SWEET SWEET BAGSでございます

湖川友謙や川元利浩、梅津泰臣、荒木伸吾などが描いた素晴らしい画について語り合いましょう(ウソ)。でも好きなのはホント。

伏線回収作業開始

2023-01-10 13:35:00 | 特撮
 いよいよ井上大先生による終盤ストーリーがはじまった感じですね。
 それにしてもドンブラザーズがSFではなくホームドラマだとわかっていても、さらりとドッペルゲンガーを放置しながら進行する第43話は奥歯にモノが詰まった感じでした。
 そこをこらえながら最後まで観ると「私のマンガの中に」とか「ウチにはなんでもある。だから無いものもある」とか「おまえのするべきことは獣人のナツミを倒すこと。本物のナツミを取り戻すために」みたいな香ばしいセリフに想像力がマシマシになるのでした。
 挿入歌「アバターパーティー」がリリースされたことでハッピーエンドとなることはほぼ間違い無さそうですが、その前に闇落ち的エピソードが挟み込まれそうです。第44話はその終わりのはじまりのような話になりそうで、犬塚 翼を独占するためにウソを吹き込んだソノニは、その間違えたアプローチによって瀕死の重症を負うのでしょう。雉野ももう一度獣人のミホに裏切られるでしょうし、まだまだ山あり谷ありで楽しませてくれそうです。

このまま終わりそうな「ドンブラザーズ」の軽めの予想

2022-12-20 15:53:44 | ドンブラザーズ

 戦隊番組の予定調和的に年末と言えば物語の終盤でありラスボスが登場したり伏線が回収されはじめたりする時期だ

 ここにきてあらためて思う。ドンブラザーズは定石通りに進まない。シリアス風の展開もミステリー風のエピソードも1話で完結する。翌週には余韻も無く物語が続く。そこが良い。
 
 ドン・モモタロウは「祭りだ! 祭りだ!」と登場する。祭りは日常におけるハレの日で、多くの人を巻き込んで盛り上がる催しだが、まさにこの番組が〝祭り〟そのものではないかと考えている。余韻を残さず日常に戻っていくところも祭りっぽい。もちろん視聴者にとっては余韻どころかトラウマさえ残しながら進行しているが、その駆動力がキレのあるコメディーには不可欠だと再認識させられる。
 そもそも「アバター」なのだから桃井タロウをはじめとした各キャラクターの存在は現実のものではないというオチも考えられる。椎名ナオキ問題などはその最もたる部分だ。椎名ナオキこそが現実に存在する漫画家で、鬼頭はるかは彼のアバターである、といった結末を予想している。第1話は鬼頭はるかのモノローグからはじまるが「ドンブラザーズ 」は彼による1年をかけた壮大な妄想、いやアイディア作りだった、的な。
 
 話を戻すと、連続性のある話もいくつかある。ひとつは犬塚 翼とナツミ、そしてソノニの三角関係というヤツだ。これはいよいよソノニの独占欲が開花したという段階まで進んでいる。雉野ツヨシはミホを軟禁するところまで病巣を深めた。この先に考えられる展開は、紆余曲折あるものの翼はナツミと再開するハッピーエンド。そして獣人のナツミはナツミとしての自我を発露させ、雉野との結婚生活を継続させるものの定期的に獣人としての本能を出現させてアノーニを捕食する。
 
 やはりコメディーとはいえ戦隊モノとしてしっかり着地させることは井上大先生なりにするのではないか。もちろん余韻も無くブッツリと終劇するかもしれないが。
 前回書いたことに対してブレまくりで少し困っている。

