人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

時間と永遠の時

2017-11-19 12:09:06 | 哲学・思想
「永遠との交わりの瞬間とでもいうものがある。この瞬間が過ぎ去り、私は再び(日常的)時間へ陥る。しかし、過ぎ去るのはあの(永遠との交わりの)瞬間ではなく、堕落した時間性のうちにある私である」(ベルジャーエフ「始源と終末」.行路社刊)

これはなにも突出した超越体験、覚醒体験と結びつける必要は無いと思いますが、誰にも人生には忘れられない瞬間というものがありますね。
フツーにこのように語られるものなのですが...よくよく考えてみれば、これってすごーくヘンなこと、そしてものすごーい逆説だと思いませんか?
我々は瞬間、瞬間移り変わってしまい、ここにいつまでも留めて置きたいようなことは、無情にも過ぎ去ってしまう、と感じているのです。
一方毎日毎日の日常の習慣的生活のことはどうでしょう。
その日の行動予定は忘れないようにメモして、いつものように出勤していつものように帰宅して...と、区切られた時間の繰り返しです。
何時間という量的に積み重ねられる時間に照らせば、我々はほとんどの時間をこうした終わりなき日常のうちに過ごすことを余儀なくされているのです。
しかし、あなたはこうした時間の繰り返しというものをいちいち覚えているでしょうか?
私には皆無...何も覚えちゃいません。全ては忘却の彼方です。
私と違って仕事をもっとも生き甲斐に感じている人なら、目標を達成したとか、成功した瞬間とかがその時間の中で、突出した時間として記憶されるかもしれません。(得てして達成感、世的成功といったものに結び付いた時、変質してしまうものですが...)
このように、本当に覚えていることというのは、非日常的瞬間なのです。映画、音楽、特別な人との出会い...
量的時間の上では、わずかな一時かもしれませんが、私の人生を強烈に印象付け、色付けているのはこの一時なのです。
これは量的なものには置き換えることの出来ない実存的時間、永遠の時に通じたものと言えるでしょう。
大概、こうしたことは記憶として、過去の想い出として思い起こされているものです。過ぎ去った過去のものとして...
しかし、このメモリーに息づいているものをじっくり、よーく味わってみて下さい。
生き生きと現在に甦ってくるのが感じられてきませんか?
それは何十年も前の古いレコードを、現在の時間で再生して聴くことにも似ていますが、それは永遠の時に刻まれているからこそ可能なのです。
私がしばしば"身に覚える"と言っているのは、頭の中の記憶とは、モ一つ根底的な細胞的レベル?の記憶についてのことなのです。
それは本当に単なる記憶とは違い、アリアリとした身体感覚を伴って再生されてきます。
何にせよ、そこに今もなお生きてハタライているものが感じられてくるはずです。
この事は、勘違いされやすいことですが、過去へのトラワレとか執着といったこととは全く別の話です。それは有識で無限、永遠なるものを取り込もうとしてかえって、永遠性が閉ざされるに至るようなことです。
"過去のこと、過ぎ去ったこと"と思い込むのも(美しい想い出に耽るのは自由ですが)、それに固着するのも頭が勝手にそう思い、そうしているに過ぎません。
これは我々が如何に内的、実存的、永遠に通じた時間というものを蔑ろにし、過去、現在、未来に分断された、思念に取り込まれた時間に自ら支配されている、ということを物語っているのです。
改めて思わされます。"人生とは思われたままのものではないi"
あなたの内なる聖所に刻まれているもの、息づいているものに心を合わせれば、人生は違ったものに変容してきます...。

