カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

言葉と耳の物語

2018-11-25 10:06:19 | 日常あれこれ
 最近とみに耳のセミが元気よく鳴くようになって、人の声を聞くときはより注意するようになった。

 何度聞き返しても判らない時もあって相手に不快な思いをさせることもある。

 迂闊に返事をして、とんでもない間違いや誤解をしたら悪いので聞きただすことになる。

 「聞きただす二度聞きただし諦める」という句を詠んだのもそんな思いからだった。

 ところが人間とはだんだん図太くなるもので、この頃は聞き取りにくい話し方をする者には「え?」と言いながらオーバーアクションで耳を向けるようになった。

 勿論相手によってそのアクションを使い分けているわけで、無差別というわけではない。

 人の喋り(話)に注意するようになると、その音の強弱や分かり易い話し方に差違があることがわかる。

 

 全般に聞き取り易いのは、女性の軟らかい早過ぎない口調である。

 NHKのニュースなら、朝のただ元気で甲高い女子アナの声やお天気姉さんの声より、夕方や夜のニュースの落ち着いた声の方がよく内容が聞こえる。

 そうすると同じNHKでも時間帯によって、視聴者の年代などから想定して朝の若者・夕方の年配というように考慮しているのかも知れない。

 確かに朝からは空元気でも、仕事に出かける前の盛り上がりが必要なのだろう。

 テレビと云えば、以前から気になっているのだが、時代劇とくに大河ドラマや軍隊ものドラマは、どうしてああいつも大声で会話するのだろう?

 視聴率調査から、耳の聞こえが悪い年寄りの視聴者が多いという結果でも出たのだろうか。

 評定や作戦会議の場面では、いつも口角泡を飛ばして喧嘩腰の話し合いが定番である。

 アレじゃ冷静な話し合いは出来ないだろうに、戦国武士は皆アホやね~と小学生が思わないか心配になる。

 人は口から音を出して意思伝達をする方法を編み出した。

 最近は簡略語が多くなり本来の原語が分からなくなっているものも多い。

 特に経済学者が使う外国語らしきものは難解この上ない。

 日本語に訳すると意外と簡単で誰にでも分かることを判らせない技術を競っているかのよう。

 

 三本の矢が放たれた後、新しく三本の矢が放たれたが、命中したかどうか的を確認(検証)する間もなく、次々と言葉の矢が放たれているが、放たれっぱなしなので、修正射も出来ない。

 どうやら国民の耳に、大量のセミを仕掛ける新手のサイバー攻撃並みの作戦が遂行されているのではあるまいか。

 そうなると問題の解決は、耳鼻科だけでは対処しきれないことになる。

 取り敢えずは、「カワイイ」をキーワードに甲高い声も我慢するしかないか。

 
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (続)鳥の糞、猫のウンコの物語 | トップ | 間引き若菜の塩揉みは熱々ご... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日常あれこれ」カテゴリの最新記事