23.04.15 金曜 |
☆山名検索
この廃村は、昔、新宮町神保ではなかった。
昭和14年に、宍粟郡菅野村であった神保、奥小屋を今の新宮町西栗栖村へ編入した。
過去私の山ともだった凡太郎さんが訪れたことを知っていた。
やっと叶えた廃村訪問、名刺がいるだろうか。
宍粟市山崎町の「山崎29」の高速道路の高架下を抜け林道をバイクで駆け上がる。
神保への破線を歩いて行く。 結構いい踏み跡があり、テープもさがっている。
倒木も切断されているが、調査のためか廃道を消したくない人がいるのかも知れない。
歩いていると、うれしいきもちになった。 神秘に包まれてゆく。
7-8分後には廃村跡についた。 ↑ 帰りに見つけた電柱、電気が来ていた。
先ず見つけたのが、発動機、 横には、苗と苗の間を通して草や地盤慣らしや結構仕上がりがいい道具だ。
少し広場の山裾に、よく見て見ると民家ではなく、この辺りで米栽培していた田んぼがあって、
この建物はその収穫道具や収穫した米などを収納していた いわゆる 蔵 と思えた。
少し中を観察してみると、やはり、「米びつ」というのか忘れたが、写真のまるい缶は昔ここに精米前の米を
貯蔵していた。四角い木製もある。 手前の四角の形状のものは選別機のようだ。
この建物以外にも民家があったのだろう、周りにはお釜や水をためる瓶、食器、水道跡もある。
この村の南には栗栖池がある、ここに簡単な説明によると、3軒民家があったらしい。
ここのあたりは、石組みがあり、畑や田んぼ栽培の跡にちがいないと思った。
さて、少し先を進んでみた。川沿いできれいな水が流れている。周りは相変わらず倒木だらけ。
12,3分歩いたところに分岐がある。左には広い道、まっすぐには、倒木で通れなく、又道もなかった。
左に進めば地図確認すると山崎町へ向かう。
ここであきらめ、雨も本降りになったので帰ることとした。
新宮町へ通り越すのは、次回にしよう。
地図です。 (ここをクリック)
今日の総距離。総時間は 3Km 1時間 でした。