ドーハの悲劇で幕を閉じたオフトジャパンに変わりブラジル人監督に委ねたもののわずか5ヶ月で解散したファルカンジャパンで、9試合全てに出場し後半5試合は10番を背負ったTERU。
プロ空白の2年の歳月から世界の舞台へ旅立った。
94年5月22日キリンカップ 1-1オーストラリア 広島
94年5月29日キリンカップ 1-5フランス 東京
94年7月8日アシックスカップ 3-2ガーナ 名古屋
94年7月14日アシックスカップ 2-1ガーナ 神戸(1点目得点)
94年9月27日親善試合 0-0オーストラリア 東京
94年10月3日アジア競技大会 1-1UAE 三次市
94年10月5日アジア競技大会 1-1カタール 広島
94年10月9日アジア競技大会 5-0ミャンマー 尾道市(3点目得点)
94年10月11日アジア競技大会 2-3韓国 広島
プロ空白の2年の歳月から世界の舞台へ旅立った。
94年5月22日キリンカップ 1-1オーストラリア 広島
94年5月29日キリンカップ 1-5フランス 東京
94年7月8日アシックスカップ 3-2ガーナ 名古屋
94年7月14日アシックスカップ 2-1ガーナ 神戸(1点目得点)
94年9月27日親善試合 0-0オーストラリア 東京
94年10月3日アジア競技大会 1-1UAE 三次市
94年10月5日アジア競技大会 1-1カタール 広島
94年10月9日アジア競技大会 5-0ミャンマー 尾道市(3点目得点)
94年10月11日アジア競技大会 2-3韓国 広島