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夢で逢えたら

2017-11-18 11:33:16 | スピリチュアル
このところ、急に朝方が寒くなり、起きるのがシンドくなってきましたが、心地よく目覚めていますか? あなたのお目覚めは如何?
皆さんには、目覚めの瞬間に何故か分からないけど、喩えようもなく心地いいことになっている、という経験はありませんか?
それまで眠りに就いていた訳で自分でどうした、こうしたということはないのです。
時には、自分で考えた訳でもないのに、起きたらあることが閃いたり、気付かされたりすることもあるでしょう。
"おお、そうだったのかi"...考えても何が"そうだったのか"は分かりません。"そうなっていた"ということに気付くというべきか...
私などブログのネタが閃くこともしばしばです。
これが天来の気付きだったりするものなのですi
見ていた夢が明晰で、強烈なインパクトがそこでもたらされていた場合、目覚めてもなおそこで受けたバイブレーションが生々しく心身に持ち越されていることもあるでしょう。
このジンジンとしたもの、恩寵、見えざる導き...すべてこの事と関連があり、そして精神的目覚め、エンライトメントということもこの事の延長にあるものなのです。
"目覚め"とはよく言ったもので、まさしく眠りから覚めるという強烈な実感、又この天来性をよく言い表していると思います。
かように目覚めの瞬間というのは、極めて大事なことですね。
どうしたらそういうことに預かることが出来るのか?...(って、私がそのノウハウなんかをここで書いたりしたことがありまっかi タダで? ま、たまにはいいだろう...といっても知ってる人は知ってるでしょう。それにそれは特別ノウハウなんてもんでもありません)
起きの目覚めが大事な事なら、寝入りも大事な事なのです。
スピ界隈ではよく言われている事みたいですが、寝入りの直前の意識の有り様というものが、夢の世界に持ち越されるということは、私の経験でもあり得ることです。
だったら神様でもグルーでも愛する人でも、自分にとって最愛のものに意識に向け、その愛なるものに包まれながら眠りに就くことです。
全託...全てをゆだねる何て事は到底出来っこないことですね。
いやもう..."全託しましょう"だの"手を離しましょう"だの"思い方、考え方、意識を変えることです"だの、出来もせんことをツベコベと...これは暴力に近いものがあります。
平然と言っている人というのは、まずやって、そうなったことがない人です。だから私はノウハウとかメソッドとか言うのがイヤなのです。やって、そうなったことがないから...
しかーし...寝入りの直前なら全てを愛するものにゆだねることは、何の苦労も努力も無しに出来ることだと思いますよ。
これもしかし、出来る、出来ないという話ではなくて、人は眠りたくなったら眠りに落ちるという、これ以上ない生来の機能に乗っかるということなのです。
眠りに就くということは、無になる、なれるということです。それは死の世界に赴くということでもあるでしょう。
どんなに"表の白い世界"で座禅や瞑想に明け暮れ、諸々の思いから離れて無の境地を目指そうとして、到り得ないことがそこでは苦もなくそうなるのです。
この寝入りと目覚めのある瞬間は誰でも思考のまとわりから解放されているのです。
この瞬間は、考えても分からないことを考え、思考で捉えないことが肝心です。(これが逆説的なコツです)
その瞬間こそは、思いを超えたものに捉えられている、ということなのです。
ただ、そうなっていることに気付いているだけでいいのです。
スバラシイ事は寝ている間に行われているのです。それにゆだねる...
本当に最愛のものとは夢で逢えるのかもしれません。
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謝りたい人

2017-11-17 18:36:17 | 回想
私の人生で小学二年生の頃、人生で重要なことに相次いで巡りあっており、忘れられない想い出が一杯なのです。
初めて感動した映画、音楽、漫画、東京オリンピック...そして、初恋?
Sちゃんという女の子がクラスに居たのです。
彼女がいつ頃来たか覚えていないのですが、転校生でした。
初めて見て、他の女子と比べて何かすごーくアカ抜けしてるように見えました。
ヘアスタイルからして違う...あまり見かけたことの無いサラサラとしたロングでした。
確かその件でクラスの担任の先生から"その髪、なんとかならないの!"と注意され、 "ヤですi"と猛烈に先生とやりあっていたのを記憶しています。
転校生ということもありましたが、私は否応なしにSちゃんに興味を持ちました。
"カワイイ?...ウン、確かに(昔から面クイ)...しっかし、気が強そう...生意気そう..."
その後の異性と接し方の不器用さがウソのように、私たちはすぐ親しくなりました。
何しろ"Sちゃん、遊ぼうi" "ウンi"で決まってしまうのですから...
二人きりで遊んだ記憶しか無いのですが、イロイロなことをしました。お医者さんゴッコとかi(深い意味は無いです)
我が家で、そういう遊びをしていた時など、オフクロが先方の親が心配するからと、帰宅を促していたにも関わらず、夜の8時過ぎても帰ろうとしません(金曜のプロレス中継をやっていた)。何だか家に帰りたくない様子でした。
彼女は私と同じく体が弱いのか、いつも学校を休みがちだったのですが、ある日私も学校を休んだ日、近くの公園で遊んでいる彼女を見つけました。"Sちゃん、ズル休みだあ、言いつけちゃおi" "あなたもねi"とお互いバツが悪そうに密会?したこともあります。
このように私はSちゃんに親しみを感じていたのですが、前記したようなことも脳裏にあり、実は大キライな宿敵でもあったのです。
"勉強も運動も私より、ウンと出来る"ならいいです。しかし、彼女ときたらチョイと出来る...常に私の前に、上に出ようとするのです。...あなたより私の方がチョイと出来るんだから"といいたげに...
"ムムムッ..." 私をヘンにムキにさせずにおれません。
特に私が大の苦手の算数が出来るってーのが、許せないのです。..."絶対、あれはアンチョコを見ているに違いないi"
どうしてこういう相反する感情が同居してしまうのかが分かりませんが、多くの人間関係がそうであるように、彼女も私に対してそういう感情を抱いていたようなのです。
要するにケンカ、イジメのし合いもしょっちゅうだったということです。
こうした微妙な空気を孕んだ私たちの関係も、再び彼女の他校への転校で途絶えてしまいました。
彼女は複雑な家庭環境にあったのです。長期間欠席して出てきた時には、苗字が変わっていました。
そんな時分、彼女の方から"遊ぼうi"と誘ってきたことがありましたが、私はつれなく"用事があるから..."と断ってしまいました。
どこか寂しそうな表情のSちゃん...そしてあまりにも急な転校の知らせ...
それから、小学三年になり、又Sちゃんはクラスに戻ってきたことがありました。何故か杖をついていました。
"ずっとズル休みだと思っていたけど、ホントに体が弱かったのか?"
この時、私はこともあろうに、クラスの悪ガキとトンでもない、心ない言葉を彼女に浴びせてしまったのです。
"ヤーイ、ビッコ、ビッコ"i"と...
当然のように、深く傷ついたか、泣きじゃくってるSちゃん...久しぶりに宿敵をやっつけてやったと思ったものの、何とも後味の悪い気持ちが残りました。
そして、すぐ又見なくなってしまいました。
これはいつまでもずっと自責の念として残っていることです。
それから又、小学6年くらいだったでしたか、何かの準備活動の時、一学年か二学年下のクラスと一緒になって、その中で回りの生徒より一際背の高い女の子から突然、「お久しぶりね...」と声を掛けられました。"Sちゃん..."
彼女は屈託なく笑っていました...。(欠席が多かったのでしょう、留年していたのです)
思えば罪なことをしてしまったものです。私と似た境遇に居て、ホントは理解しあえたかもしれないし、淡い恋心も抱いていたかもしれないのに...私は本当に幼かった...
人生では知らずにやっていたことが、知らずにわだかまりになることもある...
Sちゃんは人生で一番謝りたい人です。




