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敵の成長の是非

2019年12月28日 05時46分46秒 | 日記
ジャンプの編集をしてた人が少年漫画論について対談する記事を読んだのですが。
その中で「敵を成長させる必要はない」って意見が。

編集の人曰く「作家は作品を長く書いていると、ついつい敵キャラを気に入ってその敵キャラを成長させるエピソードを描こうとしてしまう」「そういうときは私はこう言うことにしている」「その話、主人公サイドに何か影響ある?」

無論、この場合の成長は、こないだヒロアカで死柄木やトガちゃんがやってみせたような能力の拡大という意味では無しに、内面の成長のことを指すんでしょうな。
そう言われてみると、名作と言われる少年漫画で、敵が敵のまま成長するというパターンはあまり無い気がする。(味方に転んでしまうパターンではその限りではありませんが)

最近だとヒロアカの死柄木。昔だとダイの大冒険のハドラーくらいしか出てこないなぁ。

で、この中だと死柄木のは悪のリーダーとしての成長だから、果たしてそれは本当の意味で成長て呼んで良いのかという気にはなる。
ハドラーのは間違いなくどこに出しても恥ずかしくない成長だと思いますけど。

ダイの大冒険はドラクエの定番小道具(呪文、モンスター)を流用して作られたオリジナルドラクエ風の物語で。
連載当初はドラクエ人気にあやかったクソ漫画かと思わせてきたもんですけど、とんでもない名作になってしまった作品。
(来年の秋からアニメが放送されるというニュースが流れてましたね。前にも一回アニメが作られましたけど、あれは途中で打ち切られてしまったので、今度は最後までやって欲しい)

ハドラーは作中のラスボス・大魔王バーンが降臨する前の世界で魔王を名乗っていた魔族の男で。
能力は「武闘家の肉体スペックに、魔法使いの呪文能力」を併せ持つという、わりとチートスペック。
戦闘時は拳からウルヴァリンの爪のようなものを生やし、その肉体スペックで追い込んで来ながらイオナズンやベギラゴン等、魔法使いの攻撃呪文の最高位のものを連発する恐ろしい男です。

で、性格は残虐の一言。
力の信奉者で、弱者に対する憐憫の情など持たず、憎い相手を苦しめるために目の前でそいつの守りたい相手を殺して見せようとしたり、自分の部下が自分の意向に沿わないことをしたと知ったら、容赦なく殺したり。

まぁ、そういう典型的悪役だったんですけど。

物語が進むに従って、戦士としての美学のようなものが彼の中で芽生えて来てですね。
自分はどこまで強くなれるのか、強くなって純粋に主人公を倒したい。

そういうキャラクターに変化する。

最終決戦では、主人公が繰り出そうとする必殺技が完成するのに時間がかかる、ということを知ったとき。
以前の彼なら「チャンス!」とばかりに必殺技が完成する前に主人公を仕留めようと動いたでしょうけど、「ならば、俺はその間自らの力を高める!」と自分の能力の増幅にその時間を充てるんですわ。

強いだけで残虐な男から、誇り高い戦士に変貌しちゃうわけね。
これが成長で無くて何なの?

もっとも、

「その話、主人公サイドに何か影響ある?」

これはクリアしてるわけですけどね。
だって、ただ強いだけで、何も尊敬する面が無いクソ野郎をぶっ倒すより、主人公たちに影響されて自らを極限まで高めてきた敵ながらあっぱれな相手を倒した方が主人公の格が上がるというもの。
しっかり影響はあるわけで。
例外のようでいて、実は基礎は守ってる。

何事も例外はあるとはいうけど、根本部分で例外と呼べる本当の意味の例外って、実のところほとんど無いのかもしれませんなー。


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