メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

今よみがえるアイヌの言霊 100枚のレコードに込められた思い@ETV特集

2018-11-08 12:20:40 | テレビ
鮭が泳ぐ川は神様です
木や、山も神様
そして風も神様です

(鮭を棒で突いて漁をする男性






アイヌの民は、自然のあらゆるものに魂を感じ、これを畏れ敬いながら暮らしてきました



『アイヌ神謡集より』 知里幸恵 編訳(大正12年)
その昔 この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました
天真爛漫な稚児のように、美しい大自然に抱擁されて
のんびりと楽しく生活していた彼らは、神の自然の寵児
なんという幸福な人たちであったでしょう(原文ママ














山や川 鳥や動物に語りかけ、心を通わせてきたアイヌ民族

北海道 白糠町在住 伊賀さん:
昭和20年頃 子熊と遊んだ記憶があります
熊と一緒に遊んだ相撲とったり
2歳になるまでは子どもと同じだもん

山へ行くのでも、川へ行くのでも、ずっと自分について歩く
いなくなったら、わざと隠れたりしたら、「ファーファー」と鳴いて呼ぶ

相撲をとってね 俺がぶん投げたら熊は勝つまでかかってくる
だから最後わざと負けてやんなけりゃ
わざと負けてやるんだよ熊に そしたら喜んでる

何も人間と変わらないんだって 喋らないだけで


アイヌ民族は、狩猟を中心とした生活をしながら
独自の言葉「アイヌ語」を話して暮らしてきました

しかし、近代日本の国家建設の歴史がアイヌの暮らしを劇的に変えました
アイヌ語は、今ほとんど使われなくなりました
そのアイヌ民族の貴重な資料がNHKに残されていました


【NHK札幌放送局】






太平洋戦争直後に録音された、およそ100枚のレコードです
そこには、北海道各地に暮らしていたアイヌの肉声 当時の歌や語りが記録されています

アイヌの研究者:
NHKの録音の中でも特に古い資料になりますし
それから色々な地域のものが含まれていますので
アイヌ語そのものの資料として貴重だということと
文学や音楽の資料として大変価値のあるものですね


アイヌ語の歌や語りは代々口伝えでのみ受け継がれてきました
それが70年の時を経て蘇りました

北の大地で育まれたアイヌ文化の豊かさと、その苦難の歴史 100枚のレコードが語る物語です



昭和23年(1948)標茶町で行われたアイヌの祭りの映像

「日本ニュース」(製作 日本映画社)












人々の息づかいが伝わる貴重な映像ですが、この時音声は録音されませんでした
しかし、このフィルムが撮影された前の年、NHKはアイヌの歌や語りの音声を
レコードに収録していました
それはある調査の一環でした



【NHK放送センター 東京 渋谷】




NHK元職員稲田さん:
これがNHKの昭和15年~平成5年まで、
50年以上かけて民謡を集めて本にしたシリーズなんです

これは昭和10年代からやってたんですが、戦争で1回調査が止まっちゃうわけですね
昭和22年に調査を再開しようと

その時に北海道におられたアイヌの人たちの音楽を本格的に記録しようと始めたわけです
再開はアイヌから始まったんですよ


「調査の企画書」



元々アイヌ語には固有の文字がありません
そのため、この調査は貴重なものになりました



言語学者の金田一京助、北海道大学教授 知里真志保

昭和22年8月 調査にはアイヌ研究の第一人者が協力していた





【NHK札幌放送局】
その調査の時に記録された音源がNHK札幌放送局の資料室に残されています
当時はレコードに直接、音を収録する方式
その数およそ100枚 道内10箇所で録音されました
収録から70年 痛みが激しいため、音の修復に取り組むことにしました




音源を修復する会社・渡辺さん:
かなり劣化が進んでいるみたいで、この茶色い線ですね
これはアルバムを挟んでる紙とレコードがくっついちゃっている
この茶色い部分がクリーニングでうまく取れれば
デジタル化がうまくできると思うんですけれども


