散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記170826土(美術鑑賞止める?)

2017年08月29日 13時40分19秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
最高/最低 31.5   20.7  曇一時雨
この日は、朝からとりあえず必要な3食分の副食を作り、遅い朝食になった。
その後昨日記を書いたりして、昼食も非常に遅くなった。
その後、中央図書館に図書の返却に行き、新しく本を借りた。

毎週土曜日は、西天満の現代系画廊を見て回るのだが、この日は時間がなく行くのを止めた。
最近、何となく現代絵画や美術に対する関心が薄くなった。
もっと具体的に言うと、バッサリと美術鑑賞を止めるか、フェードアウトするか、逆に今まで通り積極的に趣味として美術鑑賞に絡むか、迷っている。
そもそも義務的に、美術鑑賞するのは嫌だ。
しかし、以前何度も触れているように、美術鑑賞にはお金がかかる。
繰り言になるが、気持ちを整理するためその論点や言い訳を書きだしてみる。
例えば美術館やアートフェアの入場料、画廊回りするための交通費、ギャラリー催し物(ギャラリートーク等)の参加費がある。
近年、いい作品はアートフェアに展示されることが多く、そこに行くには参加費や交通費と体力が必要だ。
それ以前に、美術は本物の作品を観る必要があり、そのためには現地(美術館・ギャラリー・アートフェア―)まで足を運ばなくてはならないので、最低限の経済的余裕(貧困でないこと)と体力(歩き回れること)は必要だ。。
作家から案内をもらっても、遠くに行くと交通費だけで絵も千円以上かかるので頻繁に行けない。
それに、いい作品や作家を発見しようとすると、見て回る範囲を広げる必要がある。
又、美術情報や作品の評価や美術評論を見るには、美術専門誌・雑誌を読む必要があり高くて買えない。
そういう意味で、最近何度も書いているが、美術鑑賞は、相対的貧困層で生活するのがやっとの私の経済力では美術鑑賞は分不相応の趣味に違いない。
こう考えると、結論は自ずから決まってくる。(貧乏人は美術鑑賞するな??)
しかし10年間ギャラリーを経営し、現代美術を見続けてきた私にとって未練はあるし、友人知人も多い。
だが、本格的な美術鑑賞でなくても、毎週1回西天満その他の近隣の現代系画廊をみて回ること程度はできるし、よく知る作家からいただいた案内状により、交通費が余りかからない近郊であれば、その展覧会に参加することは可能である。
こうした態度は、いかにも中途半端な趣味となるが、分相応の生き方を追求すればこうならざるを得ないと思っている。(上を見ればきりがないし、経済的余裕がないのに美術鑑賞する事に無理がある。)
けつろんを言えば、多分今までの私の生きざまも含めて考えれば、非常に中途半端だが、近くの画廊を見て回る程度のことで美術鑑賞の趣味を続けること程度は、可能性がありそうだ。(井の中の蛙になる可能性大)
大胆に多くの作品を観て歩くことはできないが、身の丈にあった範囲で小さく美術鑑賞の趣味を継続していこうと思う。

上記以外に、以前にも書いたが、現代美術に対する関心が薄くなっている原因の一つとして、衝撃的な作品に接する機会が減ったのも事実だ。
無論、私の見て回る範囲が非常に狭いのが、その理由の一つでもある。
事実、瀬戸内や、東北のアートフェア―をTVで紹介されていたが、魅力的な作品が多かったようだが、現地で見なければ美術鑑賞にならない。
同じような意味で、東京あたりの画廊には、いい作品が展示されているのかもしれない。

今日、知り合いの作家が西天満のギャラリー白で個展をしていて、以前偶然顔を合わせた時に案内をもらって、行くと言っていたのに行けなかったので、約束を果たせず心残りであった。

同じ趣味でも、音楽はコンサートには行けないが、ラジオ、TV、CDといったメディアを使って何時でも鑑賞できるので助かる。

図書館で本を借りた後、地下鉄沿線のカフェに寄り、借りてきた本を読んだ。
帰宅後すぐにジムに行き、30分間で4.6km程度走った。
非常に、過酷な運動だった。

散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
散歩者goo 自選ブログ 

コメント