sigh of relief

くたくたな1日の終わりに、
熱いコーヒーと、
甘いドーナツと、
友達からの手紙にほっとする、感じ。

映画:シェイプ・オブ・ウォーター

2018-03-13 | 映画


1960年代、冷戦時代のアメリカのボルチモアにある政府系研究施設が主な舞台。
捕らえられ実験台にされる、お魚人間というか、半魚人、アマゾンの神?みたいな存在と
口のきけない掃除婦の女性が恋をする話、と予告編を見るとわかるのだけど、
自分としてはロマンスの部分より、あるいはそのロマンスが表現していることより
ヒロインの日常や生活、気持ちの在り処みたいなところが気になる映画でした。

お魚人間が現れて物語が動き出す前までの主人公イライザの生活は、
まるで自分の生活のようだなーと、最初の方はずっと、
なんだか人ごとではない感じで見ていました。

毎日代わり映えしない単調な仕事と地味で味気なさそうな日常。
でも、そんなルーティーン通りの毎日だけど不幸なわけではないんですよ。
出勤前、きちんと靴を磨いてお手入れする。
足に合った7センチくらいのヒールの靴。靴が好きで大事にしてるんだろうなぁ。
お風呂になみなみとお湯を張り、そこで自分で自分を慰める。
ゆで卵はちゃんと時間を計って茹でる。
簡単なお弁当を作ったら友人であるお隣さんにも届けて感謝される。
階下の映画館の店主は、映画をサービスしてくれる。
職場に行くと、ずけずけものを言うけど、彼女のことを理解してくれる友達がいるし
隣人と一緒にテレビでミュージカル映画を見るとステップ踏んでにっこりしたりする。

彼女は自分のささやかな生活と人生を愛しているように、わたしは思うんです。
だからこれは、虐げられた不幸なヒロインが幸せになるって話じゃないと思うの。
いや、彼女も、なんとはなしの孤独はずっと持っていたでしょう。
それは人によって違うもので、恋愛で埋まる人もいれば仕事や創作で埋まる人もいる。
埋まらないのでお酒やドラッグに逃げる人もいる。
人によっては、何をしても埋まらない孤独もあるかもしれない。
イライザにも、そういう孤独はあったでしょう。
それに加えて、口をきけないことで、人の気づかない孤独もあったかもしれません。
でもそれは彼女にはもうどうしようもないことなので、
自分にできる範囲で生活を大事にして過ごしていて、
彼女なりに納得した人生を楽しく送ってたと思うんです。まるでわたしのように。
そしてこんなに地味な毎日なのに、どこかふわふわしていて、
他人の人生をうっかり生きてるような、本当の彼女は別のところにいるような
感じがあるのも、自分に近いんじゃないかと思った。
でも、物語が動き始めてからは、彼女がとても優しくてまっすぐで強いので
やっぱり自分とは違う人だ、と思いなおしたんですけどね。笑

そういえば、イライザの家の感じも、全然似てないのに似てる気がしたなぁ。
わりと好きな感じの部屋です。
ベッドがなくてソファで寝ているのも、なんかちょっと自由な感じでいい。

お魚人間とのロマンスの部分は、うーん、まあ好みの問題でしょうかね。
あの半魚人を、なんと美しい造形だ!と思う人も実際まわりにたくさんいるし、
みているだけでうっとりする存在とコミュニケーションできて
さらには愛し合えるというのは心躍ることだろうから、
「異形のもの」と愛し合うみたいな捉え方には違和感があります。
何にもとらわれない偏見のない人たちなので、
お互いが美しく見えたってことだと思うのです。
イライザの瞳はきらきらしてきれいだし、チャーミングな表情をもってるし、
お魚人間の複雑に光る青い鱗も確かにきれいだし。
ただ、個人的には、言葉を介さない優しい気持ちや心の交流などは
たとえばペットの猫や犬とも交わせるレベルのものでもあるので、
だからって美しい生き物と愛し合っちゃうところまでは、よくわからないかなぁ。