アイヌの文化は、口伝えで受け継がれてきた
しかし今、断絶の危機にあります
文字のない、言語文化の豊かさは、声に凝縮されているはずです



アイヌ民族は古来 北海道、サハリン、千島に暮らしてきた
その生活は、狩猟や採集を中心にしたもの
山では熊や鹿を狩り、川で鮭などの魚を捕りました








アイヌは本州や大陸と自由に交易を行っていたことが知られています
自分たちの採った昆布や、干しアワビなどの海産物
クマやアザラシ、ラッコといった動物の毛皮などを交易品としました










その取引でもたらされた中国産の華やかな錦が残されています 「蝦夷錦」




異文化との交流は、アイヌ文化を奥行きあるものにしていきました



今でも多くのアイヌ民族が暮らしている 北海道 日高地方の平取町



平取はNHKの調査による収録場所のひとつです

「平取町立二風谷アイヌ文化博物館」





あらゆるものに感謝しながら暮らしてきたアイヌ民族

アイヌ文化やアイヌ語に詳しい博物館職員関根さん:
あらゆる物に魂が宿っていて、その中で力の強いものを「カムイ」=神様として崇めていると言います

(角川映画の『カムイの剣』もアイヌの話?

何でもカムイだと
木1本でもカムイですし 植物も動物もほとんど
風のような自然現象 雨も

(素敵な巨樹




さらに面白いことに「お椀」もカムイという考え
どうしてかと言うと、人間は川の水を手のひらに掬うことは出来るが
やっぱりポトポト落ちてしまう
でもお椀なら、すくったまま何時間もいれておける

「人間の能力を超えた能力」を持っていれば、それはもう「カムイ」なんだと
そういった考え方をするんですね

素手で出来ないことをしてもらう道具って、そもそもそういうものですよね
そういうために作るんですから

熱いお鍋の中のものをすくうためにしゃもじを作る それは人間の能力を超えている
ですから 道具を作り上げた瞬間に「カムイ」としての魂が宿る、そういう考えです

そうした道具が壊れると、それまで役立ってくれたことに感謝して
その魂を神の国へ送り返す儀式までしたと言います







音源の修復
まずは、レコードに付着しているゴミを取り除きます(楊枝?!
溝を傷つけないように汚れを取る地道な作業です






次に汚れを取ったレコードを再生します
その音源をコンピューターに取り込みました
汚れを取り除いただけでは、雑音がまだ大きく聞こえます






Q:どういうところが難しいですか?

音源を修復する松井さん:
喋っている音声に音程が近い辺りのノイズ音ですね これはやはりかなり切りにくいです
ノイズを消したら原音が一緒に消えてしまうものもありますので
それをいかに避けるかというのが非常に難しい点になります

雑音の波形を小さくする作業を繰り返していきます 音が鮮明になりました

(この人一人でやってるの???
 あんなにノイズが酷かったのに、とてもいい音に修復する技術はスゴイ!



平取のレコードの翻訳 「ウコヤイクレカルパ」

70年の時を経て蘇った音源は166の演目 のべ6時間以上に及びます

北海道平取町
平取のレコードの翻訳をお願いしたのは関根さんです




訳しているのは「ウコヤイクレカルパ」という語り
アイヌ語で「互いに挨拶する」という意味です

翻訳は、まずはすべての音をローマ字に起こすことから始まります




兵庫県出身の関根さん
この平取でアイヌ民族の女性マキさんと知り合い、結婚

以来20年近く、平取に住みながら、アイヌの言葉や文化を学んできました
今では後の子どもたちにアイヌ語を教えるまでになりました

(音源を何度も繰り返し聞く これは気の遠くなるような作業だな
 しかも、北海道の人じゃないんだ/驚
 アイヌ語対訳の辞書があるのか




しかし今回の録音の翻訳は、関根さんにとっても難しいと言います

関根さん:
どちらかと言うと「祝詞」的な言葉なので
祈り言葉とか、あるいは挨拶言葉で使われるような言葉なので

僕はそんなにこういう言葉を勉強してないし
アイヌ語にもこういう言葉の資料は少ないと思います


別のアイヌ語の資料と照らし合わせながら、一語一語検証していくと
やがてその内容が明らかになりました



言語学者 知里真志保
この収録には当時、北海道大学の講師だった言語学者・知里真志保が立ち会っていました

収録当時の写真



語り手は 54歳の男性



当時すでに失われつつあったアイヌ文化を大切に守ってきた人物です
知里真志保を歓迎する思いを即興で語ったと考えられます




「若き尊敬する方が同席している
 そうしたならば 昔の古老、昔の先祖が唱えた言葉
 そうした言葉のさわりのところだけでも 帳面の上に彼が書き残したならば
 何代も何代にもわたり 言葉が引き継がれる」



