人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

神秘のヴェールが開く時

2021-09-21 10:05:02 | 独語
私は物心付いた頃から神を信じていたように思う
神が何かも分からないままに...
分からないままでいいi
そこにはいつも神秘のヴェールで覆われていた
神には秘されたものがある...神は神秘なのだi
そのヴェールの向こうには私の神秘も隠されているのだろうか?
神秘のヴェール...そこにはいつかは開かれるという暗示がある
それは私以外の誰によっても、誰の上にも開かれることはないi

18の頃、ふとしたことである宗教と関わることになった
そこでは神は...OOの神の名で呼ばれる...その神はこうこうこういうもので、他の神とは違うもので、この神こそは正しいものとされていた
神への礼拝のされ方も決められていた
違うi...何か重大なものが違うi...何かがここではスリ代わっているのだi
あの神秘のヴェールはいつ開かれたというのか?
外から押し付けられた神などi...
そうは言っても...私は救われたい気持ちがあったので、長いものに巻かれるように信じようとはしていたが...
平安、幸福に導かれたことは一度もなかったi
デキアイの信仰生活は苦痛で耐えきれないものになっていった...
神秘のヴェールの向こうから声がする...
"お前はそこに居ていいのか?...本当にお前が求めているのは私ではないのかi"
平安、幸福、自由、愛に誘われているのだi
その声によって"エジプト"から脱出することが出来た
神秘のヴェールの向こうに何があるのか?
神が何かは分からない....
しかし、そこに何があるかは朧気ながら分かったi
いや、昔から知らずに示されていたのではなかったか?
どうあっても、こうあっても...生きても、死んでも...
求めずには、惹かれずにはおれないもの...
一切の思惑を超えてそのものにすべてをゆだねた時
神秘のヴェールは開かれる...
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超越的なもの

2021-09-20 09:53:07 | 哲学・思想
神などの霊的な存在と関わることは、自分以外に別材したものに依存してしまうように感じている人も多いだろうと思います。
超越的なものとは、そのように理解されているようです。
これが宗教的なものとの関わりに抵抗感をもたらしている要因の一つとなっているのでしょう。
しかし、私が主として現臨と言い表しているものと関わる時、自己そのものと切り離されるようには感じられないのです。
この場合の自己とは、思われたままの自己、諸々の思いに閉じ込められた自己のことでないのは言うまでもありません。
通常思われている自己とは、このように限界内に存在しているのです。
と、このように言うならば、そこに超越するものがある、そのように開かれるものが示唆されていることが感じられてくるでしょう。
限界があるということは、それを超えるものを予感させずにおれないのです。
ブッダは、神とか霊的存在のことには言及しませんでした。
しかし、それは予めそのような存在を実体あるものとして、信ずべき対象として、外的権威となるものとして設えることに対して、そうした定見から自由になることを目的にして説かれたものではなかったでしょうか?
権威に結び付いた定見、固定観念こそは、人間を思念のうちに閉じ込めるものの最たるものでしょう。
宗教、スピ界隈には精神を、ひいては人間存在そのものを呪縛するもので溢れかえっている様は、古代インドの昔も今も変わらないのではないかi
自己を超えるとは、ひっきょう思いを超えることに他ならないのです。
そして、超越的なものとは、存在論、実体論として説くことは出来ないのです。勿論、そのように説いている向きは沢山ありますよ。
しかし、それはある一定の理解に導くことはあれ、そのような教説に安易に迎合し、信従、追従してしまうならば、自己実存はいつまで経っても開かれることは無いでしょう。
自己と信じ、従うべき対象との二元性が克服されない限りは...
しかし、思念に閉ざされた自己のみからは、その道は開かれるものではありません。
自己を超えたものによらなければ...それはあるいは、内なる自己の深みから来るのかもしれません。いや、それは神、守護の神霊なのか?
考えてしまう...だ、だから考えているうちは、何か実体あるものとして捉えようとしている限り、直にそのものと一如のものとはなってこないのです。
そして、超越的なものに捉えられてしまえば、それが何かなどという詮索などどうでもよくなってしまうのです。
そして又、超越的なものにあって、私は思われた私でなくなって、ますます私そのものになってゆく...
"超越的なものと実存的なものは切り離されるものではないi"
超越的なものとはどういうものなのか?...超越するとはどういうことなのか?
祈りをもって、改めて考えてみる必要があるのではないでしょうか?
"祈りをもって"...考えるだけなら、考えるだけで終わるでしょう。
祈るということは、超越的なものを呼び覚ますことに他ならないのです。
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現臨というゾーン

