ディカプリオお味噌味

主に短編の小説を書く決意(ちょっとずつ)
あと映画の感想とかも書いてみる(たまに)

悲しみの傘⑧

2016-10-18 00:16:42 | 小説
 曇天が空一面に立ち込めている天気のすぐれない日だった。
 裕次郎が待ち合わせに指定してきたのは、ちょうど伸久の家と裕次郎の家の中間にある駅前の喫茶店だった。
 昼前にそこにいくと、裕次郎がすでに席をとっていた。くたびれたチェックのネルシャツにチノパンというラフな格好だ。
「急に呼び出して悪かったな」
「いいよ、別に。今日は喫茶店なんだな」
「あんなカビ臭い家にはもう招けないよ。この間は仕方がなかった」
「俺は嫌いじゃなかったけどね」
 伸久は裕次郎と同じホットコーヒーを注文した。
「それで、どうしたんだよ、いったい」
 裕次郎は先にコーヒーを啜りながら、「うん」と一つ間を置いた。
「なんだよ、まさか恋愛の相談じゃあるまいな。興味深いけど、俺はそっち系には疎いぞ」
「莫迦、違うよ。全然違う。ノブに話すことでもないかもしれないんだ」
「なんだよ水臭えな。ここまできてやっぱ話さないはなしだぞ」
「別に隠すことでもないんだけどよ。実はこの前ノブが来た次の日、来客があったんだ」
「ほう。誰が来たっての」
「母親の同級生。小学校、中学校のときの」
 伸久はリアクションは示さず、運ばれてきた熱々のコーヒーを一口舐めて舌の先を刺激した。
 裕次郎が続ける。
「齋藤守っていうおっさんが福井から来たんだ。どうやってうちの住所調べたか知らねえけど、うちの母親にどうしても会いたくて来たんだとよ」
「突然どうしたっての、そのおっさんは」
「去年中学卒業三十周年の同窓会みたいなことをしたらしい。そこで母親の話題になったらしくて、やっぱり誰も知らなかったんだってさ、俺の母親がどこで何してるか。それでその齋藤さんっておっさんは母親を探し始めたってわけ。なんでもおっさんは最近離婚して、昔の憧れだった東條さんに会いたくなったんだとか、情けない話をされてさ」
「旧姓は東條っていうんだ」
「とにかく何か些細なことでもいいからわかったら教えてほしいって。君も会いたいだろ?って真に迫られてさ」
「なんて答えたんだよ」
「別にもう会いたいという気持ちはないって……いったよ」
「嘘だな。本当は気になってる。違うか」
 裕次郎は押し黙った。伸久はその貝の口が開かれるのを待った。
「――――聞いてみたんだよ。母親ってどんな女だったのか、って」
「それで?」
「クラスの誰よりも綺麗で、聡明だったって。それだけ。おっさんの偏った私見だろうけどな」
「まあ納得できるけどな、俺の記憶だけを頼りにしても」
「ノブの質問に正直に答えるよ。そうだ。俺は気になり始めた。自分の母親はいったいどんな人だったのか。いまごろになってな」
「いいと思う。できれば俺も知りたい。なぜだかわからんが」
「そこでだ、ノブ。一緒に行かないか。今週末三日間」
「行くってどこに?」
「東京の大学時代の友人と、学生時代過ごした福井かな。石川は小学校の低学年までしかいなかったから期待があまり持てない」
「俺も一緒に行くってのかよ」
「まだバイトも決まってなくて暇だろ?もちろんレンタカー代から交通費は全部俺が負担するからよ」
「お前免許もってるのか?」
「高校生のころから貯めてた金と親父の金をくすねてな」
「俺が一緒に行って何の意味があるんだよ。お父さんじゃだめなのか」
「莫迦野郎、あんな親父連れていけるわけねえだろ!ただでさえ口きいてねえんだから」
 裕次郎がやや声を荒げたのに対し、「お前が一方的に無視してるだけだろ」と伸久は鋭い視線を送ったが、裕次郎はそれを見ようとはしなかった。
 伸久はため息交じりに「それに宿賃だって俺持ってねえから、親に借金しなきゃならねえ」と現実的な経済難を口にした。
「一人で行く気にはならないんだよ。ノブがあんなこと聞いてきた翌日にあんなおっさんが来て、偶然じゃないと思ったんだ。ノブが引き寄せたのかもしれない」
「んなわけあるまい。変な想像膨らませるなよ」
「頼む、一緒に来てくれ。久しぶりの日本じゃねえか、旅行がてら行くべ」
「行くべっていってもな……」
 伸久はしごく困った。時間はたしかにある。だが金はない。
 しかし、どうやら裕次郎は本気らしい。目を見ればその真剣さが嘘か真かは判別できる。本気で一緒に行くことを望んでいる。
 どうしてそんなに――――
「どうよ、ノブ」
 伸久は「わかったよ」とついには折れた。
「よし、決定だ。恩に着るよ」
 裕次郎は相好を崩し、実に嬉しそうな顔をして、コーヒーのおかわりを頼んだ。
 どうしてそんなに一人で行きたがらないんだ。
 伸久の頭の片隅にそんな疑問がしこりとなって残存したが、それをこれ以上裕次郎に訊ねる気は起らなかった。


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