4年周期の証明 日本のサッカー大好き!

サッカーについて語るときに私の語ること サッカー大好き ジャパンフットボールで一期一会 記事上ノくーろん者。

日本を代表する選手

2005年11月17日 16時21分07秒 | HIDE
年内の国内最後の試合とあってか、珍しくスタジアムを1周するも最後まで笑顔をみせることがなかったヒデ。いつまでも変わらないチームに対していろいろな感情が沸き起こっていたのかもしれない。今日の試合も93分勝利に貢献し、キレのあるプレーからチャンスを生み出した。このままではいけない。これでは勝てない。あなたの無言の表情から日本代表をドイツで勝たせたいという気持ちが強く伝わってくる。
毎試合大黒、稲本らに声をかけ意志の疎通を怠らない姿、試合が止まればすぐに相手選手と言葉を交わしスムーズに進行しようとする姿、サッカーに対する強い気持ち、海外に進んだ他の選手、国内に残っている選手の大国ヒデの姿を自分の物にしてほしいと強く願う。
ヒデがピッチを去るその日までに。
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負け試合=ホームでの辛勝

2005年11月17日 15時54分44秒 | 観戦記
キリンカップサッカー2005
日本1―0アンゴラ
2005/11/16
競技場  :国立競技場
入場者数 :52406人
天候   :9℃
キックオフ:19:20

アンゴラのスピード、フィジカル、シュートの精度にアフリカ勢の恐さは見受けられなかった。まるで2年前のナイジェリア戦(8月20日・国立競技場)を彷佛とさせた。日本のエース、中田、中村にマークが1人程度、前半は特にディフェンスが下がり気味だった。シュートの精度もアジア下位国のレベルだった。それにも関わらずホームでの試合終了間際の得点での辛勝。
さらに日本はアンゴラの5人フル交代に比べわずか3人の交代。福西、加地らが抜けていたとは言え内容、結果共に不本意な内容でW杯前年を終えた。
初出場を決めたあの日から8年を迎えた日、日本が超えなければならないハードルは、国内外の認識の向上によりさらに高くなっている。
選ばれしメンバーには1月からの合宿から勝負への気持ちを一段と高める事を願う。

○アンゴラ戦への経緯
(ジーコは当初「アフリカの最強国」または「欧州ベスト5国」との試合を協会へ要望していた。)
イタリア[キャンセル]

コートジボワール[キャンセル]

トーゴ[キャンセル]

アンゴラ[確定]

前半開始から12分の高原のゴールを大きく超えたシュートまで日本はアンゴラの引いたディフェンスを切り裂いた。5分の高原がサントスとのワンツーからチャンスを作り走り込んだシュートはゴール上へ。7分の中村のミドルシュートも枠をそれた。サッカーはキックオフから15分以内のプレイが試合を決めるという言葉を聞いたことがある。15分以降アンゴラが前線に広がり出すと日本は目立ったチャンスをつくり出す事もできず、逆にアンゴラに攻め込まれ不安定差を露呈した。アンゴラは攻勢を掴むもフリーキック、シュートの精度の低さからスコアレスドローで前半を終えた。
後半開始早々駒野のミドルシュートを放つも枠をそれる。
パスを多用する日本に比べアンゴラはゴールエリア手前からもシュートを多く放った。
川口の好セーブから失点を免れる。
アンゴラは7分17分にはフリーのポジションからシュートを放たれるがボールはコースをそれ得点できず。
日本は20分田中に代え松井を投入し4バックへ以降。
この後駒野により右サイドからの起点をつくり出した。
日本は中村のフリーキック、高原、34分高原に変わって入った大黒のシュートの精度が上がらず得点できず無得点のまま45分の掲示を迎えた。
ロスタイム突入直後、中田のプレスによりアンゴラディフェンスがボールをクリア。スローインを受けた中村がサイドチェンジでゴール左の柳沢へ送る。柳沢がクロスボールをヘディングへ中央へ送り、駆け込んでいた松井がわずかに右へ入りジャンピングヘッドで叩き込み勝負を決めた。
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