哲学的(育児)日記

テツガクテキって……? まぁ、深くは追求しないで。

『みんなのいえ』

2006-09-09 13:20:34 | 娯楽
夫が、『みんなのいえ』という映画のDVDを借りて来た。
三谷幸喜監督で、2001年の作品。テレビでも放映されているので
何度か見た記憶があるが、また見てみることにした。


『みんなのいえ』は、施主の妻の父である大工と、同じく大学の後輩のインテリアデザイナーとが
互いに激しく対立し合いながらも、異なる背景を乗り越え、一つの家を建てるまでを描いたコメディー。
三谷自身の家を建てた経験が元になっていると言うが、
芸術家肌で自分の理想を闇雲に実現させようと躍起になるデザイナー(唐沢寿明)と
現場一筋51年、職人気質で頑固な日本の大工(田中邦衛)との間に立って
終止おろおろとしている施主の脚本家(ココリコ・田中直樹)のモデルは、三谷自身か。


「笑えて、最後にホロリと来る映画」とは、三谷自身の評だが、
その辺りで言うなら周防正行監督の『Shall We ダンス?』のほうが心にしみる。
笑いの中にも、どこか切なさがあり、抑制の利いた役者の台詞回しの背後に
誰もが抱える人の心の暗い部分が、チラチラと遠火のように揺らめいている。
そしてそれを慈しむまなざしが、この映画全体に静かに流れている監督の世界観の味わいでもある。


『みんなのいえ』には、そうした人生の奥行きのようなものがない。
人の衝突と相互理解への道程という、真面目な話の筋立てを、コメディーと銘打つことで
照れ隠しに茶化していると受け取れなくもない。
あるいは下衆な勘繰りだが、生真面目で深い生の淵を前にして
そこから逃げ出したい、笑いに転嫁せずには済まされない三谷の強迫観念じみたものが、
あの映画に現れているのではないか。
そう思うと、役者たちへの大仰な演技付けも、なんとなく納得できる気がするのだ。
(舞台演出の手法を、そのまま映画に転用しただけかも知れないけど)


もちろん、『みんなのいえ』は決して人を食った映画ではない。
たとえば自分の思い通りに家作りのさせてもらえないデザイナーに対して
「仕事ってのは、思い通りにならないことのほうが多いんだ」
「君には、アーティストとしての誇りを持って仕事をして欲しいな」
時に怒鳴り、時に励ましする台詞は、三谷自身の葛藤を物語っている様でもあり、
そして理想を目指そうと苦しむ心への、三谷の優しさの様でもあり。



たぶん、三谷幸喜という人は、不器用で生真面目な人なのではないかという気がする。
皆が皆、同じような映画を作らなければならないということはない。
作品に、その人となりとが存分に表れていれば、それは十分面白い映画なのだと思う。