画家・小原聖史の雑記帳

画家としてギャラリストとしての日常と様々な雑記。。

震災とその後のアート活動の思い出。。

2015-03-12 19:28:08 | アートエッセイ

震災のあと、絵なんてなんの力もない。。
描く気がしない。などの記事もよくみうけられ、
もちろんそういう気持もわかるので、心苦しい思いだった。
当時、ギャラリーもはじめて、2年少し、たいした力もない。。
絵の展示なんてしてワイワイしてる場合か自粛しろ
みたいな記事すらあった。。
でも、なんか絵で力になりたかった。。
で、39(震災支援THANK YOU展)という企画をした。。
出品料ゼロ、コミッションゼロで画廊を提供し、
作家さんもsmサイズの絵を無料で提供してもらうことに。
販売価格は3900円均一。。
そして、その売り上げを全額、震災支援するというものだった。。
募集枠の60名があっという間に埋まってしまった。。
開催初日のオープン前から人が並んだ。。。
開始2時間でほぼ完売の盛況ぶりだった。。。
20数万全額、おかげてすぐ寄付することができた。。
その後の展示会からも売り上げの一部やまた、パーティを
するたびに、パーティ代を1000円だけ徴収したり、
それも寄付した。。またその後の各種の展示会で、
作家さんへ売り上げを振り込む際、振込はけっこうなので、
どうぞ、わずかですが、震災支援寄付にまわしてください
という方もおおかった。。その年、小さいギャラリーながら、
最終的に合計50万ほどの支援ができた。。店の片隅に、
寄付振込の領収をたくさん貼っていた。。
多くの作家さん、多くのお客様の協力で、
そうしたことができた。。。
震災をふりかえるたび、震災の時の大変さや、被害にあった
人々の哀悼の想いなどとともに、そうした人々の温かい気持
も同時に思い出されてくる。。


画材について。支持体選び(板編)

2015-02-26 22:43:42 | アートエッセイ

とある質問を受けた。
作品表記の際、自分の場合、よく「木製パネル」と「板」

と両方書きわけていて、「今回は板なんですね?」と。。

ちなみに、木製パネルというのは、

ベニヤ板の裏側に木枠をとりつけただけのもので、
大手画材店などでそれぞれキャンバスと同じサイズのものが
売っていて、とても入手しやすい。でも、問題点が。。

小さいサムホールだのはまず大丈夫だけど、10号超えたあたり
から、保存状態や湿気などそうした関係で、非常に反りやすい。
厚塗りの作品は、場合によって、それが理由で後年、反るだけで
なく、それによって、絵が割れてしまうことがあるでしょう。。
少なくとも、そりかえってしまってる作品、これまで、
なんどか目にもしました。。

というわけで、自分は現在、ある程度、大きな作品から
ハードボートともよばれるMDF合板(中密度繊維板/
ちゅうみつどせんいばん)を使用してます。
※低密度のものあるので注意。(低密度のものは
カラーBOXなんかに使われてる硬質でないタイプ)。

で、この板は、家具の扉とか木造住宅の耐力壁に使用され、
非常に反りにくく、乾燥割れもしにくいことで知られている。
先日、あるベテラン画家さんも同じもの使ってるとのこと
だった。。ただ、きっとホームセンターとかいかなくては
売ってないと思う。自分はハンズに行って、キャンバスの
サイズにカットしてもらってます。。板の中では軽量とはいえ、
ベニヤパネルよかけっこう重いです。。手持ちで
30号くらいまでが持ち帰りできる限界かな。。
あと、下塗りとかするときにも、表面が均一なめらかで、
非常に塗りやすいのも利点。。
金額は、ベニヤパネルよりは高くつくけど、まぁ
それなりのものを売るという意識があれば、多少
仕方ないかな。。30号でたしかカット代も入れて
4000円くらいだったと思う。。

で、最初から、キャンバスでかけばいいじゃん?という
質問もあるかもしれないけど、本来、古典画が板に描かれ
てたように、板そのものの利点って大きいのですよ。
ここで、細かくは述べないけど。。ただ、さきほどの、
反りとか割れとかあるので、布に木枠が主流となり変わっていった
わけです。。それだと、なにかあっても、他の木枠に
張り直せますし。。。ただ、大きい作品ほどそうだけど、
板のほうが、描くときも安定感あって描きやすい。。
力強く描いたりしてると、もう描き終わったとき、
キャンバスだと、張りがゆるんじゃってることもたまにある^^;
あと支持体は本来、頑丈など、絵の具層にとってもいいんですよね。。

