教育史研究と邦楽作曲の生活

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教職課程教員の役割とは何か?

2014年12月09日 23時55分55秒 | 教育研究メモ

 教職課程教員の役割とは何か。
 専門的知識・技能の修得を支援することはもちろんですが、それだけにとどまりません。知識・技能のみを身につけていても、本当の教育をすることはできないからです。教育とは、教材を介した教師と子どもとの教育的関係における相互コミュニケーションです。その意味で教育するには、知識や技能だけでは不足です。では、ほかに何が必要なのか。
 教育するには、教師の「教育愛」「教育的態度」「教育的思考」が必要です。これらは、専門的知識・技能を絶え間なく実践し、教育上のコミュニケーションを形成・維持・向上させていく原動力になります。まず、教師の教育愛によって、教師と教職・子どもとの間に教育的関係が形成されます。次に、教師の教育的態度によって、教育的関係におけるコミュニケーションが維持されます。そして、教師の教育的思考によって、教育上のコミュニケーションの質が維持されるだけでなく、向上していきます。これらの過程において、専門的知識・技能は教育実践上に意味をもつことができます。
 そのように考えれば、教職課程において、学生の「教育愛」「教育的態度」「教育的思考」を養うことは欠かせません。ただし、これらを直接教えることは難しいでしょう。これらは、課程全体を通して行われる教員養成的な生活のなかで、学生たち自らはぐくんでいくものと考えられます。教職課程教員が可能かつやるべきことは、これらを目覚めさせ、活用する機会を提供して活性化することです。覚醒・活用・活性化の機会は、日常的にあります。授業だけを意識していたのでは不十分であり、授業・課外活動・実習を通した教員養成に関わる一連の生活を意識して、計画・運営・改善していかなければなりません。そのためにも、教職課程教員は、覚醒・活用・活性化のための教材研究・開発に取り組む必要がありますし、教材研究・開発の質や方向性を根本的に規定してしまう学術研究の量・質を高めなければなりません。
 なお、孤独で、息苦しく、与えられた課題でがんじがらめにされた生活では、上記の目標を達成することは難しいと考えます。自主的・自律的活動を保障する一定の自由感のなかで、仲間とともに高め合う生活様式が必要です。教職課程教員は、このような生活を可能にする教育環境をも作っていかなければなりません。
 「教育愛」「教育的態度」「教育的思考」は、現実の教員にとって修得困難な高いハードルであり、効果を検証することもきわめて難しいものですが、確かに 存在し、かつ教育を方向づけるうえで極めて重要なものです。曖昧で困難なものだからといって目を背けていては、教員養成を担う役割と責任に応えることはできません。教職課程教員は、極めて難しい課題に直面しています。

 

 以上、下記論文を読んで思ったことのメモでした。

・橋本美保「教員養成における教育的思考」教育思想史学会編『近代教育フォーラム』第23号、2014年、129~143頁。
・渡邊隆信「理論―実践問題と教職の専門性―〈教員養成の思想史〉に向けて」同上、163~176頁。

※教育愛についてはシュプランガーの説がやっぱり興味深いです。教育的態度についてはヴェーニガーの説に興味をもちました。教育的思考については、まだこれからです。最近出版された文献にも、題目に掲げたものがありますので、検討したいです。とりいそぎ橋本美保氏の考えには納得できます。序盤のコミュニケーション云々は、「教」の語源から常々思っていることから持ってきました。ハーバーマスとか読まないといけませんかね。

 なお、日本における教育的思考の発生については、広田照幸氏の『教育言説の歴史社会学』を落とせませんね。

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