ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

藤井聡太、七段に昇段

2018-05-19 07:43:36 | Weblog
将棋の藤井聡太六段が昨日、船江恒平六段との対局に勝利、昇段の規定を満たし、史上最年少で七段になりました。あの加藤一二三さんの記録を61年ぶりに更新しました。

凄い棋士が現れたものです。現実を超えているようでいて現実なんですね。今の藤井君には称賛の言葉しか見つかりません。天才という言葉では表現しきれないものがあります。以前、藤井君には勝率8割棋士を目指してほしいと記した記憶がありますが、現在100局に満たないものの、勝率8割6分台、彼の力をもってすれば、1000局指して800勝というのも、決して不可能ではないと思われます。

このまま順調に進めば、これまでの将棋界の記録をすべて塗り替えてしまうのではないかという反面、不安材料もあります。今は棋士よりも強いAIが存在する時代。棋士の実力差はなかなかつきにくい状況にあります。加えて歴史的にみて、これまで最年少記録を打ち立ててきた人たちが、競技生活の通算成績では一番上にはいないことが多いのです。

最年少記録の代表例はスポーツの分野なら野球の清原和博と相撲の貴乃花光司でしょう。清原さんは、100号、200号までは王貞治さんらを抑え、本塁打の史上最年少記録を塗り替えていきました。しかし、生涯成績は史上5位です。貴乃花は大関昇進までは最年少記録を塗り替えていきましたが、通算優勝回数は、史上6位です。二人とも超一流の成績ですが、歴史の頂上には立てなかった。これらはスポーツの世界ですから、ケガとの戦いが大きかったこともつけ加えておきます。

ならば将棋界はどうなのか?最年少記録といえば、加藤一二三九段です。藤井七段が出現するまでは、多くの最年少記録を保持していて、神武以来の天才と謳われました。しかし、常に大山康晴15世、中原誠16世名人の壁に阻まれ、初めて名人位を獲得したのは40歳を過ぎてからでした。そして翌年には谷川浩司さんに敗れ、のちに名人位に返り咲くことはありませんでした。タイトル獲得数は通算8期。最強には届きませんでした。18歳で最年少タイトルを獲得した屋敷九段は40代後半に差し掛かった現在、通算タイトルわずか3期。21歳で最年少名人の谷川九段は、永世名人資格を取りましたが、名人位は5期。普通の棋士からみれば、永世名人は夢のまた夢ですが大山、中原の後継者と目された天才谷川浩司としては、少し意外な数字かもしれません。

しかし、こういう見方はあまり面白くないですね。藤井君のこれまでの最も大きな功績は、その爆発的な人気で危機に瀕していた将棋界を救ったことです。藤井聡太という太陽が羽生さんや加藤さんら多くの棋士、そして将棋そのものに光を当てました。またどれだけ多くの少年、少女たちが彼にあこがれ、将棋を始めたか想像に難くありません。

谷川九段との指導対局で敗色濃厚となり、会場を揺るがすほどの声で泣いていた少年が、今や強さだけでなく、一流の棋士としてのふるまい、格調高い言葉を身に着け、人々に愛される存在になりました。藤井君は神の子かもしれませんね。

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