で、昔と違って、現在は、いろいろ研究開発され、そういった特殊合板
が各種出ているので、自分の制作の仕方や作品スタイルに応じて、
そうした支持体選びも大事になってるくると思い、いちおう、
事細かく、ここに表記してみました。。。


アートとコトバ

2015-02-23 01:22:54 | アートエッセイ

先般の先生方の講義に刺激をうけ・・

自分もアートと言葉について

思うところの所感を書いてみたいと思う。。

 

たとえばモナリザ。。

 

おごそかなポーズである。

真正面でなく左斜めに体を向けている。

その目もいっけん正面を向いているが

実際は右斜め少し上あたりに視線がある。

絵をみる鑑賞者とは視線は合わない。。

そして口元・・、ほんのわずかに微笑んでいる。

神秘な微笑み。。。

窓辺の向こうにひろがる幻想的な風景。。

これらの全体からの芸術的情趣に、

多くの人々が魅了される。。

 

ただ美しいだけの古典画なら莫大にあるのだが、

やはりモナリザは別格だ。。

 

絵について、いろんな説もあるし、

名画解説の本を読めばいくらでも

作品についての興味深いことが綴られている。。

 

けれど、モナリザそれ自体、なんら饒舌ではない。。

説明的でもない、いや、まさに神秘の

ベールに包まれたかのような作品。。

なんといってもそこに人はsomethingな

奥行きを感じ、吸い込まれてもゆくのだろう。。

 

そもそも、絵画は饒舌なものでなく、

言葉は不要としての「美」なのかもしれない。。

それに、言語脳をつかさどる分野と

視覚的に感興する脳の部位はまた違うはずでもある。。

 

べつにモナリザに限らず、優れた作品は

その「意味がわかならくても」・・

とにかく、「わけもわからないけれど」なぜか心惹かれる

というものが多い。。

 

たとえば、ひとつの情感を言葉で美しく表現したら文学の世界となり

絵画で表現すればそれは美術の世界なとなる。

文学は美術でなく、絵画は文学ではない。

だから、美術において、第一義的には言葉は無用といえる。

より深く作品の理解を深めるための学術的側面など

そうした二義的な面においては意味をなすわけだけど。。

けっして「言葉」が先にあるわけでなく、

それはあくまで従属的なものである。

 

こうしたことから考えれば、

このモナリザのように、見ただけでは

その意図するところが、何かよくわからないからこそ

「魅力」なのかもしれない。。

人もほんの少し謎に包まれたところがあるほうが

魅力があったりする(笑)

 

もちろんアートにはいろいろあって、例外的には

一部の現代アートのように、言葉というか

「概念」や「提議」の投げかけが作品の主軸ともなる

コンセプチュアルアートなるものがある。

たとえば、石ころなんかがいくつか並べられてあって、

そこに哲学的意味が解説で添えられてたりして。。。

(個人的にはまったく興味ないけどw)

それらすら、言葉そのものがなくても、

なんらかの意図するものが作品全体の構成から発せられて

なくては、「なんだただのそこらへんの石ならべてるだけじゃん」

という野次のような感想が多いだけのものとなるであろう。。

 

ただ、こうした現代アートなどとごちゃまぜにして、

アートのそれぞれに思想やコンセプトや

なんらかの意味を求める人はそれなりにいる。。

 

ともあれ、そんな風に

情趣としての美しさもあれば

造形としての美しさもあれば

概念としての美しさもあれば

言葉そのものの美しさもあり、

必ずしもそれらすべてがセットされていなければ

いけないということもなく、

すべてのものに、その意図や効用などを求めるのは

時には無意味なものとなるだろう。。

 

かつてブルース・リーは

"Don't think.FEEL! It is like a finger pointing away to the moon."

と言った。

 

月はそのままで美しい。。言葉でわざわざ、意味はいらない。。

美術もまた同じなのである。。

 

三師三様の、一つの言葉。

2015-02-22 16:59:46 | アートエッセイ

それぞれの先生から、三師三様(※勝手に造語)
の言葉を聴き、それぞれ含蓄深い共通点があったので
要約してまとめてみた。。微妙なニュアンスの
違いもあるかもしれないので恐縮なのだけど、
どんなこと聞いたの?と、気になってる人も多いようなので、
3人の言葉の共通項から自分はこういう風に感じ取った
ってことをここにしるします。。
※下記に文章は3者からそれぞれ聞いた言葉を、
無理矢理、ひとつに(一人の言葉のように)まとめた文章です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(作品と説明について)

