三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

原市沼川横の調整池のケモノ道。

2023-12-20 14:58:15 | 日記・エッセイ・コラム

2023年12月20日(水)原市沼川横の調整池のケモノ道・・・・タヌキが居ましたが今はなかなか見ることが出来ませんが、ケモノ道はありますね。

見てわかりますか、道路を横切っている足跡が・・・雨の後足跡が付いt乾いたのでハキリしますね。

調整池の土手の草むらが横たわり道に・・・これがケモノ道、何が通るかわわかりませんが、多分ネコかタヌキだと思いますが、繰り返し通るので草が無くなりハッキリと道に。

反対側も草が少ないがよく見ると後になっているのが解りますね。

ツツジ苑の土手ですが、金網がありますが向こう側にも跡が・・・。

木の根を回り込んで斜めに道が見えますね、ケモノが繰り返し通るのです、皆さんも土手の散歩道でもあれば注意して観察してください。


京都豊国神社に行って来ました。

2023-12-20 10:00:17 | 旅行記
2023年12月13日(水)京都豊国神社周辺に行って来ました。

豊国廟参道・・・智積院脇・・・京都女子大学方面なのでしょうか。

反対側の智積院側の角に新日吉神宮(いまひえ)。

豊国廟参道脇にある新日吉神宮拝殿。

新日吉神宮まで・・・豊臣秀吉の墓所豊国廟は阿弥陀ケ峰の山頂で489の階段をあがるみたいで今回は時間が無いので諦めました。

豊国神社裏側の方広寺大仏殿跡へ、豊臣秀吉が関白就任後天正14年(1586)から作成文禄4年(1595)大仏殿が完成したが翌年の大地震で大破、その後子の秀頼が手掛け、慶長17年(1612)事実上完成、その時の梵鐘の銘文 国家安穏・君臣豊楽 に徳川家康が意義大阪の陣が起きた所。

大仏殿跡地は豊国神社裏側。

豊国神社脇にある問題となった、梵鐘・・・巨大な鐘ですね。

思わず見上げました。

この鐘に銘文が拝観して見つけたら・・・。

豊国神社・・・昔は広大だったのでしょうね?。

豊国神社・・・豊臣秀吉が祀られている・・・・この地域は豊臣家ゆかりの地なのでしょうかね、直接関係ないですが三十三間堂脇の養源院は豊臣秀吉側室の淀殿が父浅井長政の為に建て、焼失後二代将軍秀忠の正室お江が再建。

豊国神社 国宝の唐門・・・南禅寺金地院から移した伏見城の遺構。

近くからの 唐門。

唐門から豊国神社拝殿を・・・・。

時間の都合で中に入れず・・・・・今度ゆっくりと来てみたいですね。