271828の滑り台Log

271828は自然対数の底に由来。時々ギリシャ・ブラジル♪

呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』筑摩書房

2013-01-29 20:15:18 | 読書
昨年の3月に吉本隆明が亡くなった時に、自分の学生時代を振り返りながら追悼文(?)を書いたことがあります。しばらく経って彼の死の直前に反「脱原発」を表明した事を知り「しまった!」と思いました。彼が死ぬ前にかなり溜まった吉本関連の蔵書を処分してしまったからです。慌てて1982年発行の『「反核」異論』(深夜蔵書)を定価より高い値段でアマゾンで買い直しました。東工大で化学を学んだ吉本が技術者として何か言いたい事があったのではないかと気になって仕方なかったからです。しかし「技術者としての吉本隆明」に期待した私が間違っていたのでした。
そして吉本のことはケリがついたと思っていたのですが、ある日の新聞広告に「吉本隆明って、そんなに偉いんですか?」というコピーが踊っていました。筑摩書房の営業に乗せられて前橋の紀伊国屋書店で『吉本隆明という「共同幻想」』を買ってしまいました。著者は呉智英、昔々『インテリ大戦争』や『サルの正義』を読んだことがあります。彼の略歴を見ると野次馬旅団編の『戯歌番外地 賛歌にみる学生運動』(三一新書、1970)の編者の一人、これには驚きました。

本書の内容は以下の目次を見れば大体想像出来るでしょう。

序章 「吉本隆明って、そんなに偉いんですか?」
第1章 評論という行為
第2章 転向
第3章 「大衆の原像」論
第4章 『言語にとって美とはなにか』
第5章 『共同幻想論』
第6章 迷走する吉本、老醜の吉本
終章 「吉本隆明って、どこが偉いんですか?」

通読して最初の感想は「本の出来不出来は編集者の力量による」これでしょう。本書と似た内容の前著『危険な思想家』と比較すれば明らかでした。『危険な思想家』は封建主義者が好き勝手なことをだらだらと書き連ねているのですが、本書は筑摩書房の編集者との討論の中でこの本が出来上がったと想像できます。その結果、分かってもらおうというサービス精神に溢れています。本書の装丁はぶっきらぼうを絵にしたようですが、腰巻には「吉本を読んでいなくても面白い!」とあります。吉本の難解な文章を和文和訳してくれるのです。また若い読者のために団塊世代しか知らない常識を簡潔に解説もしてくれます。著者のように熱心に吉本をフォローして来なかった私も吉本を読んだ時のあの隔靴掻痒感の正体が分かったような気がします。

さて話のオチは昔の芸人の演奏です。


谷啓の演奏は何度聞いても感動します。昔の芸人は本当の芸人だった。つまり「吉本隆明も吉本興業もいらない」ってことです。

  ↓ポチッと応援お願いします!
にほんブログ村 科学ブログ 技術・工学へ

(2/5追記)著者と私は同世代なのでずっと封鎖されたままだった第二学生会館や赤いペンキで塗られた大隈重信像が目に浮かびます。彼も私と同じ風景を見ていたはずです。また読書遍歴も似ていて、私も吉本を読む前に三浦つとむを読んでいました。生前の三浦つとむに2度ほどあったことがあります。今でも覚えているのは貨幣の価値対象性と言語の「意味対象性」の類似点について詳しく説明してくれたことです。三浦によって宇野弘蔵も「裸の王様」と悟ることが出来ました。

呉氏は現在大学でマンガを教えているのですから、本書の締め括りはマンガで締めて欲しかった。

(アンサイクロペディア、ネットウヨより)
しかし理解出来ないのはマンガと『論語』が同じ人間に同居しているという状態です。著者も私も「都の西北」をうろうろしていましたが、今の私は陸の王者(福沢諭吉)にずっと親近感を持ちます。福沢の『物理学の要用』より。

ひっきょう、支那人がその国の広大なるを自負して他を蔑視(べっし)し、かつ数千年来、陰陽五行の妄説に惑溺して、事物の真理原則を求むるの鍵を放擲したるの罪なり。天文をうかがって吉兆を卜(ぼく)し、星宿の変をみて禍福を憂喜し、竜といい、麒麟(きりん)といい、鳳鳥(ほうちょう)、河図(かと)、幽鬼、神霊の説は、現に今日も、かの上等社会中に行われて、これを疑う者、はなはだ稀(まれ)なるが如し。いずれも皆、真理原則の敵にして、この勁敵(けいてき)のあらん限りは、改進文明の元素は、この国に入るべからざるなり。

儒者が地獄極楽の仏説を証拠なきものなりとて排撃しながら、自家においては、数百年のその間、降雨の一理をだに推究したる者なし。雨は天より降るといい、あるいは雲凝(こ)りて雨となるというのみにして、蒸発の理と数とにいたりては、かつてその証拠を求むるを知らざりしなり。朝夕(ちょうせき)水を用いてその剛軟を論じながら、その水は何物の集まりて形をなしたるものか、その水中に何物を混じ何物を除けば剛水(ごうすい)となり、また軟水(なんすい)となるかの証拠を求めず、重炭酸加爾幾(カルキ)は水に混合してその性を剛ならしめ、鉄瓶等の裏面に附着する水垢(みずあか)と称するものは、たいてい皆この加爾幾なりとの理は、これを度外におきて推究したる者あるを聞かず。今日にありても儒者の教に養育しられたる者は、これらの談を聴きて瑣末(さまつ)の事なりと思うべけれども、決して然らず。


戦後生まれの私は吉本隆明より民主主義原理主義者かも知れません。最近気がついた事ですが、民主主義原理主義が最も徹底した著作は『ユークリッド原論』です。

公理の前には万人が平等です。

コメント   この記事についてブログを書く
« いちご狩り始まる | トップ | 川の定点観測(2月、立春) »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

読書」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事