太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

再見

2016-02-28 18:06:48 | 日記
昔、地元のテレビ局で働いていたとき、局の近くに

「再見」という名前のラーメン屋があり、

そこは知る人ぞ知る有名店だった。

行ったことがある人々はその店のことを、

『美味しいが怖い、怖いが美味しい』と口々に言い、

どんなふうに美味しくて、怖いのかは、なぜか曖昧に言葉を濁すのだった。

なにをそんなにもったいぶっちゃってんの、と腹立たしい。


実際に行ってみるしかない。

だいたい、人の話なんてものは大げさになってゆくものだから、

言うほどのことでもないんだろうとタカをくくって、私は同僚たちと出かけた。




年季の入った、木の引き戸をガラガラとあけると、

照明を落とした店内が、舞台の装置のようにボウっと浮かび上がっていた。

L字型のカウンターだけが客席で、10人も座れば満席だ。

すでに会社帰り風の男性が4人ほど座っていた。

カウンターの中では、60代とおぼしきご主人が、しかめ面をし、黙って麺を茹でている。

奥さんは、着物に割烹着をつけていて、黙って何か作業をしている。

店に入った瞬間から、ここの空気がキーンと音がするほど張り詰めていたのは、

この二人が放つ、人を萎縮させるような威圧的なオーラであった。


私は座る前に、もう帰りたくなっていた。

連れの同僚も同じだったと思うが、黙って帰ることすら許されないような何かがあった。

仕方がないので、あいた席に座り、壁のメニューを眺めた。

確か、ラーメンが主体で、チャーハンとかいったものはなかったような気がする。


いつ、どのタイミングで注文すればいいのかがわからない。

「いらっしゃい」でもなければ、水も出ない。

私たちがここにいることを、知っているのかどうかも疑わしい。

へたに声をかけるのもためらわれるような、重苦しい雰囲気の中で、

私たちはひたすら、おかみさんが気づいてくれるのを待った。

もちろん、私語禁止。

そう書いてあるわけではないが、そんな気にさせる。



どのぐらい時間がたったか、作業をしていた手を止めないまま

おかみさんが私たちを一瞥して、

「まだ考えてるの」

と言った。

そのとたん、私たちは尻尾を踏まれた動物のように飛び上がり、

「しょうゆらーめんください」「味噌らーめんください」「味噌もうひとつください」

と早口に口走った。

おかみさんは、わかったでもなんでもなく、私たちのオーダーは受け入れられたかどうか

不安を残したまま、再び重い沈黙の中に沈んだ。



無事にラーメンが出てきて、もそもそと食べ始めたとき、

先に来ていた会社員風の男性が、

「おばちゃん、ビール」と言った。

すると、おかみさんがすかさず言った。



「ビールが、なに!」



鳩が豆鉄砲をくらったような、という表現があるけれど、

あのときの会社員風の男性の顔こそが、それであったろう。

「く、、ください・・」

消え入るような声で言う男性に、おかみさんがたたみかける。

「聞こえないよ」

「び、  ビールをください!」



(ひえぇ~~~っ!!)


私たちは、噛むのもそこそこに、必死で残りのラーメンをすすった。

すぐにでも帰りたかったが、残したら何を言われるかわかったものではない。

そこに、


ダンッ

という音がして、見ればそれはご主人が包丁をまな板に置いた音だった。

それが競走のスターターがわりになって、私たちはさらにスピードをあげて

ラーメンを食べ続けた。

むりくりスープまで飲むと、お金を払い、小さくなってビールを飲んでいる男性の後ろを

カニ歩きの小走りで抜け、先を争うようにして外に出た。



駐車場にある車のところまで、みんな無言で歩いた。

車が走り出して、誰かが

「なんか・・・お仕置き部屋みたいだったね」

と言った。


行った人々がみんな曖昧に言葉を濁すのは、もったいぶっているわけではなくて、

単に覚えていないからなのだ、ということがわかった。

店を出てすぐなのに、どんなメニューがあり、どんな味だったか、まったく記憶にない。

あまりに有名なので、取材の申し込みも多いらしいけれど、

取材拒否されるという。アポなしで行ったりしたら、殺されるかもしんない・・・


不思議なのは、その店に何度も行く人がいるということだ。

マゾ的な趣味の人達なんだろうか。




それから10年ぐらいして、『再見』は店をたたんでしまった。

店の前を通るたび、妙な懐かしさで眺めていたけれど、

なくなってしまったら、それはそれで寂しいような気もする。








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