2021-09-18 10:16:47 | 現臨、ハタラキ
"現臨にある"、ということは感覚としては、そういうゾーンに入ったようなこと、何か見えないバリアに包まれるようなことを言っているのです。
そういう意識状態にあるということなのですが、そこで諸々の思いから離れられる、超えられるということがある訳です。
従って、今、悪い、乱れた、ダメな心の状態にある(そう思っている)として、思いを良い(と思っている)方に変えようとしたり、そういう思い自体を出さないようにしようと、私なんかは一度たりとも出来たためしのないことを、出来る人はともかくやろうとする必要は無いのです。
いつも言っていることですが、これが中々"思いを変えなければならない、変わるように努力しなければならない"、と思い込むことがサガになっているのか、理解されないようでして...そして、変わらなかったら...あるいは、変わったとして、又ダメな自分に舞い戻って、更なる自分を追い込むような思いに苛まれたりして...私はさんざんそういう思いをして来ているのです。
だから...思いから離れること、超えるということがどういうことかが分かる...というか、意識が自然とそうさせるものに動いてゆく、向けられてしまうのです。
"あのゾーンに入ればラクに、幸せになれるんだi"
これは、もう本当に人生は怪物じみた、神的なものと共にある、というような驚くべきことなのですi
見えないゾーンに入る、というかそのものが臨んでくる訳ですが、そのバリアに包まれているような感覚というのは、ある面では、外的な所与の世界からの影響が遮断されるようなことでもあり、又別の面では、その自分と客観的世界とを隔てている障壁が希薄になることでもあります。
内なる世界と外なる世界と言ったりしますが(以前は肉体という壁を軸にして考えられたりしたものでしたが、実際にはアヤフヤに感じます)、具体的に感じるところから言えば、現臨にあるものが前者、その外にあるものが後者と言ってもいいでしょう。
外なるものには、リアリティが感じられません。これは現実に臨んでいないということでしょう。
コ難しいことはともかく、要するに、古今東西のすべての宗教、精神世界の道において、神、ダンマ、聖霊...呼び名はともかく、"これ"に触れないものは皆無と言っても過言ではないのです。
これに与らんがための信仰とか修行の道というものは勿論ありますよ。
そこには一定の努力というものも多分あるのでしょう。多分?
私は?...努力したという自覚は無いが、さっきの通り苦しんだことはありますが、多分...フツーじゃない歩み方をしているのかもしれないという自覚はあります。
物心付いた頃から怪物じみたものと共にあった、という気がしてなりません。
それが、得たいの知れない不気味なものから、いつしか愛、平安をもたらすものに変わったようなのです。
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怪物と現臨

2021-09-16 11:48:09 | スピリチュアル?
「あいつが見えるーこっちへ来るー地獄の嵐ー巨大な朦朧とした影ー黒い翼ーヨグソトホートよ、我を救いたまえ...」
(H.P.ラブクラフト「暗闇の出没者」)

