sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

占い

2018-08-27 | Weblog
先日、仲のいい友達に占い的なことをしてもらったんだけど、
基本で出て来る特徴てきなこと自体は、自分に関しては1割くらいしか当たってなかったと思うし
それはほぼ意味がないと思うんだけど、
ただそれを解釈したりそこから読んでいく人が上手ければ、1割を、7割くらいまでに
思わせることはできそうだなものなのだなと思った。

占いって、基本的には何も当たってなくても、占う人の勘や経験や読解力や表現力、
ボキャブラリーで、すごく当たってると思わせるものだと、やっぱり思う。
あとはカウンセリング力。相手の言って欲しいことをうまく言ってあげる力。
これされるとみんな信じる。信じるのはラクだし気持ちいいことだから。
でも、信じさせるのは占いではなく、カウンセリング力などの技術なんだな。
昨日占ってくれた友だちは、勘もいいしカウンセリング力もあるし、おもしろかった。

例えば全く家庭的でないと思われている人に、家庭的という占いが出た時に、
本人含めて人はまわりはみな、え〜!全然違う〜!と最初は思うんだけど、
占う人が上手ければ当たってる占い以上にそれを納得させることができてしまう。
外れているような診断が出ても、それを納得させると強い。
どんなに逆のことが出ても、人には確かにいろんな面があるし隠された面も多いわけだから、
それを納得させるのは案外簡単なのよね。言葉の定義を少しずらしてもいいし。
先の例なら、一般的な「家庭的」とは違うけど、好きな人との生活を大事にするところがあるよね?
そういう意味で、すごく家庭的なところがある人なのよ。とか言えば、
なるほど〜、そういう意味か〜!そういうとこあるよね〜、と納得されたりして、
最初から当たってることをいうより、
むしろ逆張り的なとこから始める方が信じられやすい気がする。

ただ、占いって、個人的に信じたり疑ったりしてるうちは、
たいして悪いところのない遊びとも言えるので、レトリックを考えずに楽しむのもいいし、
レトリックのパターンに当てはめながら眺めるのも面白いけど、
占いで結婚相手を決めたりするのも、本人が納得してればいいのかな。
占いで変な家を変なとこに建てたり、占いにすごい大金をつぎ込んだりする人もいるだろうけど、
それは自己責任なのか。それも本人が納得してればいいのかな。
なんにしろ、信じるということは、良くも悪くも大変なことだと思う。
わたしが信じるのは、騙されててもいいと思える相手のときだけだ。
それは、信じるのではなく、信じるふりをする、というのに近いので
結局は信じてないんだけどね。

そういえば、小学校の同級生に、誕生日と血液型の同じ女の子がいた。
家も近かったのでよく一緒に帰ったけど、肌の白さ以外に似てるところは一つもなかった。
わたしは勉強に苦労したことがなかったけど、その子は勉強が苦手だった。
高学年くらいから友達づきあいに苦労し始めたわたしと違ってその子は友達も多かった。
わたしはトイレに一人で行ったけど、その子はいつも友達と行った。
顔立ちも、好きなものも友達も考え方も性格も服の好みも何もかも違って、
誕生日や血液型(一緒だった)の占いはおかしいなーと、その時しみじみ思って以来、
占いを信じたことはない。
それ以来、同じ誕生日の人に会ってないけど。笑

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2 コメント

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Unknown (yun)
2018-08-28 08:55:38
当たるも八卦当たらぬも八卦。占いは気持ちが揺れているときに背中を押してほしい人が行くような気がします。
>yunさん (sigh)
2018-08-28 21:50:02
そうでしょうね。
あと、占いって、ひととき自分に集中することだし、相手も自分だけに集中してくれる時間だから、そういう心地よさもあるのかもしれないなぁと、今思いました。

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