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不朽の名作『モナ・リザ』を生んだのは「利子」だった!?―『コレクションと資本主義』が教える経済と芸術の驚くべきつながり

2017-09-17 | Art

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170916-00399982-davinci-ent

もともと人間に備わっている欲求に、所有欲がある。それを肯定し拡大せんとして、近代資本主義は生まれ出た。

 古代、物々交換の時代から、利子は活用されていた。12世紀にフィレンツェや北部ヨーロッパの先進都市で貨幣経済が発達すると、その必要性はいや増した。

 それでも中世においては、キリスト教が利子の普及を抑えた。聖書には、利子をとってはいけないとの記述が、れっきとしてあるのだ。人々はそれを尊重してきたが、時代が流れるとルールも変わる。1215年の第4回ラテラノ公会議では、活発化する経済に押されるようにして、利子が認められることとなった。

 利子をとるかどうか、利率をどうするかは個人が決めればいい。それはつまり、宗教的権威が個人の活動、裁量、そして自由を認めたことにつながる。

 時期を同じくして、美術の世界ではこのころ初めて、作者の名前が表に出るようになった。それまでは宗教装飾の一部としか見なされていなかった美術が、自立した個人の営みと認められたのである。13世紀にはイタリアのピエトロ・カヴァリーニ、チマブーエ、ジョットらが自分の名とともに作品を残した。

 経済が個人の存在を浮かび上がらせ、その恩恵のもと芸術家が活動を活発化させるという循環ができた。そうなれば、このあとの展開は容易に想像できる。人々はもっと自由な商業活動を要求し、獲得する。それに伴い芸術も、さらに自由な表現を求める。その帰結として、ルネサンスの時代がやってくる。

 ルネサンスは日本語に訳すと「人間復興」。宗教的な価値観に縛られず、人間的な感性を取り戻そうという運動は、起こるべくして起きたのがわかる。

 ルネサンスはイタリアでの動きが中心だったが、毛織物工業と国際貿易で栄えた北方のネーデルランドでも似た状況がもたらされた。ここで15世紀、ファン・エイク兄弟によって油彩画技法が生み出される。それまで絵画といえば、壁に直接描いたりすることが多かったのに、板やキャンバスに気軽に描くことができるようになった。重ね塗りも容易だから、画家は絵を持ち歩いて描き足していくことも可能に。どこにでも運べる絵画は、商品として有用となり、高い商品性をもつに至った。

 個人が、宗教的な縛りから離れて人間世界のことを自由に描く。できた絵画は、商品として流通する。そうした状況が整った先にルネサンス期の大傑作、いや人類の表現史全体を見渡しても白眉の、レオナルド・ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』は誕生したのだ。

 神でもなんでもない普通の女性の姿を、油彩技法で、持ち運びできるサイズの画面に描いて、その佇まいと微笑みだけによって人を惹きつけ続ける作品は、利子の普及に象徴される経済社会状況のもとでこそ成立した。

 そう説かれると、なるほどアートはいつだって時代と社会の産物であると実感するし、小難しいと敬遠しがちなマクロ経済も、人の暮らしをよりよく理解するためにあるのだと得心する。

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