たとえばインタビューや一般の方からの質問で、
作品について聞かれたら、それに応じて説明もするけれど、
創作者のスタンスとしては、いちいちに言葉で説明を
添えなければ、その概念なり、感覚的美意識なり、
想いなりといったものを伝えられないようなものはだめで、
「作品の存在」そのものが語ってゆけなくてはいけない。。
(もちろん、人それぞれの受け取り方感じ方の違いも
あるのだが、それはそれでいい。)
自分が伝えたい美や哲学は、作品の中にすべて注ぎ込んでいる。。
            ♦

(創作姿勢について)

アートが自由で、なんでもありだからと言って、
ひとりよがりではいけない。技芸を磨きゆくことを
決しておろそかにしてはいけない。
だからと言って、単に職人のようになってもいけない。
磨かれた技を土台に、個々の思想や智恵や発想が加わり、
アートはさらなる深みと広がりを持つ。。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

※たとえば、「求められれば答えるけど、絵に説明などいらない。
人それぞれどう感じようがそれは自由だが、それは作者には関係のないこと。」
(工藤先生)

「絵に説明が必要なのか?自分は、伝えたいことは作品の中に、
すべて描き込んでいる。」(榎先生)

「造り手の言葉より、建物自体が夢を響かせ、語っていかなければいけない」
(梵先生)

・・・といった内容からまとめました。。。 


画塾を終えて。。

2015-02-14 19:44:44 | アートエッセイ

このたび、第2期の榎先生の画塾を終えた。。
さて、やはり技法を学ぶことは素晴らしい。。
と、心から実感する画塾であった。。
スキルが広がるし、それだけ自己の表現の幅も広がる。。
偉そうにきこえるかもしれないけど、自分も含めて、
画歴10年20年では、まだまだこの世界、「新人」だと
思うし、現状に満足することなく、どんどんいろんなことを
まだまだ貪欲に吸収してゆきたいと思う。
たゆまない精進・・・・これぞ、修行の世界、な~んて。。
芸事の世界は、アートもそうだけど、時に、華やかにも見える
けど、そして華やかなイベントもたくさんあるけど、
普段、見えないところで、身を削って「修行」されてる方が
じつに多い。そっちの時間のほうが圧倒的。。。
クロッキーやデッサンなどもそうだし、
描画などにおけるさまざまな研究もそう。
またなにより、昼は一般的な仕事をしながら、寝る時間削って
作品制作に励んでる人達も数多い。。。
この地味で地道な積み重ねと発表活動の繰り返し、
この両輪の展開をひたすらに何十年も続けて、
やっと実も実り、花も咲くことがある世界というか。。。
より深く、そして前へ前へ、、、これからも進んで
ゆきたいと思う。。。

それから、毎月ギャラリーから限定で発行している
「月刊ArtWorks」の第3号「一冊まるごと榎木俊幸」が
発売開始に。続々出てますので、すぐに売り切れになると思います。。

ご興味のある方は、dorado@oldtimes.jpまで。。
 


たとえばオリジナル曲とカバー曲

2015-02-11 14:27:44 | アートエッセイ

ビートルズとかクィーンとか大スターの曲は
いろんなカバー曲がでてるけど、年間、
「ヒアゼアアンドエブリホエア」と
「サムバディトゥラブ」の2つのカバーをこよなく
よく聴いてるのがある。
これに関してはオリジナルより好きなんだよな。
例えば、演奏だったりシンガーの声だったり。。
絵(の模写やアレンジ作品など)でも、
人にとってはそう思ってもらえるようなものを
描けるといいなぁ。。そう、誰かがいってたけど、
「完全そっくりに描くのはつまらなく、また完璧な模写も
できない」わけだけど(笑)。
まぁ、ともあれ、ピカソやダビンチを
凌駕することなどはできないのだが(笑)、
この作家によるティストのほうが、自分は好き!
しかも、オリジナルの何万分、いや何億分の1の価格だしw
みたいに思ってもらえることがあると作家冥利に尽きるなぁ^^
少なくとも、印刷の複製画よりはだんぜん味わい深いはず。。
ひとつ前の記事で紹介のただいま開催中の名作オマージュ展、
カバー曲聴きにくる感じで
来てください』
(と、結局、宣伝で閉めるのかww)

本日は定休で、明日12日の木曜から再スタートです^^


(私の模写作品) ピカソ『母と子の』オリジナルはフランス版のF8号。こちらは日本のF8号。


「制作時の不幸に負けない心構え」

2015-02-06 20:44:14 | アートエッセイ


人生には、たとえば、何日もかかって丹念に描きあげた絵が

最後の最後の段階でバタンと倒れ、じゅうたんにべっとり、

絵もめちゃくちゃ、なんて時がある。
でも別に、
描くための手がなくなったわけでない。

目が見えなくなったわけでもない。
凹んでる暇があったら、
一からまた描き直してゆくしかないのだ。。


公募展と100号

2015-01-30 19:00:17 | アートエッセイ

昔から、公募展とかって、どうしてあんな100号とか
大きなもん
ばかりしてる所ばかりなんだろう?って思っていて、
それについて諸先輩方は、
美術館という大きな器では
小さい作品はあまりにも映えないし、
その技量もよくわからない、
といった意見をよく聞いた。