関根さん:
「若い立派な方」とは、知里真志保さんのことを表しているのではないかと考えられますね
我々の方に言葉が記録として残すことができる
そうすれば何代にもわたって引き継がれるようになる
そうしたことをここでは言っているんだと思います


「言葉にしようにも この気持ちというものは 言葉にしようもない
 我が兄弟と対面するに際し 言葉を述べようにも 何を言えば良いのか
 甚だ手短ではあるが 私が述べるのは以上である 我が君よ」



関根さん:
アイヌ語で語るということは誇らしいことだと思っていたでしょうし
その場面に立派な真志保さんとかもいて、しっかりNHKで記録に残すというような
企画に対しても嬉しく思っていたと思います
いろんなものに感謝する 晴れ晴れしい気持ちで、この録音をされたのではないかと思いますね


蘇ったアイヌの挨拶は、節がつき祝詞のようになった言葉でした
その声には、もてなしの心と、自らの言葉への誇りが込められていました



北海道東部 釧路市 祭り歌「ウポポ」
ここで収録されていたのは歌でした
祭りや儀式の時のなどに歌われるもので「ウポポ」と呼ばれます

収録が行われたのはNHK釧路放送局
釧路周辺に暮らすアイヌの人たちが集まりました






アイヌ語にも地域特有の方言があります
釧路地方のアイヌ語に詳しい大野さんに、この歌の翻訳をお願いしました




「霧をちらす 神の乗り物(が空を飛び) 海が鳴り響く 鳴り響いていく
 月から神が降りてきた 岩山の手前に降りた
 岩山の手前 美しい風音となって聞こえる」



一転して美しい描写
風のような音を立てて神様が空から舞い降りて来ました

この神は「シマフクロウ」だと言います
村の守り神として特に大切にされてきました




大野さん:
儀式の時にやるということは、その場にいる神々、先祖の霊もその場にいて
一緒に歌い、一緒に楽しんでいる

人間だけが楽しむのではない 神々やご先祖様も一緒に楽しむ そういう意味があると思います
今風に言えば「奉納」と捉えることができるかもしれしれません



神や先祖と一緒に楽しむ歌

自然は、調達・收奪するものではなく
その恵みに感謝し、礼を尽くすものだという倫理観が背景にあるといいます


大野さん:
命を奪って自分たちが生きている
大自然の神々にことあるごとに祈りを捧げる 感謝をする

また人間の国へ来てください、恵みがあるように、
魚がとれるようにと神様にお願いしますという儀式をやった

常に感謝があるわけです
大自然の中から命をもらって自分たちが生きている
そういう気持ちを忘れず、ことあるごとに儀式をやっていたんだと思います



明治維新後 アイヌ民族の生活は一変する
感謝と祈りを大切にしながら自然と共に生きてきたアイヌ民族

明治2年
北の大地は、日本政府によって「北海道」と名付けられます
土地は国有化され、いわゆる開拓が進められました




「和人」
本州からは和人の入植が奨励され、広大な土地が入植者に分配されます
こうした中で、アイヌ民族の暮らしは制約されます
「資源保護」などを名目に、自由に鮭をとることを禁じられ、鹿猟なども禁止されます

(開拓者たちも大変だったろうけどけれども、その前に住んでいた人たちがいるんだ
 明治維新って何だったんだろう?

