■羽生結弦 Spin the Dream@朝日新聞DIGITAL
“五輪連覇をめざす羽生結弦。幼少期からの軌跡と、支える人々の物語”
フィギュアスケート特集 2017-2018 Kiss and Cry
フォトギャラリー
ふとこのサイトを見つけて、とてもよい写真がたくさんあったので貼っておくことにした
こういうサイトって、ちょっと時間が経つともうリンクが切れて観れなくなったりするから
<たくさんの人に支えられて、もう一度あの舞台へ>
2017.10.19 練習後、リンクに手を触れる
1998年 4歳 とんだ王子様
2003年 9歳 芸術家になれ
小学生時代、国際大会で優勝した羽生結弦
都築章一郎氏
<羽生結弦との出会いを語る都築章一郎 2017.11.19>
Q:羽生結弦選手と初めて出会った時の印象
小学校2年の時に会った やんちゃな子どもだった
一番最初に預かった時は、5分もすればすぐ飽きちゃって
あちこちキョロキョロしながらレッスンした記憶があります
まあ、しょうがないかなと忍耐強く待ちながら
先輩とケンカして泣いていた状況をたびたび見たことがある
ただ、やる時の集中力は他の子と違っていた
Q:羽生選手が世界で通用すると思ったのは?
たくさんの子どもを預かっていて、ある試しをすると割合すぐ順応できる
それを理解して、体に伝えて動かすことができる子どもだった
スピン、ジャンプ、スパイラルをやらせてみても
男の子にしては珍しいちゃんとした軸ができる
(リンクで説明)
軸が真っ直ぐなのが理想
ジャンプで跳び上がった時、ちょうど山を上がるようにして
おりる時にすうっと回るのが理想
Q:羽生選手の良さは?
非常にしなやかで、回転がしやすい
腰が小さいから、回転が速く回り終わる
そういう回転が出来る体だということ
トリプルアクセルの完成度合いが良かったということ
質が良かったことで、世界に羽生結弦というスケーターがいるということを
印象づけた1つのジャンプですから
それに対して彼が意識的にいい形に完成させようという努力をしたんだと思う
2014.3.26 世界選手権@埼玉
Q:震災後の羽生選手の様子
あの大きな震災後の彼の精神状態は、
これからスケートを続けていくかという悩みを持ってきたのではないかという気がする
(チャリティーに)毎週、週1回のペースで出てたということは
彼なりの希望とやる気が出てきたのではないか
私が羽生をお預かりした時から世界を目指すという言葉は彼に伝えて
未知の世界に挑戦できるスケーターになれるといいねという
夢みたいな言葉をかけながらきた覚えがあります
2011年 17歳 涙の向こう側
2011.5.21 被災したアイスリンク仙台
<震災後、フィギュアへの思いを語る羽生 2013.8.30>
羽生(音声が聞き取りにくいな):
いろんなキッカケがあって、神戸のチャリティに初めて出て
震災への思いだとかを表現して滑って、観ていたお客さんが拍手してくださって
神戸の町も震災を経験しているから、今では復興の町になっているので
僕が勇気づけられたというか、だから今こうしてスケートに本気で向き合えていると思う
あの時、チャリティに行ってなかったら、スケートも曖昧になっていた
Q:被災者の代表みたいな感じになってしまっているのは、自身はどうとらえている?
