メランコリア

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ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

外国人に聞く「戦争」@あさイチ

2016-08-09 10:20:08 | テレビ・動画配信
外国人に聞く「戦争」@あさイチ
専門家ゲスト:田中好子さん(NPO法人パレスチナ子どものキャンペーン 事務局長)
ゲスト:山口もえさん(タレント)、マキタスポーツさん(タレント)
リポーター:佐藤俊吉アナウンサー

 

平和な暮らしを奪われた外国人を取材し、視聴者FAXでは“日本はこれからも平和が続くと思うか?”を募集した。




去年日本に来たマンスールさん。母国では大学教授をしていた

都内のモスクで祈りを捧げる
 

内戦前のアレッポは世界遺産もある美しく、穏やかで、平和な町だった
 

「日本より安全な国でした」



きっかけ
「アラブの春」(独裁政権に対する民主化運動

「最初は平和的デモでした」


政府vs反政府組織が対立し、政府軍がデモ隊に発砲し、死者が出て状況は一変
デモ隊は武装し、争いは拡大し、数十万の市民が犠牲になった



マンスールさん:
私たちの役割は、警察とデモをしている学生の間に入ることだった
そうでなければ、いつ血が流れてしまうか分からない
けれども、あっという間にチェーンリアクション(連鎖反応)になった

シリア人同士、話し合いをする場があれば、絶対なんとか
今やめたら話し合える、まだなんとかなる

でも、まだまだ許す気持ちはあります。許します(涙
ぜひ、話し合いましょうという気持ちだった

他国が支援をはじめて複雑な構図となり収拾がつかなくなった
 

マンスールさん:
シリア人だけでは争いを終わらせるのが難しくなった
シリア人は中東の中でも温厚だから、戦争まではいかないと思っていた

現在の廃墟と化した町
 

マンスールさん:
“外からの悪魔”が“いやいや戦いなさい。戦いなさい。戦いなさい”という感じ
状況は複雑になって、もうアラーの力でしかシリアには平和は戻らない

心配します。日本のこと。日本の若い方は無関心
ニュースを見て、新聞を読んで、日本はどこに向かっていくのか。この政治はいいのか。

せっかく、自由な国で、自由選挙もある。
それは、私たちは外から見て、残念なことだと思います

(でも、シリア人の若者のデモから始まったのなら、同じ状況になったら、やっぱり内戦になってしまうのでは?

ヤナギー:
反政府勢力とひと言でくくれなくなった。10以上ものいろんなグループがある
気づかないうちに大事になり、しかも、終わりが見えない

佐藤アナ「太平洋戦争も同じ状況だったと思われますか?」

ヤナギー:
同じだったかもしれない

フシギなのは、どの時代も戦争のない時代がない
(そう。歴史の授業はだからつまらない。○×の乱、○×戦争の話、誰が支配していたか、という話ばかりだ
マンスールさんは、日本の若者は政治に無関心だとおっしゃったけど、そうじゃないと思う
ただ、周りであまり話す機会がない

イノッチ:タブーな感じがある

マキタさん:
SNSでは議論しても、別の場で真面目な議論をしづらい
ちょっと発言すると叩かれたりするし




イラク人 サラさん(医師、仮名、イラクでは少数派のクリスチャン)「言葉が憎しみを生んだ」

知人からの脅迫メール・SNSの書き込みが来るようになった
取材で仮名にして、顔を伏せたのは、IS思想に染まった知人から
大量の脅迫メール・SNSの書き込みが来るようになったため


「近いうちに怒りの報復が来るだろう」

サラ「3日間、食べられませんでした。怖くて」

きっかけ
アメリカにより、「フセイン政権」が倒され、その後の指導権をシーア派vsスンニ派が争っている



県境などに勝手に「検問所」が作られ、異なる宗派の人は殺される
 

サラ:
シーアではスンニは殺されます
クリスチャンは、イスラム教に改宗するか、町を出るか、殺されるかを迫られた

以前は異なる宗派も仲良く働いていた
私は、友だち、スンニ、シーア、同じ部屋に住んでいました
その後、それぞれの宣伝合戦が始まり、互いの誹謗中傷を繰り返した

思想をラウドスピーカーでアナウンスする
宗教のリーダーからのたくさん悪い言葉がありました。
とっても怖かった、本当に。泣きました



サラ:
同じことを何度も言われると、習慣が思想になり、やがて行動に移す
(ツイッターで読んだマザー・テレサの言葉にもあったな



ミャンマー人 テンテンさん:15年前に日本に来て、中国人の夫と結婚


「皆さんは、戦争というのは、銃を持って戦っているのが戦争だと思っているけれど、
 読みたい本を読ませてくれないことも戦争
 行きたい所に行けない。言いたい事を言えないことも戦争」