 星野道夫さんが著作の中で書いたアラスカのことも思い出す
 アメリカ領となり、独自の文化、言語、アイデンティティを奪われて、自殺する若者が急増したエスキモーの人々

「星野道夫さんまとめ」参照



明治32年(1899) 「北海道旧土人保護法」が制定





ここで「旧土人」とされているのはアイヌ民族です


「農業に従事すること」
この法律によって、アイヌ民族は狩猟から農業へと
その生活の形を大きく変えることを求められます

「アイヌ語を禁じる」
教育では「旧土人学校」と呼ばれたアイヌの子どもたちだけを対象にした学校が作られます
そこでは日本語だけで授業が行われアイヌ語を禁じる教師もいました



(まずは言葉からなんだよね
 これらは、アメリカ人がネイティブ・インディアンにしたこと
 日本人が沖縄の人々に対してしてきたこととみんな同じなんだ

【ブログ内関連記事】

『アメリカ・インディアンはうたう』(福音館書店)

「読書感想メモリスト3」カテゴリー内[ネイティヴ・アメリカン] ほか


「和人化政策」「同化政策」
アイヌ民族の歴史を研究する札幌大学学長・桑原さんは
「旧土人保護法」はアイヌの暮らしに決定的な打撃を与えたと言います

桑原さん:
ひと言で言えば「日本人化」「和人化政策」であった
いわゆる「同化政策」であったと言えると思います

「同化政策」というのは、1つはアイヌの独特の風俗習慣をやめさせるということ
そして狩猟・採集民族だったアイヌに対して農業を強制するということ

そして日本語教育を徹底化するということ
この3方面から行ったわけです

その結果として、戦前の北海道でアイヌ文化というものが客観的に見て
廃れていったというのは紛れもない事実だと思います




変化を強いられたアイヌの文化 「ユカラ」

昭和22年 NHKの調査が実施された時
その独自の言葉や習俗は、すでに消滅の危機が案じられる状況でした

北海道の南西部にある登別でも 収録が行われました
ここで収録されたのは「ユカラ」などと呼ばれる叙事詩です

それは語り部が吟じる長大な物語 民族の神や英雄が大活躍します

語り部は当時71歳だった金成マツ
「ユカラ」を後世に伝えたいと願い続けていた人物です



そのきっかけとなったのが言語学者の金田一京助です
彼は「ユカラ」こそアイヌが誇るべき文学だとその価値を高く評価したのです


マツが残した50冊以上にも及ぶ自筆のノート








習い覚えたローマ字で書き記しました
口伝えで受け継がれてきた多くの「ユカラ」を、まずは1語1語、文字で残そうとしたのです
昭和3年から、この収録の直前まで およそ20年にわたって書き続けた執念の結晶です

マツの親戚にあたる横山さん
むつみさんの祖母の姉にあたるのがマツになります

マツが亡くなったのは、むつみさんが13歳の時
近所の人がよく話しにくるような親しみやすい人だったと言います

横山さん:
ちょうどこれを採録した時は昭和22年なんですよね
膨大な「ユカラ」などの執筆を終えた頃なのです
だから書くのと歌うのをどちらも残した
マツの思いが込められているような気がするんですけど





「北海道大学 アイヌ先住民研究センター」

准教授・北原次郎太さん:
「ユカラ」というのは、どちらかと言うと大人向けの娯楽
アクションが多くて、難しい言葉が使われますので、
子どもが聞いてもわからないものが多いです

非常に長い物語が多いので、祭りの時など、多く人が集まった時などに
夜遅くまでずっと語っていくんですね
ですから子どもは途中で寝てしまうということもありまして

語り手も合間合間に休憩をしながら語っていって
次の日、その続きから始めて、というふうに延々と続く

そのスケールは、1つは語り手たちにとっても誇りになるのではないかと思うんですね
これだけのものを自分たちは作ってきたという



マツが遺した物語のひとつ「PON OINA」
ノート3冊分にも及ぶ超大作
超人的な力を持つ英雄のラブストーリーです
今回修復されたレコードには、そのうちのごく一部 およそ3分間の語りが残されていました


「神のごとき勇者は 天井の窓から さっと逃げ去りました
 そうすると 私は逃してはならないと思いました」



北原さん:
例えばこの「天井の窓からさっと逃げ去る」
ここがいかにも「ユカラ」の登場人物らしいですね

つまり、普通の人間だったら、天井の窓からは出ませんよね
彼らは自在に空を飛んだりする力を持ってますので
非常に高い所にある窓からさーっと外に飛んでいってしまう

このアイヌラックル物語の主人公は、この後、地底の世界に行って、そこで戦うことになるんですけれども
地底の世界というのは「死者の世界」なので
普通の人間はそこに行ったら死んでしまう 自分の意思でそこに行くことはできない