でも、たとえば先般、美術館で「北斎展」を観てきたけど、
基本、浮世絵なので、
どれも小さい。。でも作品も技量も、
ほんと素晴らしかった。。
(当り前か。。。)。
まぁ、北斎の素晴らしさは置いておいて、
美術館で莫大な数の小品を観るのも、じゅうぶん楽しめるのでは
と、
別の角度でも感じた次第。。

それに毎年、100号前後の作品を制作してると、その後の
保管スペースも大変。どこかにまた展示する際も輸送も大変。。
なかなか販売することもできず、公募のたびに増える一方。。 

公募を主催する団体も、そういう面のことも、これから十分に
考慮していかないと、ますます、特に若い作家さんは
離れしてゆくかもしれない。。 制作スペースもそれほど
大きなところ持ってる人が少ないし。。。


「描けない時期」

2015-01-26 18:40:58 | アートエッセイ


絵の世界をめざしてたまに筆を置く人もみてきた。。

いろんな事情や挫折や。。
自分はかなり最初期に挫折感が
きたことある
(この前、人と話しててそんな話題になった)。

私は35歳あたりで絵を始めたのだけど、最初の
1年くらいは日々、
描きまくってた。そして1年ほどすぎて、
ある時、
アンティークの買い付けでフランスに行ったのだけど、

オルセーやルーブルじっくりみて、写実の世界でも、
抽象の世界
でもその他さまざまな絵のジャンルでも、
どれをやっても、
こうした巨匠たちに一生かかっても追いつけない、
ほとんど
足下に及ばない・・的な絶望的な気分に陥り、、

(はい、趣味の画家をめざしたわけでなく、
ほんとの画家に
なりたい!とか意気込んでたのもあり)、
もう帰国してから、
半年以上は描く気起こらないといった時期に
入ったことがある。
それでも、絵は好きで、有名作家の画集買ったり、

自伝とか評伝とかも読んだりはしており、
みんな最初から天才的な
人もいなかったし、
壮絶な苦労な上で画業を全うしたした人も多い
んだなぁ~ということと、
そもそも、自分のための表現に、
しかも始めたばかりで過去の巨匠達と
自分を比べて何考えてんの俺、
みたいな気分にもなってきたし(笑)、
その他、もろもろの気持と
なによりやっぱりとにかく描きたい、
という気持甦ってきて、
それから今日までず~っと、けっこうたゆむことなく、
絵をやって
これてる。。でも最初にそんな「描けない時期」があったことも

よかったと思う。。
それがあったうえだからこそ、より決意も
強くなった気がする。。


「美は受け継がれてゆくもの」

2015-01-25 16:42:48 | アートエッセイ


10数年、絵を描きつづけても、いまだ飽きないし、

ますますもっと表現の幅を広げたい・・とか、
いろいろと
感じてるさっこん。。美術の世界は奥が深すぎて、

まだビジュツのビの字もわかってないような感覚もある。

一人の画家であると同時に、生涯、求道者でもありたいと
思っている。。
研究、研鑽もより深めていきたい。。
海外のいにしえの巨匠達も、
いろんな工房に入り、
さまざまな様式や技術を習得し、
自己の世界をより広げていった。。
日本でも、琳派はじめ、狩野派など、
様々な優れた巨匠の技法や
様式がいろんな形で継承されていった。。

美術は急にできたものでなく、受け継がれ発展してきた。。

何かを発見し、また磨きあげ、そしてまた、
そうした世界を
伝授してくれる先達、それを教わる人達の流れのなかで、

美術史もその豊かな歴史が作られてきた。。
伝授してくれる人に感謝。。
私自身、最近になって、芸大でも講師されていた画家の榎俊幸先生に
様々な技法などを、新たに教わりはじめている。。
とともに自分もいつか、
人に何かを伝えれるだけの世界を
築きあげていきたいものだと
そんな風に思う。。


制作にやる気しないときのやる気の出し方

2015-01-24 18:47:19 | アートエッセイ

すんご~くやる気がしない時、
でもやらねばならぬ時、

掃除を思い浮かべる。仕方ないからキレイにするか・・
と、
最初はダラダラいやいや掃除してても、
そのうち、
思い切り気合いが入ってノッてきたりする。
これを
脳科学では「作業興奮」っていうらしい。