きっかけ
軍のクーデターで軍事政権が誕生。この戦闘で数千人の市民が犠牲となった


テンテンさんは、高校の時、亡くなった犠牲者のための追悼イベントを計画し、「喪章」をつけることが問題となった。

「みんなを思い出すために、リボン(喪章)を作ります
 その情報が私たちの学校の校長先生の耳に届いた
 “それ止めますか? 止めなかったら、学校辞めますか?”と聞かれた
 学校でさえ言葉に出すことも出来なかった。軍事政権の支配でした」

アウン・サン・スー・チーさん


「ビルマの新聞ではスー・チーさんの悪口ばかりを書いていた
 私は彼女のことがすごく知りたかった。どう暮らしていたか、どういう志を持っているのかなど」


日本に来て、本を読み、初めて母国で何が起きているのかを知った


「今まであったことを本を読んで理解できた
 その本はビルマでは読んだことも、見たこともない
 軍事政権の下にいる私たちは、どこまで閉じ込められていたのか・・・」

(北朝鮮や、他の国にもたくさんいるだろうな。先進国であっても情報操作・規制があるのだから


マキタさん:
今はネットで情報を得られるけれども、それを正しく“見る目”も養う必要がある
“前提”や“常識”は誰かが作ったものですから。それを疑ってみる(そう思う

有働:
マキタさんは、著書の中で“日本人は空気を読む。それはいい面でもあるけれども、
自分の意見を言わず→考えなくなって→流されていく”
と書いていますよね

ヤナギー:
目の前のことを、“ひょっとして、コレってウソかもしれない”とチェックするのもマスコミの仕事だと思っている
そのまま垂れ流しでは役割を果たしていない

イノッチ:
想像する心を子どもたちにも持ってほしい。
そして、それを大人が制限しないでほしい


<警察官を目指す10代からのFAX>

「正義と悪は紙一重だと思う」

ヤナギー:まったくその通りで、政治がそれを利用することもある



シリアの難民キャンプで暮らす、とくに女性や子どもを現地で支援しているNPO「パレスチナ子どものキャンペーン」
 

現地のレバノン事務所職員・南さんと話す


難民キャンプは、どれも数十年前に建てられた古い建物。そこで数万人が暮らしている
中は電線がむき出しのところもあり、亡くなる事故もある

 

 

「1~2km2以内のものすごく小さいキャンプの中に
 すごい人数が一緒に住んでいるのが現状
 皆さんがおっしゃるのは“自分がいつ死ぬか分からない”


ゴミの収集も追いつかず、衛生状況が悪く、感染症が蔓延している

 
「水はタンクにためたものを使うので、臭いがひどくて洗濯に使えません。味もとっても塩辛くて・・・」


<小さい子どもを持つお母さん方の声を聞く>

「11%の方が“自殺してしまいたい”“自分を傷つけたい”願望がある、という結果が出ている」




ファティマさん(36・仮名)


5人の娘さんがいる。夫はシリアの自宅に残り、過激派に占領されているため、連絡も取れない
2人の娘さんは血液の病気で、2週間に一度輸血が必要だが、もうお金が限界だという

「うちの子たちはいつもお医者さんごっこをして遊んでいるんです

子どもたちの前では明るい笑顔を絶やさないが、1人でインタビューしたらまったく違う表情を見せた



「ずっと落ち込んでいます。ここでは何もかも私1人でやらないといけません
 子どもたちを育てる責任に押し潰されそうです
 物価も高くて、必要なものが買えません

 私たちがどんな悪いことをしたんですか?
 全員が死ぬのか、一部の子だけ死ぬのか、いつも怖かった
 目の前で子どもたちが死ぬ姿を見るくらいなら、いっそ私が死にたいと思うこともありました


