Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆絶世の美女・常盤御前は妖女だった!? 清盛に取り入り平家を滅ぼした常磐御前

2021-09-14 04:19:41 | Weblog

●時代も平伏した、その女の魅力
 常磐御前は、源平時代に於いて、最もスキャンダラスでミステリアスな女性だ。彼女は元々は雑仕女という下級の女官あった。これは、美女1000人の中から100人を選び、100人の中から更に10人に絞り、10人の中でも、最も美に秀でている者を選出する形で決められたという。当時、常磐御前は僅か13歳。こんな逸話からも、常磐御前が人並み外れた美貌を持っていたことが窺い知れるだろう。
●平家滅亡のきっかけを作った!?
 1153年、源義朝の妻になった常磐御前は、今若、乙若、牛若の3人の子を儲けるが、子供たちが幼いうちに源義朝は平治の乱で殺されてしまう。当時は強い男が好かれた時代。常磐御前もまた、勝者である平清盛に惹かれていった。そして、清盛と男女の関係を結び、子供たちも助命された。
やがて、彼女は清盛の元で廊御方と呼ばれる清盛の娘を産む。廊御方は右大臣・藤原兼雅の妻となり、清盛の庇護を受けて幸福な人生を歩んで行った。後に清盛と別れた常磐御前は、中級貴族・一条長成の妻となり、そこでも何人かの子供を儲けた。その後も彼女は豪族の男と関係を結び歩き、次々と子供を授かっては生んで行った。何人もの男を手玉に取った常磐御前。彼女の色香に惑わされた平清盛が、彼女の子である源義経を助けたことで平氏が滅びたと指摘する学者も少なくはない。
●非業の死か穏やかな余生か......?
 常磐御前と義朝との間に生まれた3人の男児は、3男の牛若(源義経)のみならず、いずれも鎌倉幕府成立の過程で命を落とした。母である常磐御前もまた、現在の岐阜県関ケ原町にて命を落としたと伝えられており、かの地には彼女の墓がある。とはいえ、彼女の消息を示す文献は残されておらず、群馬県前橋市や鹿児島県鹿児島市、埼玉県飯能市にも常磐御前の墓とされるものがある。ちなみに、一条長成との間に儲けた嫡子・能成は、義経と行動を共にしていた為、頼朝によって政界を追われている。それでも義経の死から19年、頼朝が没して9年後の1208年12月、能成は政界に復帰。従三位まで出世し、75歳で天寿を全うした。一説には、この能成の元で、常磐御前は余生を静かに暮らしたともされる。


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