蘇鶚の『杜陽雑編』と云う本に、碁の上手な日本の王子が大中年間に来朝して、顧師言と云う碁の名人と対局した話を載せている。
大中年間と云えば、西暦八四七~八五九年であって、この間日本から正式の遣唐使は行っていない。
漢代の碁盤は十七道二八九路であったのが、唐代に十八道三二四路から現在の十九道三六一路に増やした。だから、大中年間の碁は現在のそれと全く同じのはずである。ただ中国の囲碁は、黒白交互に四子を四隅に置き、
これを四柱と称している。対局前に盤上に四つの石が置かれる点、日本とはちょっと違う。しかし、日本の碁でも、最初は四隅に石を打つことから始まるので、実質的には同じと言って良い。
さて、日本の王子は大そう強かったが、顧師言も唐のナンバー・ワンの面目にかけて、慎重に打ち、ようやくのことで勝った。
「顧先生は唐で何番目に強いのですか?」と日本の王子は聞いた。
「三番目です」と鴻臚卿は答えた。実は唐最高の名手なのだが、わざとそう言ったのだ。鴻臚卿は外国の使節を招待する責任者である。外国人には、風呂敷を広げる方が、外交上有効であると思っていたのかも知れない。日本の王子は、碁盤を仕舞いながら、溜息をついて、
「小国最高の棋士も、大国第三位の者に及ばぬのだなぁ・・・」と言った。
この物語は、小国を馬鹿にした様に見えるかも知れない。
しかし、大国の唐は、実はトップの棋士を以て、小国最高位の棋士と戦い、ようやく勝ったのである。第三位であると鴻臚卿が嘘をついたのも、接戦をしたので、ちょっとイイ恰好をし様としたのに違いない。
このエピソードは裏返して言えば、
ーーー小国ではあるが、日本も中々やるではないか。
と、褒めていると見て良い。