けれども、この登場人物たちは自在に死者の世界に行ったり
また神の世界に行ったり、実際私たちが見ている世界よりも
もっと広いスケールで飛び回って激しい戦闘をする

(島として離れた別の文化ながら、日本の神話と似ているのがフシギ
 誰かも指摘していたけれども、世界中の神話には共通点が多いという


物語は、登場人物の一人称で語られ、自分の体験のように感じながら聞くことができます

「泣き叫ぶ声が 私の喉元から 美しく響きました」

「ユカラ」は、人々が集い語る場そのものを楽しむものでした


【平取町の二風谷地区】
草や木で作った「チヨ」(?)と呼ばれる家の中に人々は集まりました
キバタサチコさんは、様々な資料を頼りに「ユカラ」の実演を繰り返してきました
夜まで続く祭り 昔ながらの様子を再現してもらいました








100枚のレコードが収録された戦後すぐの時代
こうした文化の伝承に危機感が募っていました
しかし、この時代、一方で全く別の気運も広がっていました


「第七師団 旭川」 出征したアイヌ人
旭川市で収録されたレコードに終戦直後のアイヌの心情を表す音声が残されていました
第七師団 旭川には、陸軍の第7師団が置かれ、徴兵令によって全国から兵士が集められました
その中にはアイヌもいました






昭和6年頃 アイヌの青年が出征する時の写真です
彼らはガダルカナルや沖縄戦にも動員され、命を落とす人もいました
その戦争が終わった時代にレコードが録音されたのです




旭川で収録された「シノッチャ」(踏舞の歌)というタイトルのレコードです
「シノッチャ」とは踊りに合わせて即興で歌われるものです
歌ったのは尾澤カンシャトク(当時54歳)




空襲を受けた北海道の街は荒れていました
カンシャトクは、終戦直後、「希望」を歌に込めようとしていました


「かつて我らの先祖は大切に育んだ
 我らの故郷ではありますが

 偉い人たちの政(まつりごと)が悪かったため
 素晴らしい故郷は戦が荒廃させた


 しかしながら 神にしっかり守られるのが 我らアイヌ民族でございます
 まさにこれから良い暮らしが 子々孫々続くことでございましょう
 そこまで私は申し上げました」


北原さん:
これが歌われたのは終戦直後ですから、戦いによって北海道の色々な街も空襲を受けたりですとか
すっかり荒廃してしまったということに対しての思いですね

先祖伝来、大切に守ってきたこの土地が
戦争によって荒らされてしまったということへの思いと
ただこれからは、仲間たちに明るい未来が開けていくんではないか
そういう気持ちを歌いこんでいるようです



存在すら否定され続けてきたアイヌ民族
しかし、こうした希望は長い間叶うことはありませんでした
「権利回復」を目指す運動を繰り広げますが「差別」はなくならず
アイヌ民族は存在すら否定され続けました

(平成に入ってまで差別が繰り返されていたなんて知らなかった/驚







平成9年(1997)「旧土人保護法」がようやく撤廃/驚
終戦から半世紀以上の歳月が過ぎていました
その間、アイヌの人たちは、いくつかの政策を提案し続けてきました
そのうち実現を果たせたのは、文化の振興に関する法律でした 「アイヌ文化振興法制定」


「アイヌ民族博物館」(今年閉館してしまった!