子どもを意識しない子ども向け番組

2022-12-07 13:14:00 | 特撮

 以前、井上敏樹がインタビューの中で戦隊番組の脚本を書くとき子供を意識したことはないと言っていた。

 「ドンブラザーズ」はいわゆるマニア的なファンが共有する〝特撮的年間スケジュール〟を無視したシリーズ構成になっていて、そこが多くのレビュアー達を混乱させているのだと思う。例えば正義(正規)メンバーは物語序盤でチームワークを完成させたり、物語の世界観は第2話くらいまでにわかるようになっていたり、各メンバーに絞ったエピソードは1話で完結するといったセオリーが井上敏樹によって不履行となっていて、いわゆる「型」に沿って物語を理解したい人々にとっては難解な番組になっているのだと思う。
 1970年代に若者文化の中でSFが人気の時代があり、星 新一、小松左京、筒井康隆といった人気作家がハチャハチャSFというジャンルの快作を生み出していた。考えうる限りのバカ話やダジャレ、楽屋落ちなどを詰め込み、余韻もなく終わっていくことで笑いを呼び「そんなのメチャクチャだ」と言いたののにハァハァ笑いながら言うものだから「メ」や「ク」が発音できず「ハチャハチャ」と言ったというのが語源らしい。ドンブラザーズはこの系譜とまでは言わないが、井上が当時の読書体験からヒモ付けて発想した可能性はあると思う。
 雉野ツヨシがミホの失踪によって心のバランスを崩したり、戻ってきたミホに関する件や犬塚 翼が眠りの森から帰還できた理由などに関する説明も物語の中では明らかになっていない。それどころか犬塚がイヌブラザーであることは最後まで(もしくは最終エピソードまで)仲間は知らないだろう。残り約10話となってこの状態であるならば。そして脳人と獣人の攻防の行方や、ペンギンの獣人がジロウであるといった重大ニュースもサラッと流される可能性もある。さらに終盤に向けた重要キャラと思われたソノシがアッサリ退場したことや、物語のカギを握っていると思われた桃井 陣が思い出したようにしか登場しない上に登場したと思ったらコメディーリリーフのような扱いだったりと、まさにソレこそがハチャハチャSF的なエッセンスに感じる
 「第39話 棚からボタンぽち」に用いられた「キラーキラーキラー」的な無限ループは先述の作品群のオチに多用されており、SF好きなオジサンにとっては郷愁を感じざるを得ない。
 そもそも人が欲望を暴走させると鬼になるという描写は現実そのものであり、カリカチュアされているから気づきにくいが世の中に蔓延する不幸な事件や事故を想起させる。スマホやSNSによって凄惨で陰湿な事件も多くの人が目にできるようになった。また庶民にとっては先進国なのに30年以上所得が上がらない現実も受け入れなければならない。それだけリアルな日常には気分を落ち込ませるモノがあふれている。だから鬼は反面教師と思えばいいのではないか。まるで「細かいことを気にせずおおらかに生きていけば道は拓ける」と言いたいようにも感じる。
 残りの話数が少ないこともあり物語の終わりを予想したいが、この作品を深く考察すると足元すくわれる危険がある。あえて書くなら井上独自のひねくれた人生賛歌的にまとめられるのではないか。

ドンブラザーズ34話までの覚書き

2022-10-25 11:59:29 | 特撮
 我々視聴者はドンブラザーズを日曜日朝の子供向け戦隊ドラマという枠組みで観ているので、最近の展開は「激動の」とか「衝撃の」などの表現で各レビューで語られているが、ちょっと過度な反応だと思う。
 ひとりの女性をめぐって友人同士が衝突するドラマはラブコメや昼メロの定番だし、ライバルが対決して負けても何らかの過程を経て復活する件はスポ根にはよくある話。そもそもシーズン中盤に登場する強敵と闘い一度は負けるものの、新必殺技をもって打ち倒すのはスポ根脚本からヒントを得たヒーロードラマの定石にもなっている。
 しかしこのドラマを戦隊ヒーローの枠組みでやる面白さは見せられるまでわからなかった。毎週非常に楽しい。そしてその感想やレビューを読んだり聴いたりするのも興味深い。とくに恋愛の描写に関してはジェネレーションギャップを感じることが多い。
 例えば雉野ツヨシがミホに告白する件。これは(たぶん)45歳以上と以下では違う反応を示すように思う。主に〝以下〟が書いたものが多いレビューを観ると(読むと)ありえないとか「引く」と評しているが、私のような〝以上〟の者にとって雉野の行った〝押しの一手〟は定石と感じる。
 じつは今年のドンブラザーズという作品自体が壮大なメタフィクションであり、勧善懲悪たる定番を崩して楽しませる実験に突入しているのではないか、と思わせることが度々ある。
 最新話で雉野が「ミホちゃんはボクのすべてなんだ!」と叫ぶシーンを観て思い出したのは映画エンド・オブ・エヴァンゲリオンだ。庵野秀明が観客席を撮った場面を挿入し、いわゆる〝信者〟を挑発したことがあった。個人的に好きな試みだ。考えてみよう。ミホは実在しない夏美のコピーだ。そう、まるで実在しないアニメキャラクターに心酔して時間とお金を浪費するだけでなく依存心まで巨大化させてしまったアニメおたくという見方もできるのではないか。雉野は。
 そう考えると脳人や獣人が何のメタファーなのか、今後の展開で明らかになるかもしれない。考えすぎかもしれないが。
 やっぱり毎週見逃せない。