私が8歳になったか、ならない頃のある夜、深夜放映されるテレビ番組が始まるのを、眠いのをがまんしてワクワクしながら待ち続けていました。
"大相撲ダイジェストだって?、そんなもの結果だけ分かったらいいから早くやってよおi、早く観たいi、「フランケンシュタインの怪物」i"
確か午前0時だったか、ようやく始まりました。戦前の米映画「フランケンシュタイン」の短縮版の放映...
そして、後ろ向きから振り返る怪物の恐るべき容姿i...この時一緒に観ていた母が目を付してしまい、私にも「見ちゃダメよi」と促していたのを覚えています。
しかし..."見なきゃよかったi...そうすれば、それから約3ヶ月の間、怪物の幻影に悩まされることは無かっただろうに...もっとも、8歳の子供にそんな運命が待ち受けていることなど誰が想像出来ようか?"
「怖いわi、何かがやってくる、忍び寄ってくるのよi...」(劇中のエリザベス~F博士の"本当"の花嫁~の言葉)
それは怪物の造形からもたらされたものではありますが、いつしかそれを超えて見えない怪物、恐怖にまで膨れ上がっていったのです。(これは、その映画で名怪奇俳優のボリス.カーロフが演じていたもの限定だったことは付け加えねばなりません)
あたかもラブクラフトが描いた、一連のクトウルー神話の邪悪な神々?、怪物のように...
"ヤツは私が思い描いただけで、現れやがるi...どんなに打ち消そうとしても、ますます強く、顕わに...ヤツはいずれ私の世界を占領してしまうのだろうか?"(昔から私には、頭の中に怪物じみたものが潜んでいるという自覚はあります)
目に見えない、得たいの知れないものが、やがて顕わになる...それはこちらに迫り、臨んでくる...
そうですi...それは全く私が現臨と呼んでいるものの裏返しのような側面を持っていたのです。
そう、それは私の想像の産物だi...いや、そおじゃないんですよおi
まるっきり違うところは、それがこちらに迫り、臨むことで、ますます思念のトラワレにハマってゆくか、それが解かれて、自由に、ラクになるかというところにあります。
恐怖を呼ぶものか、幸福を呼ぶものかの違いはありますが、私の心象には、昔から何か見えないものが迫り、顕わになるというモチーフが横たわっていたのです。
何にせよ、そのことは私の人生において、抜き差しならぬ刻印を残したことは間違いなく、もしかしたら、私のそうした精神的苦境は、精神的解放への道を予兆していたのかもわかりません。
クトウルー神話の邪悪な神々も想像するには、忌まわしき祟り神か何かのように、押し込められ、封印された、"元なる神"の存在を負のイメージで描いたものだったのかもしれません。

コメント (3)
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フランケンシュタインの花嫁と息子

2021-09-15 10:06:32 | 創作
私の父が人造人間を創造するという秘密の研究をしている、という噂はアチコチで耳にしている...
そして、今度は何でも超次元のエレメントを借りて、女の人造人間を造ったらしいのだi、
死体を繋ぎ合わせてこしらえたそれは、電気ショックによってよみがえったのだi
その女モンスターは、一見するとフツーの世界にどこでも居るような美女に見えるが、夜になると顔中の皮膚は分厚く膨れあがり、醜く変容してしまい、文字通りモンスターと化してしまうらしい...
女モンスターは超次元に由来する妖術を使い、主人であるはずの父の心を狂わせ、意のままに操ってしまうのだという...
そして...父と共謀して私をも手玉にとり、挙げ句は命を取ろうとしているというのだi
ああ...私の運命は一体どうなるのだろう...

先日、私の友人の8才になる息子が深刻な悩みを抱えているようだったので、心配になって訊いてみた。
その話は、多感な少年に見られるように幻想と現実が入り交じっていて、その内容を掴むのが難しかったのだが、私なりに整理すると、ざっとこんなことだった。
ある時、その子が父の知り合い同士の噂話を立ち聞きしてしまった、ということである。
それによると、"一人前の社会人を生み育てる"、職業訓練学校で働いているその父が"女をつくった"らしいのだ。(ちなみに彼は、妻に先立たれ現在独身である)
その女は、彼にしてみれば別世界とも言える、夜の仕事をしていて、昼間はこざっぱりした美人なのだが、抜群の"肢体"、プロポーションの持ち主で、仕事になると厚化粧の夜の女に"化けてしまう"のである。
生真面目な彼は、ほとんどそういう世界には縁が無いのだが、友人の誘いでキャバレーへ初めて訪れ、その女を一目見た瞬間、"ビビっ"となったのだが、彼女の方も"電気を打たれた"ようだったそうである。
こうなると、彼に再婚の話もちらほら...子連れということがネックになっているらしくて、彼の方でも悩んでいる最中のようなのだが、息子の方は、もっと深刻な顔をしていた...
という次第だった。
息子の方の彼は、今、恐怖の幻影と戦っている最中である上に、こんなおめでたい"怪奇話"が突如舞い込んできたのだから...
彼は一月前、戦前のユニバーサル映画「フランケンシュタイン」を観て以来、ショックで、その怪物の幻影にとりつかれてしまったのだ。
何でも、意識を向けただけで、"パッ!"、と...いや"ぬうっ!"と、ゾッとするあの怪物の容姿が浮かび上がるのだという...
彼が打ち明けてくれた話は決して笑ってはいけないのだけど、幻想で膨らんだ部分を切り取ると、マダム.シェリーかラブクラフトも顔負けのホラー小説になるようで、面白くてたまらないi
彼はきっと将来、現世では与りしれない、"人生の裏側"に足を踏み入れてしまうんじゃないだろうか?
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