うーん、改めて、自分は言葉なしには深い関係は築けないタイプだなと思う。
山田詠美が何かに書いてた、言葉がなくても恋には落ちるけど、
それを続けるには言葉は必要(うろおぼえ。違ってたらすみません)って言葉に、
自分に関しては、その通りだなぁと思うので。
イライザが口をきけないので、言葉のコミュニケーションはなくても
ちゃんと心で?理解し合える、愛し合えるということを描いてあるんだろうけど
口が聞けなくても文字は読めるし言葉は持っているわけだから、
それを持たない相手とは、自分がイライザだったら長続きはしないかも、と
一旦は恋には落ちるかもしれないけど。笑

この映画の俳優や登場人物について話す時、みんなマイケル・シャノンの
ワルモノの演技を褒めるし、わたしもそれは認めるけど、
個人的にはそこは、わりとどうでもいいの。笑
全体的に、途中で物語が動き、緊迫した場面が続いてお話が進むところよりも、
小さなディテールが気になって、気に入る映画です。
なんか私的な、秘密で親密な感じがするんだなぁ。
そういうのが好きで、ドラマチックなストーリーにはあまり興味がない。
イライザの日常の生活や世界は、そういう意味でツボだったのでした。
たとえばイライザの隣人の絵描きの、髪へのこだわりはちょっとおかしかった。
年を誤魔化そうとするところとか。なにげに彼にとって重大事なのね、それ。笑
そして、不味そうなライムパイでいっぱいの冷蔵庫。
イライザがソファに座ったままステップを踏むシーンや、
バスの窓に、ベレーを挟んでそこに頭をもたれさせて、外を眺めるシーン。
小さいシーンがいくつも心に残ります。

部屋のシーン、町のシーン、赤いソファの映画館、
雨の中の岸壁のシーン、そしてもちろん水の中のシーン、映像もきれいでした。

その中で、最初の方のイライザの浴槽でのシーンもずっと気になっている。
テキパキと起床後、出勤までのの支度をする中で、なぜあのシーンが必要だったのか。
あれはイライザが夢見るだけのお子様じゃなく、
成熟した大人の女性の部分もあるということを描いているのかなぁ。
あるいは、自分で自分を慰めて、孤独があっても気持ちよく生きていける女性だと
そういうことが描きたかったのかなぁ。
どっちにしろ、わたしはあのシーンは好きです。
あのシーンを見て、ああこれは確かに面白そうな映画だ、と思ったもん。


監督の言葉「僕は信じている。僕たちは互いに愛し合うことができる一方、“違っている”ことや、“よそ者”であることを恥ずべき存在だとする者たちと距離を置くこともできるのだ、と。(略)僕たちはつまり、僕以外と常に合わせ鏡にある。“よそ者”はいつだって僕たちなんだ」(『ギレルモ・デル・トロのシェイプ・オブ・ウォーター/混沌の時代に贈るおとぎ話』序文より)

この監督について、彼の作品は「パシフィックリム」と「ルドandクルシ」と
インタビューなどしか見てないんだけど、以下の記事を見て以来信用しているんです。

パリのテロに関連して、ギレルモ・デル・トロ監督が
自身の父親が誘拐された時の話を連続ツイートした。
リンク英語なので、ざざっといい加減に訳しますと、
約20年前、彼の父親が誘拐された時、警察から犯人を見つけた場合に関する
2つの提案があったそうです。
5千ドルで犯人を15分間自由に痛めつけるか、
1万ドルで犯人を全員殺して証拠写真をあげるか、どっちにするかと。
監督はどちらも断りました。
その後多額の身代金を払い72日間もの拘束の後で父親は解放されたのですが、この時のことを
「憎しみも痛みも感じていたが、自分たちが暴力の連鎖の一部になることはできない」と言い、
「テロリストは憎しみを呼び起こそうとしている」
「暴力が暴力を生むようなこの時代に、私はこの時のことを思い出します。
そして人々の賢明さと強さを願って祈ります」と締めくくりました。

ギレルモ監督のようにこれほどの憎しみを克服できる人って
実際は中々いないのかもしれないけど、こうありたいと思いました。
イライザのように、優しくて強い人だ。
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