代表というか、仙台の選手として観ていただけるなら、それはそれで有り難いし
今まだ復興していない所が多いので、みなさんにしっかり伝えたい
メディアの方々と喋る時もそういう機会になればいいなと思って
津波や地震があった所も全然復興していないが
今でもボランティアで来てくださる人もいる
そういうことを僕たちは絶対忘れたくない
募金活動も最近はなかなか見ないけれども、
できれば、震災のあった場所に足を踏み入れて
何をして欲しいとか、僕からの要望は全然ないですが
忘れないで欲しいということはありますね
でも、自分はアスリートで、スケートをする立場なので
ずっと戦っていかなければならないという思いもある
もし、僕がテレビに映って、成績を出して、
それが思い出してもらえるキッカケになればという思いを込めて
それでもいいかなと思います
2011.5.7 チャリティー演技会@愛知
2012年 18歳 突き抜けたい
2017.8.16 横浜のイベントで演技
2017.2.15 練習でオーサーコーチと話す
2014.2.6 ソチオリンピックの演技
“五輪連覇をめざす羽生結弦。幼少期からの軌跡と、支える人々の物語”
フィギュアスケート特集 2017-2018 Kiss and Cry
フォトギャラリー
ふとこのサイトを見つけて、とてもよい写真がたくさんあったので貼っておくことにした
こういうサイトって、ちょっと時間が経つともうリンクが切れて観れなくなったりするから
<たくさんの人に支えられて、もう一度あの舞台へ>
2017.10.19 練習後、リンクに手を触れる
1998年 4歳 とんだ王子様
2003年 9歳 芸術家になれ
小学生時代、国際大会で優勝した羽生結弦
都築章一郎氏
<羽生結弦との出会いを語る都築章一郎 2017.11.19>
Q:羽生結弦選手と初めて出会った時の印象
小学校2年の時に会った やんちゃな子どもだった
一番最初に預かった時は、5分もすればすぐ飽きちゃって
あちこちキョロキョロしながらレッスンした記憶があります
まあ、しょうがないかなと忍耐強く待ちながら
先輩とケンカして泣いていた状況をたびたび見たことがある
ただ、やる時の集中力は他の子と違っていた
Q:羽生選手が世界で通用すると思ったのは?
たくさんの子どもを預かっていて、ある試しをすると割合すぐ順応できる
それを理解して、体に伝えて動かすことができる子どもだった
スピン、ジャンプ、スパイラルをやらせてみても
男の子にしては珍しいちゃんとした軸ができる
(リンクで説明)
軸が真っ直ぐなのが理想
ジャンプで跳び上がった時、ちょうど山を上がるようにして
おりる時にすうっと回るのが理想
Q:羽生選手の良さは?
非常にしなやかで、回転がしやすい
腰が小さいから、回転が速く回り終わる
そういう回転が出来る体だということ
トリプルアクセルの完成度合いが良かったということ
質が良かったことで、世界に羽生結弦というスケーターがいるということを
印象づけた1つのジャンプですから
それに対して彼が意識的にいい形に完成させようという努力をしたんだと思う
2014.3.26 世界選手権@埼玉
Q:震災後の羽生選手の様子
あの大きな震災後の彼の精神状態は、
これからスケートを続けていくかという悩みを持ってきたのではないかという気がする
(チャリティーに)毎週、週1回のペースで出てたということは
彼なりの希望とやる気が出てきたのではないか
私が羽生をお預かりした時から世界を目指すという言葉は彼に伝えて
未知の世界に挑戦できるスケーターになれるといいねという
夢みたいな言葉をかけながらきた覚えがあります
2011年 17歳 涙の向こう側
2011.5.21 被災したアイスリンク仙台
<震災後、フィギュアへの思いを語る羽生 2013.8.30>
羽生(音声が聞き取りにくいな):
いろんなキッカケがあって、神戸のチャリティに初めて出て
震災への思いだとかを表現して滑って、観ていたお客さんが拍手してくださって
神戸の町も震災を経験しているから、今では復興の町になっているので
僕が勇気づけられたというか、だから今こうしてスケートに本気で向き合えていると思う
あの時、チャリティに行ってなかったら、スケートも曖昧になっていた
Q:被災者の代表みたいな感じになってしまっているのは、自身はどうとらえている?
代表というか、仙台の選手として観ていただけるなら、それはそれで有り難いし
今まだ復興していない所が多いので、みなさんにしっかり伝えたい
メディアの方々と喋る時もそういう機会になればいいなと思って
津波や地震があった所も全然復興していないが
今でもボランティアで来てくださる人もいる
そういうことを僕たちは絶対忘れたくない
募金活動も最近はなかなか見ないけれども、
できれば、震災のあった場所に足を踏み入れて
何をして欲しいとか、僕からの要望は全然ないですが
忘れないで欲しいということはありますね
でも、自分はアスリートで、スケートをする立場なので
ずっと戦っていかなければならないという思いもある
もし、僕がテレビに映って、成績を出して、
それが思い出してもらえるキッカケになればという思いを込めて
それでもいいかなと思います
2011.5.7 チャリティー演技会@愛知
2012年 18歳 突き抜けたい
2017.8.16 横浜のイベントで演技
2017.2.15 練習でオーサーコーチと話す
2014.2.6 ソチオリンピックの演技