インターネットの憂鬱

仮想空間と現実の狭間で

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あなたは信用できません

2012年06月22日 | 雑感

先日、中小企業オーナーのIT勉強会に呼んでいただいた。

インターネットがらみの要素を駆使して、集客や販売への試行を続けている皆さんの意見は
大変参考になり、思わぬ勉強をさせていただけたなど有意義なひと時だった。
参加者が様々な課題を討議する中で、最も印象に残っているのは、
どうすればホームページ上における「信用」を構築できるのかという話だろう。

これはもう、色々なところでその方法が語られているわけだが、問題はその方法を裏付ける
要素や事実は何なのか? それはどこから生まれてくるものなのか? という事ではないかと思う。

例えば『情報発信』という、基本的な要素に絞って考えてみると
そこには『量』と『質』という、ふたつのテーマがある。

まず『量』について言えば、過剰な情報量は受け手の理解や認識を阻害するし、
マインドなどの『言い過ぎ』『語り過ぎ』はかえって不信を招きかねないということだ。

インターネットは誰もがコストをかけずに情報発信できる環境であり、
あれもできる、これもできると、さまざまなフォーマットや方法があふれている。
この環境やコストによって、今まで制約されてきた情報発信が自由にできるとなれば、
誰だって「言いたいけど言えなかった」事を言ってみたくなる。今こそチャンスだと気合いも入るだろう。

そこに落とし穴がある。

受け手はあなたではないし、欲しがっている情報もあなたの考えるものと別なものだとしたら、
ひとりよがりの『おしゃべり』のような情報の羅列は、受け手に拒絶される可能性が高い。

これは現実で考えてみればよく分かる。

出来の悪い営業のセールストーク。酔っぱらったオヤジの説教。オタクの止まらない蘊蓄。
これらはすべて、一方的な情報の垂れ流しと押しつけであり、ホームページ上での過剰な情報発信も
本質的には何ら変わるところがないわけだ。つまり誰も聞いてくれないし、場合によっては嫌われることもある。

事実は、あなたの発信したい情報の中から、受け手が欲しがっている情報を『厳選』し、さらに
その受け手が聞きやすく理解しやすいカタチに『変換』してこそ、ようやく関心を持ってもらえるということだ。
つまり、情報をコンテンツとして『編集』することが出来ないと、このことの実現は難しいとも言える。

もうひとつのテーマである『質』は、いま言った『情報の編集』を左右する根本的な課題だろう。

何を、誰に向かって、どのように表現するか、という点において、その『質』を決めて行くことは
あなた自身の感性や人格を反映することに他ならない、と私は思っている。

どれだけ美辞麗句を並べても、どれだけ巧妙にロジックやストラクチャーを構築しても、
届かないメッセージや想いがある反面、たったひと言の言葉がすべてを表してしまう場合もある。
その本質的な理由は、発信者の心境と、その表現の間にある隔たりの有無ではないだろうか。

事実を語る言葉と、事実を騙る言葉の違いを、明らかに分からないまでも、『違和感』として人は感じる。
分かりやすい例は、TVCMを始めとするマス広告、あるいは情報商材やソーシャルメディア詐欺師の手口だ。

美辞麗句、気持ち悪い笑顔、完全無欠な世界観、No.1で最高、願望や欲望を煽る言葉etc,
最初は誰もそんなものは信じない。しかし、これを何度も何度も繰り返す事で信じてしまう人がいるから、
この方法は繰り返されて来た。それが当たり前の方法だとされ、人は慣らされてきた。だから、無意識のうちに
あなたもこの方法で商品や会社の情報発信をしている可能性が高いということだ。

インターネットの世界では、圧倒的な情報が流れているから、情報の真偽に対する水平がシビアだ。
つまり、TVや雑誌といった限定されたメディア環境の中だけで通用していた『馴れ合いのお約束』が
まったく通用しない客観性の存在はインターネットの大きな利点であり、怖さでもある。

インターネットの世界では、さきほどの『違和感』に対して容赦がない。無視するか攻撃するかのどちらかである。
多くの善良なユーザーは、ウィンドウを閉じて二度と開かないことで、その情報を無視するだろう。
それが、あなたや私のホームページではない事を祈るしかない。

そこで大切なのは、反感や抵抗を恐れずに事実を語る勇気と、顧客になるであろう他者に対する配慮という、
極めて社会的に当たり前の姿勢や感覚なんだろうと、とくに最近において実感することが多い。
だから、人格や感性の話を持ち出したのだ。

言ってみれば、それは『自由』を裏付けする『責任』のようなものであって、
自由度の高いインターネットの世界であるからこそ、実はそこでの責任も大きいはずだと考えている。
しかも、ここでの責任は究極の自己責任であって、誰も監督・規制をせず、(違法でなければ)ペナルティも無い。

自由をはき違えて、あるいは『違和感』を意識せず、インターネットの情報発信に失敗した場合、
待っているのは無視と黙殺、あるいは偽物の烙印と風評という、ビジネスでは最も恐れるべき結果である。

語る事ができず、騙らざるを得ない状況に、自らを追い込んでいる人が世の中には多い。

自分自身も常に自戒すべき事だと思っている。





















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