初期型日産リーフに乗って、全国を巡る行政書士の日記(千葉県行政書士会所属・公納行政書士事務所)

千葉市・木更津市・君津市・習志野市・船橋市・市川市・浦安市・四街道市・佐倉市・成田市・市原市で新規開業応援中。

日産プリンス千葉牛久店で日産ノートE-POWER納車(1年前の今日)

2018-04-15 07:05:00 | 自動車
2018年4月15日

1年前の今日、2017年4月15日は日産プリンス千葉牛久店で日産ノートE-POWER納車。

納車後すぐに、鶴舞インターから圏央道へ。

東京湾アクアライン・横羽線・保土ヶ谷バイパス・東名高速・新東名・伊勢湾岸自動車道・東名阪・新名神・名神・中国自動車道・鳥取自動車道で鳥取へ。

写真は2017年4月17日撮影。

鶴舞インターから圏央道へ。

東京湾アクアライン・横羽線・保土ヶ谷バイパス・東名高速・新東名・伊勢湾岸自動車道・東名阪・新名神・名神・中国自動車道・鳥取自動車道で鳥取へ。

そごうパーキング館で普通充電・日産プリンス神奈川川崎店で急速充電(4年前の今日)

2018-04-15 07:04:00 | 日産リーフ
2018年4月15日

4年前の今日、2014年4月15日は①そごうパーキング館で普通充電。

①は2016年10月17日よりNCSスポットとして運用。

急速充電器1台、普通充電器141台あり。

従来、普通充電器があったところに急速充電器があり。

2017年4月30日に初めて急速充電器を利用。

24時間利用可能。

平日に限り、合計税込2,000円以上購入で3時間まで無料。

土日祝日及び年末年始(12月24日~1月3日)は通常料金(1時間30分まで無料)。

土日祝日限定サービス土日祝日および年末年始(12月24日~1月3日)、合計税込30,000円以上購入で3時間まで無料。

電気自動車で利用する場合、1時間サービス券。利用の際は、車検証など電気自動車の証明になるものをそごうパーキング館3階のサービスカウンターへ提示。

ナビ情報によるとファミリーマート横浜駅東口店まで69メートル。

②日産プリンス神奈川川崎店で急速充電(初めて利用したのは2012年11月27日)。

②は充電コントローラー付きで、24時間利用可能。

ナビ情報によると100メートル以内にコンビニ・ファミリーレストラン・ファーストフードありません。

100メートル以内に寿司・うどん・ソバ・肉料理・ステーキハウス・カレー・ラーメン・パスタ等のお店・ネットカフェ・公共トイレもありません。

自販機1台あり。

写真はそごうパーキング館。

中の島大橋(千葉県木更津市)(6年前の今日)

2018-04-15 07:03:00 | 旅行・観光・景勝地
2018年4月15日

6年前の今日、2012年4月15日は中の島大橋。

中の島大橋は、高さ27メートル・長さが236メートルという日本一高い歩道橋です。

夕暮れ時には、富士山を背景にロマンティックな雰囲気に包まれることから、「恋人の聖地」に選定され、橋の袂たもとには、かわいいタヌキのカップル像が設置されています。

さらに、タヌキのカップル像の脇にあるラブフェンスには自由に南京錠をつけることができ、永遠の愛を誓い合うことができます。

また、この橋はテレビドラマ&映画「木更津キャッツアイ」のロケ地となり、若い男女がおんぶして渡ると恋が叶うというストーリーから「赤い橋の伝説」が生まれています(木更津市ホームページより)。

恋人の聖地プロジェクトホームページはこちら
http://www.seichi.net/

證誠寺(千葉県木更津市)(6年前の今日)

2018-04-15 07:02:00 | 旅行・観光・景勝地
2018年4月15日

6年前の今日、2012年4月15日は證誠寺。

證誠寺は千葉県木更津市にある浄土真宗本願寺派に属する寺院である。

山号は護念山。

寺に伝わる伝説『狸囃子』は日本三大狸伝説の1つとして数えられる。

この伝説を元に、童謡『証城寺の狸囃子』が作詞作曲された。

境内には「狸ばやし童謡記念碑」などがあり、毎年秋には狸の供養として狸まつりが行われる。

尚、童謡のタイトルは「じょう」の字に「城」を当てた証城寺となっているが、これは住所表記としては誤りである。

証誠寺と表記される場合もあるが、これは「證」の新字体が「証」であるためである(ウィキペディアより)。

證誠寺ホームページはこちら
http://www.shojoji.net/

新井白石居宅跡(千葉県君津市)(6年前の今日)

2018-04-15 07:01:00 | 旅行・観光・景勝地
2018年4月15日

6年前の今日、2012年4月15日は新井白石居宅跡。

新井白石は、江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。

一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房とともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。

家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。

学問は朱子学、歴史学、地理学、言語学、文学と多岐に亘る。

また詩人で多くの漢詩が伝わる。

白石は号で、諱は君美(ウィキペディアより)。