教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

理科教育、知政学、“チャート式”

2007年03月07日 20時31分52秒 | 教育研究メモ
 今日は、庄司和晃『科学的思考とは何か』(明治図書、1978年)をざっと読み切り。本書の内容は、「小学校の科学教育における科学的思考とは何か」という問題の下、非科学・前科学的思考を明らかにして科学的思考を浮き彫りにし、さらに小学校の理科教育の実践例から科学的思考の形成に関する原理を見いだそうとしたものです。読者として想定されているのは、現役の小学校理科教員または小学校理科教員を目指す学部生の様子。一番言いたいことは、小学校理科教育の目的は自然に対する態度の形成ではなく、科学的思考の形成なんだ、ということかな。題名からして「科学的思考」について専門的に理解できるかとも思ったのですが、実際のところ「小学校段階で形成すべき科学的思考」(+小学校理科教育法)について書かれた本だったので、少し肩すかしをくらったような気分です(笑)。
 もういっちょ。米本昌平『知政学のすすめ-科学技術文明の読みとき』(中公叢書、中央公論社、1998年)も読む。「知政学」というのは、米本氏の造語なのかそうでないのかわかりませんが、意味は、科学(知)と政治の関係を考える学問という意味のようです。知政学は、地球環境問題や医療問題など、科学技術と政治の問題の中間にある問題を扱う分野で、ちょっと前に紹介した科学技術社会論と似ています。キーワードは、「構造化されたパターナリズム」だと思います。パターナリズム(父権主義的決定)とは、専門家がその専門知識と経験とを動員して、素人(利害関係者)を慮って方針を決め、素人もこれを受け入れる、という意味です。米本氏は、日本の政治が「霞ヶ関以外に具体的な政策立案を行う能力をもつところはなく、民衆もそれを受け入れる」社会解釈に基づいているのを問題視し、それを「構造化されたパターナリズム」と呼んでいます。この社会解釈は、官僚の優秀性を強調すると同時に、すべての監督責任を行政府へ帰結させる社会的態度を生み、専門家集団(とくに正規の専門教育を受けた科学者の集団)の社会的責任とそれを果たす態勢を問題視できなくしているというのです。科学技術社会論は、専門家・行政・市民の合意形成により社会的決定を下すべきという論ですが、知政学は、専門家と行政の関係を重視し(市民も少し考慮に入れられていますが)、とくに専門家の政治的覚醒を促す論だと読み取りました。教育の分野の場合、そもそも「専門家」とは何かハッキリしないので、この論を取り入れる時は要注意のように思います。
 さらに、中村滋・杉山滋郎「星野華水による“チャート式”の起源とその特徴」(日本科学史学会編『科学史研究』第45巻No.240、岩波書店、2006年冬、209~219頁)も読む。私も使った受験用数学参考書“チャート式”。なつかしいなぁ。もう二度と使いたくないものです(笑)。この論文は、“チャート式”の起源を探り、今にも続く特徴を見出す論文です。“チャート式”には、人々の数学・科学に対するイメージの形成に寄与した可能性と、考え方のマニュアル化に寄与した可能性がある、という問題意識から論文は書かれています。“チャート式”は、昭和4(1929)年、星野華水が予備校・参考書・受験雑誌を駆使して生み出した、「ひらめき」を廃し、明確に解法の誘導を行う形式であったようです。“チャート式”は、受験数学の問題解法のマニュアル化の第一歩となったとのこと。日本教育史の分野では受験文化の研究は近年徐々に研究者が出てきているようですが、科学史の論文にもこういう論文が出てきたとなると、うかうかしていられませんね。これから研究しようとしている人は要チェック。
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