田中:
レバノンの状況は悪いです。120万人がパレスチナとシリアからの難民。人口の3人に1人。
15歳以下の子どもが半数以上。母子家庭が多い

戦争になると弱者をサポートするシステムが全部破壊されてしまう
女性、子ども、老人らにしわ寄せがきて、支援はいつも足りません

ヤナギー:一番弱い人たちが苦しむのが戦争だと思う


<FAX>

「日本は“小人の政治”と海外から言われる。
 外国相手だと大きな顔ができないという意味
 1人1人、具体的な行動をとらないと戦争なんて終わるはずがない」

(小学校教師)
「子どもに歴史の話をすると“中国キライ”“北朝鮮ヤバイ”と感情的に簡単に口にするのが気になります
 マスコミの安易な投げかけの影響を懸念している」

ほかにも、「日本も危ない」「自衛が必要」という声も多かったが、
そこから戦争が始まったって話じゃないのかなあ。



 

「(子どもの頃)3食がすべてパンという感じだった。それが2年か、もっと続いた」

きっかけ
異なる民族同士が政治の主導権を巡って40年近くも紛争が続いている(!



友だちの死を目の前で見た体験


「友だちのハーディと道で遊んでいた
 よく流れ弾があちこちに当たったりしていた

 銃弾が飛ぶ音は“ピュー”という音がするけれど、
 当たると“パッ”という音がする

 どこに当たった?と思う前に、ハーディが目の前に倒れている
 “あ、やられた”と思って、私が彼の家族の家に入って呼んだ
 “ハーディを助けてください”って言いながら、
 だけど、もう、彼が死んでいるのは分かっていました」


2ヶ月間、外に出られなくなった


「いつ自分がそうなるか時間の問題だと思っていた
 世界がこうなんだと思っていました」


田中:
たくさんの子どもがココロの傷を抱えている
2年間ひと言も喋らない子もいる。その理由は親にも分からない。

「自分は大人になれないんじゃないか」と思っている子どもが多い
「お葬式ごっこ」という遊びがあるんですよ



イラク戦争に行った元アメリカ兵 アッシュさん


「Travelling Warriors(トラベリング・ウォーリアーズ)」の女性が話を聞いた。

これまで2人の元兵士から話を聞く場を設けた


PCでアッシュさんと話すことができた


21才で戦地に送られた


「私は“州兵”でした。アメリカでは“州兵”に登録すると、大学の学費が援助される制度があったんです
 それは、お金のない人間にとって、進学の道を開く方法でした」

(なんだか自衛隊募集のポスターが目に浮かんだ



 

 

実際行っていたのは「後方支援」(物資の輸送、施設を造るなど)だけれども、
武器をとらなくても、心に深い傷をおったという

「まったく信じられませんでした
 辛かったのは、家族に“さよなら”としか言えなかったことです」



銃で撃たれてケガをしたイラク人女性に遭遇

「その女性を助けるために車を止めようとしたら、
 上官が“ハッジのために車を止めるな”と言ったんです
 アメリカ兵はイラク人を“ハッジ”と呼んでいました」


ハッジと呼ぶことで、イラク人を人間として扱わなかった


乗っていた車が、イラク人の女の子を轢いて死なせてしまい、安全のため完全武装して遺族に慰謝料を渡すことに


私たちは、泣いていた家族にずっと銃口を向けていました
 そして何の説明も、何の謝罪の言葉もなく
 ただ、お金をポンと渡して帰ったのです
 それはまるで、知り合いの家でイスを壊してしまって
 弁償のために、いくらかお金を渡す、そんな態度でした」


帰国後も以前の自分に戻れなかった
過度の飲酒、暴力的な言動が増えた

「おかしなことだけれども、とても大きな怒りを感じていました
 私たちがイラク人をどう扱っていたのか
 どれほど無礼な振る舞いをしてきたか、考えると、今でも心が痛いです」




ヤナギー:
イラクの収容所では、テロリストの首に輪をつけて犬のような扱いをしたことが報道されて、アメリカで大問題になった。
戦場では常軌を逸したことが当然になってくる。それが繰り返されると麻痺してしまう怖さがある。


イノッチ:憎しみの連鎖にもなりますよね

ヤナギー:
実際、「クールダウン」させてから再び戦場に送るシステムがあるほど、それほどマヒしてしまう

佐藤アナ:
多くの帰還兵が似たような話をしている。いわゆる「PTSD」の症状
せっかく母国に帰還しても自殺してしまう人も多い

ヤナギー:
僕も現地で取材していたから、いまだに花火の音を聞くとふっと思い出す。フラッシュバックする

山口もえさん:
戦争の裏でお金儲けをする人、仕掛けようとしている人もいる
戦っている人たちにいったん考えて「私たちは何してるんだろう?」と気づいて欲しい


<FAX>

  



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