職案人

求職・歴史・仏教などについて掲載するつもりだが、自分の思いつきが多いブログだよ。適当に付き合って下さい。

小泉チルドレンの為の法華経

2006年12月05日 | ブログ

現在、何かとお騒がせしている。
小泉チルドレンに参考と成れば良いと思います。
良く、読むと理解できるよ。

法華経の序品は
お釈迦さまが王舎城(町の名)のぎしゃく山(丘陵の名)で、法華経の教えを指導していた。そして、ある日のこと、お釈迦さまが四大天王・八龍王・四緊那羅王・四阿修羅・四カルラに法華経の教えを説き終わった時、足を組んだまま無量義処三昧(深く瞑想)に入り、微動だにしなかった。

その時、教えを聞いていた弟子たちに六種の動揺が起こり、やがて、お釈迦さまの眉間の白く右に巻いた旋毛から光が放たれた。

この事を見た弟子たちに、疑問が沸いてき、それを悟った弥勒菩薩が、文殊師利にこの現象の理由を尋ねる場面が描かれている。

弥勒菩薩が文殊師利に問った事、
「6道の衆生の心の有り方、善と悪の行いとその背景、行いによる結果の良し悪しを悉く、見て、仏が経典の微妙(不思議)第一なる事を演説し、菩薩に教えた事、

数を数えられないほどのたとえ話を使って、人に聞いて貰いたいと願って、各の世界において、法華経を演説する時、種種の因縁・色々なたとえ話をもって、法を示し、衆生を開悟させた事、
開悟させた事
1.老病死の苦に苦しんでいる人には涅槃を説く
2.福ある人で、かつて佛を供養し、勝れた真理を求める人には縁覚を説く
3.色々な修行した修験者で、無上の智慧を求める人には浄道(6般羅蜜)を説く

世尊が妻子を捨て出家してから佛道を得る事(5般羅蜜の修行)を見聞きして参りました。また、佛の滅後骨を供養し、また、金色の塔を造り、多くの人に供養してもらうようにするので、佛が光を放した訳を仏子、文殊師利、教えて下さい。」

その時、文殊師利が弥勒菩薩・摩訶菩薩及び諸の大士に告げた。
「善男子、わたしが思うに世尊、大法を説き、大法の義を述べようとしているのです。
私は、過去においてこの様な光景を見ました。
だから、諸の善男子、世尊が大法を説き、大法の義を述べようとしている前兆でえある事を知りなさい。

遠い昔に、日月燈明如来と言う佛が居ました。その佛は衆生に正法を演説していました。それは初善・中善・後膳から成っていました。

1.聞きたいと願う者には四諦の法を説き、
生老病死の苦を抜き、涅槃が最上である事を教える
2.辟支佛(独学で悟を開いた者)を望む者には十二因縁の法を説き、
3.諸の菩薩の為には六般羅蜜を説き、

一切衆生を阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみやくまんぼだい)に導いていました。日月燈明如来は代々、日月燈明を名乗り、初善・中善・後膳から成る正法を説いていなした。そして、二万佛目の最後の佛が出家していない時に、8王子(1.有意、2.善意、3.無量意、4.宝意、5.増意、6.除疑意、7.響意、8.法意)がいました。

父が出家し、阿耨多羅三藐三菩提を得た事を聞いて、八王子は皆、悉く王位を捨て出家し大乗の心を起こし、梵行を修して皆法師になった。

すでに、数多くの人の所において、諸の善本を植えていた。時に、その教えを日月燈明
佛が大乗経の無量義・教菩薩法・佛所護念と名ずけ、その経を説き終わった。

そして、大衆の中に於いて足を組み座ったまま微動だにせず、無量義処三昧に入り、
天より、曼荼羅華・摩訶曼荼羅華を雨らし、普佛世界六種に震動する。そこに居た諸の大衆は大いに驚き、一心に佛を見た。

その時、佛の眉間の白く右に巻いた旋毛より光が放ち、東方萬ハ千の佛土を照らした。
弥勒、正に知るべし、その時に会中に二億の菩薩あって、法を聞きたいと願い、この
光明普く、佛土を照らすのを見て驚きを隠すことが出来ず。この光の意味と理由を知らないと各々自ら共に言った。

その時、日月燈明如来は三昧より起ち、妙光菩薩を讃め、この法華経を説いた。
そして、六十小劫から成る教えが終わっても、席を立たず、説きたもう所の上妙の法を
妙光菩薩は悉く、理解した。

佛、この法華経を説き衆を歓喜せしめ終わって、この日において天・人衆に、「我は今夜に涅槃に入る。汝一心に精進し、放逸(遊び)を離れるべし、諸佛にはなかなか会えない、億劫に一度会う事ができる。徳蔵菩薩、つぎに作佛すべし、浄身と名ずけよ」

言った。佛この夜、滅度し、諸の舎利を分布して無量の塔を立てた比丘・比丘尼の数は数えきれないほどだった。そして、妙光菩薩は復精進し無上道を求め、八十小劫の中に
広く法華経を説き、諸の八王子を開化し、成佛させた。最後の天中天を燃?佛

妙光菩薩に一人の弟子がいました。名は求名と言う、彼の者は心に懈怠を抱き、名利に貪着し、多くの族姓の家に遊び、経を読む事を放棄し徘徊して、利を悟ろうとしなかった。この理由で、求名と言う名がついたが、衆の善業を行じ、無数の佛を見たてまつる事を得、諸佛を供養し、六波羅蜜を得り、今釈師子を見たてまつる。

その後、まさに作佛すべし、名を弥勒となす。広く諸の衆生を度すること計り知れない。彼の佛の滅度の後、懈怠なし者は汝これなり、妙光菩薩はすなわち、我なり。
我、日月燈明佛を見たてまつるとおり、光瑞はかくの如し、今佛は法華経を説こうとしている。」

以上で終り

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