アイヌの伝統的な文化を復興させる取り組み@白老町



ここでは、若い人たちが自分たちの文化を学ぶ場所にもなっています
8年前から始まった伝承者育成事業です

3年間、白老町に住んで、踊りや工芸、アイヌ語などを学びます
先祖が祀った神々、文化を尊びながら次世代に受け渡します

今、研修を受けているのは5人
これまで10人がここを卒業していきました

講義だけではなく、実習にも力を入れています
この日は、アイヌの伝統的な鮭漁を学びます


(棒でつつくが鮭は逃げる




鮭はアイヌにとって欠かすことのできない主食でした
その命をいただくとはどのような事なのか
自然の恵みを授かることの難しさと畏れの気持ちを学びます

自然と共に生きることが決して「野蛮」ではない
むしろ、命に感謝し、平和を祈る生き方だと知っていくのです



もめ事を話し合いで解決する「チャランケ」



この白老町で録音されたレコードには「チャランケ」と書かれていました
「談判する」という意味で、もめ事を話し合いで解決する時の対話の言葉です

北原さん:
今の裁判と同じで、個人間のトラブルから
例えば、何か財産を貸していたのを、まだ返してもらっていないですとか
いや返したはずだとか

狩猟とか漁業を行うときのテリトリーを誰かが犯してしまったとか
そういったことが原因となって「チャランケ」が起こります
平和を追求するという考え方が元にあると思いますね

もちろんアイヌの社会の中でも戦いが起こるということがあるんですけれども
それはやはりすべきではないことであって、
まずはそういう方法を取らない解決法を探していくために作り上げられてきた習慣だと思います



収録された「チャランケ」は、狩猟の縄張りをめぐっての論争だった
まず一人が、自分の主張を訴えます

「先祖の教えの通り 慎み深く 私は歩いています
 そのようにしていたところ 私が行くより先に 私に先んじて
 何者かが 私の縄張りで狩りをしたことかと思って 激しい怒りを覚えたので
 自分の神に怒りを訴えながら戻ってきました」


これに対して、もう一人が弁明をしながらも自ら非を認めます

「あなたが所有する熊穴からクマが出てきて クマが現れた所に出くわして
 クマを仕留めたので それを私は売り、飲みもし、食べもしたのだ
 神に罰せられる行いをしたので 今や私の非が確定したのなら
 私の兄に 謝罪をいたす次第でございます」


互いに歌うように主張し合うのがルール
典型的な事例を継承して、同じような揉め事が起こった時には解決のヒントになります

この蘇った「チャランケ」を学ぶ講義が行われました
講師は北海道大学の北原さんです

北原さん:一応この2人が当事者ということで ちゃんと途中、仲裁入ってよw




実際の「チャランケ」は、互いの主張をとことんかわし続け、一昼夜続くこともありました
ゆっくり節をつけて、納得するまで話し合うことで、感情的にならずに揉め事を解決します

北の大地で多くの知恵を育んだアイヌの言葉と暮らし
そののびのびとした懐の深さを知里真志保の姉ユキエはこう記しています


『アイヌ神謡集より』(同上


今回よみがえった70年前の肉声
どの声にもどこか柔らかな自然体の響きがありました

北原さん:
知里先生ですとか、他の方の著作の中で、アイヌの語りの世界を
私たちは文字で学んできたわけですね

それを初めて音で聞いて、色々なものが網羅されていて
本当に大全集と言うか百科事典のような

今まで想像することしかできなかったので、おそらくこういう風に語るんだろうという風に
先生方が書かれたものを読んで、想像しながら見ていたわけですけれども
それが実際に音声として聞くことができる これは感激ですね


白老町で北原さんから「チャランケ」の講義を受けた中井さんは
終戦直後に希望を歌いこんだ「シノッチャ」に魅せられました

本来「シノッチャ」は踊りながら歌うものです
中井さんは、当時の感覚を確かめようとしました





平取町 二風谷小学校 昨年度からの試み






今回翻訳をお願いした関根さんがアイヌ語を教えているのです
これまで学校教育の場で教えられることのなかったアイヌ語
アイヌ語であるかどうかにかかわらず、子どもたちに教えています


関根さん:
はい、分かりますか? 言ってみますよ イランカラプテ こんにちはという挨拶ですね
言ってみるよ 「チシ」 どういう意味ですか? 泣く
はい、泣いてみてください

 


70年の時を経て蘇ったアイヌの言葉
絶やしてはならないものとは何か
忘れてはならないこととは何か 改めて問いかけていました



【取材協力】

北海道アイヌ協会
二風谷アイヌ資料館
アイヌ民族博物館
知里幸恵 銀のしずく記念館
川村カ子トアイヌ記念館
平取町立二風谷アイヌ文化博物館
北海道博物館


その後の番宣も気になった
東日本大震災で愛する者を亡くした人たちが、思いを綴った手紙を投函する「漂流ポスト」

















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