教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

学校教育改革・教師の働き方改革のビジョン(粗々の私案)

2022年02月11日 22時35分00秒 | 教育研究メモ
 思い切ったことを言いますとね、今後の教師の授業時間はもっと減らすべきだと思います。できれば一日4時間、週20時間以内。基準は法定労働時間の半分。
 それで何のために働くか。教師は、子どもの学習を保障するために働く。学習保障とは、人権の一つである教育を受ける権利と学習する権利を保障すること。学習とは、主体的・対話的で深い学びでいい。教師の独りよがりではダメで、本当に子どもたちが主体的・対話的で深い学びを経験し、充実した学びの喜びを実感できている必要がある。
 どうやってやるのか。まず、労働時間の半分は授業時間、もう半分は教育研究の時間。教育研究には、学術研究はもちろんだが、教材研究やカリキュラム開発、共同研究、教育調査なども含む。子どもの学習保障のために、子どもの実態観察や教師の省察・協議、教育効果の測定などを進め、カリキュラム開発や指導支援法の検討などを行う。学者や行政、地域などの協力体制も充実させる。研究のために子どもと関わるのもかまわないし、学外の研究会やセミナーに参加することも可能とする。
 教師の授業時間を減らすのは、子どもの学習を減らすためではない。教師の授業時間はピンポイントに必要な時間数に収束させ、教師以外の人々や機械による学習を進める。教師以外の人や機械による学習も、もちろん教師や担当が共同に開発したものであるが、担当者の責任と権限を保障する。担当者は教員免許をもってなくてもかまわないが、必ず研修を受けてから担当する。補習や宿題、読書、給食、掃除、行事、繰り返し学習、AI学習、部活動などはこのような形で実施してよい。もちろん目的は子どもの学習保障である。教師が参加してもかまわないが、観察や試行など教育研究として関わるのが望ましい。このようなカリキュラムを開発・運営するのは簡単ではないので、むしろ教師の定期的な観察や評価・フィードバックは必要だろう。そのためにも授業時間の制限は必要である。
 学校・学級運営も教師だけで進めるのではなく、教師・家庭・地域・行政・子どもの5者が適切に協議しながら進める。特定の誰かの学習保障や国家社会の利益、経済発展にとどまらず、全ての子どもの学習保障を実現するために、みな教育・学習の当事者として責任もって協議する。強制参加ではなく、可能な範囲と分野を見つけて主体的に参加できるようにする。学習保障の仕組みをより充実させるために、自分たちで企画して必要な研修を適宜行うことも必要である。また、学校評価の基準は学力テストの平均点や費用対効果だけではない。全ての子ども一人一人の学習を多面的に評価し、学習保障の程度を量的だけでなく質的に検討する。評価は教育・学習改善のために行う。自校のカリキュラムに適した試験を開発してもいいし、むしろその方が望ましい。
 要するに、教師を中心としながら教師だけで教育しない学校の制度と経営体制をつくる。そのために、教師の労働の効率化と権限移譲を行い、研究・研修を無理なく確実に保障し、教育の当事者を増やしてその質を上げて協働していく。全ては全ての子ども一人一人の学習保障のために、人材・時間・資源を運用していく。そのための教師の働き方改革、コミュニティスクール制度とする。

 上記は空論のように聞こえるかもしれないが、実はこれらを実際に行っている国・地域・学校は存在する。少なくとも部分的には実例が存在するのである。それらの実例が実際可能になっている条件は簡単にどこでも整うわけではないが、どこでも「無理」とは限らない。
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