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フリオ.デカロータンゴ界のドビュッシー

2017-11-14 17:55:14 | 映画・音楽など
私の生活ではずっと音楽鑑賞が欠かせないものなのですが、改めて申しますと、30数年前、中南米音楽に夢中になってから完全に表面(A面)と裏面(B面)とに分かれるようになりました。
私的に表面というのは、巷で主流のロック、ポップス(基本、洋楽ばっかりです)のことで、裏面とはほとんど日の当たらない、この中南米のものを中心としたマニアックなジャンルのことを指します。どちらにしても"巷で何が流行っているか"ということなど度外視で、その時々気に入った音楽を聴いています。
こういう説明はレコードというものが主流だったその頃には、説得力もあったでしょうが、CDに取って代わってからは、ピンと来ないかもです。
表と裏ではどちらが私の思い入れが強いかは、一概に言えませんが、表裏問わず一番好きなアーティストは?と聞かれたならば...私はここ十数年では躊躇せずに"フリオ.デカロ"と答えるでしょう。
と言っても、アルゼンチン.タンゴのファン以外には、全く馴染みが無いでしょうけど...タンゴを知らない人でも、一頃我が国でも"アストル.ピアソラ"が注目されたのはご存じでしょう。私など"あれがタンゴか"と思ってしまったり、又どうしてあれが流行ったのかよく分からないのですが、そのピアソラが影響を受け、そのタンゴのルーツをたどるとぶつかるのがフリオ.デカロという楽団リーダー、作曲家、バイオリン奏者なのです。(30年代に人気があった米国の俳優ジョージ.ラフトにそっくり...知らないか...)
彼の全盛時は、1920年代中頃から30年代初めにかけてで、まさにアルゼンチン.タンゴのそれに当たっております。
そもそも私が中南米音楽にハマったのは、82、83年頃日本人のタンゴ.マニアが続々とその音源を私家盤LPレコードとして復刻して出し始めた(これはその我が国には、ほとんど知られていないことですが、世界的にも快挙と言わねばなりません)ことに関心が向いたのがキッカケだったのですが、何故かそのLP群に単独のデカロの名前はありませんでした。
音源の収集がはかどらなかったのか分かりませんが、こんな訳で実際にその音に接したのは、それらからやや遅れ、アルゼンチン盤に頼ったのですが、その魅力にとりつかれたのも時間がかかりました。
最初はどこがいいのかよく分からなかったのです。何かジグザグとしていて、当時の他の、F.カナロ、R.フィルポ、O.フレセドなどのライヴァルとなった諸楽団に比べ、ストレートな感情表現に乏しい感じがしたものです。(ピアソラがその学統?を継いでいるというのも分かる気もします)
ただ、聴けば、聴くほど良くなってきて、忘れなくなって今日に至っている次第です。
これは、どうもその複雑なアレンジ、多分に意識的に感情が抑えられているところにあるようです。
最初に聴いた印象は"これは、タンゴ界のドビュッシーだ"というものでした。
例えば何か"月の光"へと誘われるような、激情を内に秘めた淡々とした進行...とりわけ印象に残るのは、それまでタンゴ界ではロクな役割しかなかった、大胆なピアノ.ソロ...そして月の照らす夜に、妖しく奏でられるようなリーダー自身によるコルネット.バイオリン(小型トランペットを装着させたバイオリン)のユニークなソロなどに伺われます。
一聴して他楽団に見られない強烈な個性が際立っています。
同時代、米国のジャズでドビュッシーに影響を受けたのは、白人コルネット、ピアノ奏者のビックス.バイダーベックでしたが、感覚には相通ずるものがあるようです。
ジャズがソロとアンサンブルの対位法(ドビュッシーズム?)の確立、大胆なアレンジの導入などによってそうしたように、フリオ.デカロは、それまで場末の単調なダンス音楽に過ぎなかったタンゴを高度なポピュラー音楽にまで発展させたけん引き者だったのです。
彼は「タンゴも又音楽である」という有名な言葉を残していますが、その音源から"歴史に残るような音楽を残そう"という心意気が伝わってきます。

