sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

ワルシャワの動物園

2017-08-13 | 本とか
昨日のブログで書いた「プリズン・ブック・クラブ」の中の話で、
戦争中のワルシャワの動物園についての記述があって、
日本の戦時中の「かわいそうなぞう」のお話を思い出しました。
子供の頃にそのお話を読んだ時には象さんがかわいそうでかわいそうで、
戦争という遠い昔のことを(子供にとってはすっかり昔の歴史の話だったのです)
深く考えることもなく、戦争っていうのはいやなもんだなくらいの感想でしたが、
今はもう子供ではなく、戦争は遠い昔でもなく、自分のいる今と地続きで
前の戦争の悲惨さや戦争責任のことや二度としてはならないということも
ずっとよく考えるようになって、初めて知ったワルシャワの動物園の話でした。

そして、軍のすることは日本でもナチスでも同じだなぁとしみじみ思った。
日本もナチスも外国にもひどいことをしたけど、外国や敵国だけでなく、
自国の人たちにも動物たちにも本当に本当にひどいことをした。
無意味に威張り威圧しながら。威張る男ほどタチの悪いものはない。大っ嫌い。
そういえば、先日特攻の人の出てくる映画を見たけど、
特攻など戦争で戦って亡くなった人を悼むのは当然のことにしても、その
亡くなった人は侵略戦争の犠牲になった人なのだというのは忘れてはいけない。
他国に殺されたんじゃない、無駄で無謀な戦争に勇み進んだ
自国の政府や人々の、命令や洗脳や策略で殺されたのだと思います。
大事なものを守るために死ぬのだと思い込まされて、
大事なものを守ることを放棄させられ、殺されたのです。
そりゃ、殺されずに生きている方が、よっぽど守れましたよ、大事な人も故郷も。

ちょっと話がそれました。
当時のナチスは動物にまで優性思想をあてはめてたようで、
優れた動物、劣った動物という分類をして、優れた動物だけを残そうとしたとか、
多種多様な動物の何をもって優劣を決めるのか、愚かにもほどがありますね。
そして優秀とされる動物はナチスが略奪したり、
そうでないものは強制的に殺処分させたり、射撃パーティを開いて撃ち殺したそうです。
面白がって動物を殺す軍人の姿が目に浮かびます。
きっと同じように面白がって人も殺したのでしょう。
ひどすぎる。

ただ、ワルシャワ動物園の園長は非常に気概のある人で、
見つかれば自分も処刑されるという状況の中、動物のいなくなった動物園に
ユダヤ人たちを300人以上もかくまって助けたということでした。
檻や自宅のクロゼットにかくまい、食事を与え、慰め励まし続けたそうです。
素晴らしい。この園長のこともいつか映画になるかなと思ってたら
なんと年末か来年かに上映されるらしいです。
この本の中のまだ侵略される前の?動物園内の自然の描写も良いそうなので、
野の花の香りが感じられる美しい映像も期待します。

ちなみに、「かわいそうなぞう」のお話も、史実と違うところや
辻褄の合わないところはあるようで、いろいろググるとそれを指摘するものも
いくつかヒットしましたが、小さな子供の読むお話としては良いと思ってます。
わたしの友達でもこの話をすると、今でも泣けるという人がたくさんいる。

でも大人の人はもう少し事情を知っておいて、
よく考える方がいいと思うのでひとつリンクを貼っておきます。
「かわいそうなぞう」にまつわる苦い話
象は国民に敵を憎ませ、我慢を強いるためのプロパガンダとして殺されたという説。
”これは『かわいそうなぞう』だけの問題ではない。戦後日本の「平和教育」は、もっぱら戦争被害の悲惨さを描き、だから「二度と戦争をしてはいけない」と訴えるのがパターンだった。しかし、あの戦争を誰がなぜ引き起こし、その戦争で日本は何をしたのか、またその過程で誰がどのように加担したのかを追求することなく、ただ「戦争はいけない」と叫んでいても、戦争の再来を止めることはできない。”