DBここまでの整理

2022-10-16 18:04:11 | 特撮

 10月16日の時点で33話が公開された「ドンブラザーズ」。

 ここまでの展開を振り返り整理しておきたい。この〝最新ゴレンジャー〟はカーレンジャーやジェットマンと同じ種類のコメディーシリーズと目されていたが、予想を上回る〝コメディー風の何か〟だ。作り手の本気度(暴走度)が高く、おもしろい。

 最初は脚本家の井上敏樹が戦隊ヒーローにおけるコメディーの新機軸を模索しているのかと思った。もちろんその要素が強いのだが、公式のオーディオコメンタリーなどを観てみるとどうやら各話の担当監督や若い演者にも引っ張られて現在の形になっているらしい。とくに志田こはくのコメディエンヌぶりは演技経験が短いことを考えると驚異的だ。

 同シリーズのコメディー路線のものとドンブラザーズの違いは数多いが、中でも特異なのが主に鬼頭はるかが発するメタフィクション目線のセリフだろう。作品の構えとして「これコメディーですよ」というのを隠そうとしていない。

 戦隊ヒーローにつきものだった「名乗り」を廃していることや、わかりやすい敵の存在を描いていないことなどからもわかるが、明らかに過去作品とは違った新しさを標榜している。ピンクの戦士を男性が演じるのも現代的なテーマ性を盛り込んだ結果だろうし、6人目の追加戦士が2体に分離して違った人格を持っているのも、普段とSNSで発信するときの人格が異なるという現代にありがちな現象を反映させているように見える。

 さらに本作が特殊なのはこの世界を構成する設定が明らかになってきたのが中盤を過ぎてからという遅さだ。主人公たちがナゼ変身できる力を身につけたのか、脳人や獣人とは何なのか、本当の敵は人間の持つ過剰な欲望の権化ということでいいのか、など普通なら遅くとも5、6話くらいまでに明らかになることが謎のまま話が進んでいる。なにしろヒーロー5人(6人)の中のひとりに関しては変身後の姿でしか面識がなく、人間のときは何処の誰なのか全員がわかっていない。これはひょっとしたら終盤まで、もしくは終劇しても明かされないネタなのかもしれない。もちろんシリーズ初の試みになるだろう。

 中盤で明らかになった事実の中に「獣人は人間をコピーする」というのがある。これはアバター(仮想現実での分身、化身)の発想を用いた設定と思われ、いかにもSNSによるコミュニケーションが一般化した現代の物語という趣だ。

 ここで整理する意味で登場人物の位置関係を考えておく。最近の話でわかってきたことを総合して予想すると、雉野ツヨシの奥さん雉野ミホは鶴の獣人であり、そのオリジナルは犬塚 翼の彼女・夏美だ。さらに推理すれば脳人ソノイは主人公ドン・モモタロウのアバターであり、ウサギの着ぐるみを着たマンガ家・椎名ナオキは鬼頭はるかのコピーという気がする。とくに鬼頭はるかの件は「なりたい自分が最大のライバル」という古典的なテンプレだ。ここで終盤に向けて重要になるかもしれないポイントが〝各アバターがコピーでありながら自律してそれぞれの人生を生きている〟ということだ。

 少しずつ設定公開されている流れを考えると、中盤を過ぎて広げた風呂敷をたたむ態勢になってきたのかもしれない。ライムスター宇多丸もアフター5ジャンクションで言っていたが、1話たりとも見逃せない。