Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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失われた秘儀で神格化 神聖な祭祀「封禅の儀」により神秘性を纏う

2018-05-15 04:06:03 | Weblog

◆泰山で行われた秘儀
 皇帝即位の2年後(紀元前219)に始皇帝は封禅と呼ばれる儀式を執り行った。
封禅とは、中国古代の祭祀の一つである。天命を受けて天下を治める皇帝が、中国随一の霊山と崇められて来た山東省の泰山に於いて天と地を祀り、国家の永続を祈念する儀式である。
春秋時代の覇者となった斉の桓公は封禅を行おうとしたが、宰相の管仲により戒められたと云う伝承が残っている。
つまり、封禅とは、天命を授かった王者のみが行える伝承の儀式だったのである。
始皇帝は多くの儒学者を集め、どの様に封禅の儀を執り行うべきかの意見を求めた。
しかし、名のみ伝わり、実際に行われたのを見た者は誰一人いなかったので、儒学者の意見は中々一致しなかった。
業を煮やした始皇帝は、南麓より泰山の山頂を目指し出発した。
そして山頂に壇を設えて天を祀り、石に始皇帝の徳を称えた文章を刻み付けた。
「泰山刻石」である。
それを終えると今度は北側に下山し、地を祀る儀式を挙行した。
祭祀の細かな形式に定説はなく、誰も分からなかったので、秦国の雍城で古来執り行われていた上帝の祭祀に倣って、祭祀の体裁を整えたと言う。
伝説の時代には72人の帝王がこの儀式を行ったと伝えられているが、伝承であった泰山封禅の儀を実際初めて行ったのが始皇帝だとされる。
その後、前漢の武帝など十数人がこの儀式を行ったことが伝えられている。

画像
  泰山の南門天の階段。
  旧角度の傾斜は70度~80度もある。
  当時は当然階段などなく、始皇帝はこの峻険を登って封禅を
  行なったのだ

      

                秦の始皇帝 最強研究
                     史上最も偉大で 最も嫌われた皇帝の真実!


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金人制作の為と言いつつ狙いは別のところ 地方の武力を削ぐ為に刀狩りを決行!

2018-05-15 03:58:23 | Weblog

◆封建制こそ反乱の芽!
 郡県制の施行により王朝の直接支配の対象となった各地方からは、12万戸に上る富豪が都・咸陽への強制移住を命じられた。また天下の武器も没収され、咸陽に集められた。全国の武装を解除する「刀狩り」である。全国から集められた武器は鋳潰され、鐘きょと、一体の重さが1000石(約31㌧)に上る12体の「金人」に鋳直され、宮廷に並べられた。『漢書』五行志によると、高さは5丈(約15㍍)、足のサイズは6尺(約183㎝)であり、みな夷狄の服を着ていたと言う。現存するものはなく、後漢末、董卓により破壊されたと言われている。
「鐘」とは編鐘、つまりセットになった釣り鐘で、それを並べて懸けるスタンドの支柱の部分を「きょ」と言う。であれば「鐘きょの金人」とは、青銅製で人間の形をした編鐘スタンドの支柱であろうと云う説が有力である。1978年に湖北省の曾候乙墓と云う紀元前5世紀の墓の中から、まさしく金人が鐘きょとなった壮麗なスタンドが編鐘と共に出土したことによって、この説は動かぬものとなった。始皇帝の、強制移住、城壁撤廃やこの刀狩りなどの措置は、旧6国の富豪たちを中心に形成されていた地方秩序、或いはその経済力、軍事力の徹底的な破壊を意図して行われたものに違いない。

画像
 秦代に使用された青銅製の矢箙。
 剣や戈など、全国から金属製の武器が集められ、
 金人に鋳直された。

 曾候乙の墓から出土した編鐘。

      

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