。「もしかして」、と思ったら、今あなたが置かれている状況や、あなたが評価している対象(自分自身かもしれません)において、そのグレーゾーンの可能性を探してみましょう。

 具体的なやり方としては、たとえば、あなたが自分の仕事の出来具合で落ち込んでいたら、そこに0から100までの点数をつけてみましょう。このとき注意すべきは、0と100に、あなた自身の過去の経験に基づいて、基準をつけることです。0点とは、過去のどのときであり、100点とは、過去のどのときか。「100点など経験したことないよ」、というひとは、過去のあなたの最高の出来であった仕事に点数をつけてください。たとえば以下の感じです。過去最低のパフォーマンスであったプロジェクトAは、5点で、過去最高のパフォーマンスであったプロジェクトKは70点。それでは、今回のプロジェクトGの仕事のできは、何点でしょう。このとき、あなたがどのように、過去のプロジェクトAとKを採点したのか、その基準を書き出したりして、頭に入れておいて、その基準をもとに、今回の仕事のできを評価してみてください。0点ではないはずです。「そんなのくだらない」、と思った方、騙されたと思ってやってみてください。ちなみに、こうした「客観性を作る作業」に取り組むこと自体が、この黒か白かの思考パターンからの脱却につながります。このようにして、グレーゾーンを探していきます。

 また、あなたにとって、「失敗」とは何か、また、「成功とは何か」、具体的に定義してみてください。何をもってして、仕事は「成功」といえるのか、何をもってして、仕事は「失敗」といえるのか。オリンピックにおいて、メダルがもらえなかったら失敗だ、という考え方も、この0か100かの思考パターンです。今回のソチオリンピックにおいて、6位に入賞した浅田真央さんは、メダルこそ逃したものの、最初の演技では大きな失敗があったものの、そこからの目を見張る立ち直りと、素晴らしい最終演技に、多くの人は、彼女の大きな達成を認めています。彼女のパフォーマンスに感動し、勇気をもらった、という方は本当に多く、真央さんを「失敗者」とみる人は少ないでしょう。

 このように、ものごとは、0か100、白か黒か、成功か失敗か、善か悪かの2つのカテゴリーではなくて、プリズムのような、無数の段階にわかれています。その、実は確かに存在している、「程度の違い」について、目を向けてみてください。

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脚注1)これは、パーソナリティ障害のひとたちにもよく見られるものです。境界性人格障害の人たちにこの傾向が強いことは知られていますが、自己愛性人格障害の人たちもしばしばこの思考パターンに陥ります。

たとえば、高校の生徒会長の橋上君は、全校の20%ほどの生徒たちが、彼のやり方に疑問を持っていることを知りました。橋上くんは、その「20%の生徒たち」にことを苦々しく思い、「僕がせっかくうちの学校を良くしようとしているのに、僕に反対している分からず屋がいる。あいつらのせいで学校にまとまりがない。こんなのはうんざりだ。今の時点でいったいどのくらいの生徒たちが僕のことを支持してくれているんだろう。ああ、気分悪い」と悶々とし、やがては「わが校の生徒たちの真意を問うために生徒会長を辞任して立候補しなおします。僕に文句のあるやつは対抗馬として立候補して僕と戦うべきです。本当にうちの生徒たちはまだ僕と同じものを見ているのかわからない。選挙をやり直さないといけない!!」などといきり立ってしまいました。生徒たちは橋上くんの自己中心的で大人げなく突拍子もない様子に唖然としています。

橋上くんの高校はとても大きな学校で、本当にいろいろな生徒がいるため、すべての生徒が彼を支持するようなことは現実的ではないのですが、彼にはそれがわかりません。彼には80%の支持者がいるわけで、生徒会長として大変優秀なわけですが、0か100かの思考パターンに陥っている橋上くんにはそのグレーゾーンに留まることが非常に心地悪く、しっくりこないのです。


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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2014-06-18 00:23:13
こんばんわ。
dichotomous thinkingへの対策(客観性を作る作業)に、なるほど!と思いました。今日は出来なかったことがあり、気分が良くなかったのですが、今日は出来たこともあったので、黒い気持ちから抜け出そうと思います。

読んでいて疑問に思ったのですが、
境界性人格障害の人たちに、なぜこの傾向が強いのでしょうか?
また、どのような過程を経て、境界性人格障害の人たちは、この傾向を獲得するのでしょうか?
Unknown (Taka Kurokawa)
2014-06-18 21:49:13
Unknownさん、

コメントありがとうございます。

そういうことです。今日駄目だったこともあれば、駄目じゃなかったこともある。真っ白な日ではないかもしれないけど、真っ黒な日でもないわけです。

この傾向は、程度差があるのですが、この極端に強いものは、精神分析学では、Splitting (分離)と呼びます。これは、原始的防衛機制 (Primitive defense)と呼ばれるもので、我々が誰でも幼少期には頻繁に使っていたものです、長い話になるので端的にいいますが(これをそのうち記事にしてみます)小さな子供には、その子に対して優しいときの母親と、そうでないときの母親が、同じひとりの人間であるということが受け入れがたく、別人として認識するのですが、母親(あるいはそれ以外の育ての親)に大きな問題があり、あまりにも首尾一貫性がなかったり、言動が予測不能だったり、ひどい言葉の暴力や虐待、その他の問題行動があると、その子はいつまでたってもこの原始的防衛機制から抜け出すことができません。自分を傷つける母親と、優しい母親が同じ一人の人間であるということが耐え難いのです。もちろん、おおきくなれば、優しい母親もそうでない母親もひとりの人間なのだと頭ではわかるものの、無意識的、感覚的にはなかなか難しいものがあります。境界性人格障害(BPD)を持つ人も、この防衛機制にいつも支配されているわけではありません。精神状態が悪く、退行(Regression)したときにこれがでてきます。

つまり、獲得したのではなくて、その後のもっと高度な防衛機制を取り入れる機会が与えられなかったり、足りなかったりしたのです。よって、BPDの人たちの心理療法には、強い治療関係による、育て直し的なことがとても大切になってきます。このようにして、自我を鍛えていくことで、症状はよくなっていきます。

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