sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

大きな声

2017-07-24 | Weblog
車椅子の人が搭乗拒否されて、タラップを這って登ったニュースがありましたが
結局、車椅子の人が戦って、航空会社は非を認め謝罪し改めた。
いい方向に向かうことになったのに、なんで外野の人がそれを責めるんだろう。

>「大きな声でアピールしたい人ばかりではない」
>「運動とかして迷惑な存在と思われたくない」という人もいるだろうし、
>やり方はそれぞれでいいと思う。だけど、声を上げて、
>ちょっとでも社会を変えようとしている人の現実を見ず、
>現状に異を唱えたらすぐ「クレーマー」呼ばわりするのは違うと思う。

>あと、障害者本人が「自分はこういうことしません。一緒にしないでください。
>健常者に忖度します」という趣旨のツイートを見て、
>キング牧師が黒人差別撤廃運動したときに真っ先に反対したのが、
>「足るを知っていて」「忖度していて」
>「空気の読める」一部黒人だったっていうエピソードを思い出した

日本では女性の権利もまだまだだけど、
でもわたしが若い頃やその前からすると驚くくらいマシになってきてる。
嫌われながら非難されながら戦ってきた人たちのおかげだなと思う。
そしてこの車椅子の人もそのひとりだろうに。

真っ当な権利獲得のために戦う人に
眉をひそめて過激分子扱いして非難排除するのって、
和を乱す人を嫌うということ以上に、そもそも人権意識の欠如なんだろうな。
いや、人権を真っ当な権利だとも思ってないのかな。
まずはそこからか・・・ため息が出る。

権利を声高に叫ぶというのは、非難するときに言われる言葉になってるけど、
そうするしかないからそうしているわけで、何も悪いことではないはず。
そうしないと変わらないじゃないですか。
過激な運動を推奨するわけじゃないけど、
黙ってたら何も変わらないというか悪くなってく。
スタイルとしては美しくないしかっこわるいし自分はやりたくないけど、
そうするしかないときもあるんだよなぁと思っています。


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