絵の制作も、とりあえず、簡単な作業とか、
他の下塗りとか
手始めにやりはじめ、
いつしかノッてきてからら、
描きかけの
本作に入ったりする。。

で、けっこう朝まで無理しちゃう。。なんてことも
多かったりするのだが・・。


「アートな死語?」

2015-01-24 18:44:12 | アートエッセイ

昔は「アヴァンギャルド」なんて言葉を聞くと
最先端の型破りなアート活動みたいなイメージで
かっこよく聞こえたものだか、最近になって聞くと、
どうも(個人的には)古くさく聞こえてしまう。。。
今も現代アートなどの分野で、
現役で使われてる方には申し訳ないのだけど。。

 



 


「なぜ絵を描くのか」

2015-01-23 19:05:48 | アートエッセイ

なぜ絵を描くのか・・そこにあまり意味を見いだしていない。。

たとえばマラソン、腹筋、腕立て・・体を鍛えてる人は、
最初は
健康のためとかそういう目的観があるのだろうけど、

それを続けていくうち、筋肉とかひきしまってきた
自身の体に
快感を覚えてくってことも大きい要素だと思う。。

絵も、睡眠時間削ったりしてけっこうやってると、
それなりに
大変だったり労作業だったりするわけで、
しかも、そんなに描く
たびバンバン売れるわけでもないわけだが(笑)、

自己の脳内の感性だったり色彩感覚だったり、
そうしたものたちが
一つの創造の結晶となって、
目に見える「カタチ」となるので、
それが快感を伴うんだよなぁ。。


「絵と制作時間」

2015-01-22 17:11:35 | アートエッセイ

たとえば私たちが1時間以上かかる作業しても
うまくいかないことが、
専門の職人の手にかかれば
10分程度でしかも完璧な出来映えで
作業が出来たりする。

そんなことは普通に多い。
けっして「時間」ではないん
だな。。あえて、「時間」ということにすれば、

それまでの知識の勉強や技術の修練、さまざなな経験知、

またその人のそれまでの人生も含めて、多くの時間が
かかっていたりするもの。

絵もそう。イラストレーターや画家が10分程度で
ササッと絵を描いたとしても、
それまでの膨大な時間の
勉強なり修練なり、人生の経験なりが、
その「10分」
に集約されて成り立っている。。

絵は10分程度で描いたら、あまり有り難がられないけど、職人のそれと何も変わらない。。

よく、一般の方から、ちょっと描いてよw(タダで!という
ニュアンスで)
というケースに、それっていかがなものかって、

記事も目にすることがこれまであるけど、、
結局、そ~いうことも
いいたいんだと思うんだな。。
たんにお金のことだけでなく。。

画家やイラストレーターも「短時間」でもそれなりのものが
描けるようになるために、
膨大な時間も勉強している。

そのための大学や専門学校等の過去のお金も入れたら、

膨大な経費もかかっている(笑)。
けっして、
「ささっと描けちゃうでしょ、このくらい。」で
判断してはいけないのだ。。。

 

 


「絵に対するマニアックな見方」

2015-01-22 16:56:51 | アートエッセイ

過去の巨匠にしても、現代の作家の絵にしても、

絵を描いてなかった若い頃と違って「見方」が
けっこう変わった。
自分で絵も描いてるし、さらには
ギャラリーもやってるので、
いつのまにか専門的に見ること
が多くなった。
たんにこの絵いいなぁ~とかではなく
(普通はそれでいいと思います)、
この人の「線」は素晴らしいなぁとか、
この人の「色の組み合わせ」の
構成はいいな~とか、
この人のモチーフと面の比率など「構図」がいいとか、

この人のマチエール(絵肌)、超綺麗!とか、
この人のタッチ(筆遣い)
や運筆のリズム感が素晴らしいとか、
すべてにそんな感じで見ている自分がいる。

そして自分のことは棚にあげ(笑)、すべてにおいて
「パーフェクト!」と
感動するものは、巨匠の作品に
おいてもそうそうはないのだけど。。

有名どころでいえば、やはりピカソの線はすごいな~と
思うし、
絵柄のデザイン性はクリムトにぐんと惹かれるし、

タッチはセザンヌが素晴らしいと思うし、
色合いの美しさでは
シャガールが好きだし、
構図とか構成全体ではダリがすごい
と思うし、、
色そのものではフジタの白がすご~いとか、
まぁそんな感じ。。
現代の作家でも、そんな感じでいつも

いろんな作家のいろんな「部分」にいつも感心している。。