今はYoutubeで、いつでもそれらを聴ける、何とも有り難い時代になりましたが、Julio deCaro sextetoによる25年録音の自作曲"Buen Amigo"は音質は悪いながらも誰が何と言おうと、"デカリスモ"(デカロ風演奏をタンゴの識者はこう呼ぶ)の全てが詰まったような歴史的名演です。
一番知られているのは多分、"El Monito"、"Boedo"辺りでしょうが、私には"Loca Bohemia"、"colombina"(共に28年録音、最後のはヒットしませんでした)が捨てがたいです。
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本心

2017-11-12 06:38:29 | 雑感
本心...
誰もが言っています。
"私は本心から思っています。本心で言っているんですi"と...
でも、それは大概は自分で"本心だと思い込んでいる"だけではないでしょうか?
思い込みでない本心とは?...
実は...悟ってない私には分かりません。偉そうなことはとても言えません。
ある人は"本心とは、神そのもの、神と一つになった心のことを言い、光一元、善があるのみで、一点たりとも闇や悪、不調和など見出せないものだ" などと宣うかもしれません。
実に悟ったような物言いですね。
しかし、それがただそう思っている、そう思いたいところからの言明だとしたら、これほど本心というものを覆い隠してしまう、見えなくさせてしまうものは無いでしょう。
これまで宗教やスピ界隈で、どれだけこうした"正しい信仰"から偽善者を造り出して来たことでしょう。
私には本心が"こういうもの"と言うことは出来ません。ただ自分の心というものが全くあからさまとなり、全く誤魔化すことも、疑うことも、隠しおおせなくなってしまうようになることは知らされています。
それはどこまでも突き抜けられており、吹きさらしになっているのです。
そこでは、自分の心というものが、まさしく"そう思っていたもの"であることが明らかになります。何も思っていない、思いが超えられてしまうことで...
このようなことは、自分からそうなることは不可能です。自分自身では本心が分からないのです。
思われたものでない本心(らしきもの)は、恩寵の、光の照射によって示されるのです。
そこに正しくありたい人が言っているような、強がりなどあり得ません。そんなものは木っ端微塵ですi
そのように見せる、誰かなど居ません。自己の現存を目の当たりにするだけです。
真反対の無力さ、弱さ、ただ赤子のように泣きじゃくっているだけしか出来ないような、素っ裸の状態にされるだけです。
そこには善も悪もありません。これが本当に"ありのまま"ということでしょう。
そこで初めて知らされるのです。自分を超えた神的なものと真向きに、その中にあり、そのもの無しに寸時も生きることが出来ないということを。
ここから、思われたものでない、深い意識で神的なものと一つになったような領域が開かれたりします。
その主体は、どこまでも限界を超え出た、明け渡された先の"我ならぬ我"なのです。
このことは、ありのままの自分を離れては無いのです。
こんな訳で何が自分の本心であるかは、今でも分かりません。
そう思い込んでいるものは、けっしてそうでないことが分かるだけなのです。

この世に生きている人間はどこまでも弱いもの...如何なる人でも、自分自身のことが分からなくなるように、迷いの淵に立たされることもあるでしょう。
このことに真っ直ぐに向き合い、そのありのままの事実を受け入れてこそ、思いを突破されるものへと意識が向き、自己の本座なるものに導かれるでしょう。



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