ソーシャルワークの TOMORROW LAND ・・・白澤政和のブログ

ソーシャルワーカーや社会福祉士の今後を、期待をもって綴っていきます。夢のあるソーシャルワークの未来を考えましょう。

震災で何かできるか(2)

2009年01月24日 | 社会福祉士
 阪神淡路大震災での自責の念があり、その後の2004年10月23日(土)17時56分に起こった中越大震災では、在宅介護支援センターやケアマネジャーがどのような働きができたかが、大きな関心事であった。そのため、震災後半年ほどしての、五月の連休期間を中心に、大学院生や卒業生を5名ほど連れて、長岡市、小千谷市、川口町、南魚沼町でヒヤリング調査を行い、その後、ケアマネジャーと在宅介護支援センターを対象に郵送調査を実施した。

 阪神淡路大震災と中越大震災の重要な違いの一つは、介護保険制度のケアマネジャーがいたかどうかであった。ケアマネジャーという制度ができていたことで、多くの成果を上げることができた。印象に残っていることを3点列挙したい。

 ①地震は土曜日の夕方に起こったが、翌日の日曜日の内に、ケアマネジャーは、担当者の所在をほとんど理解できていた。その理由は、家族、民生委員、ヘルパー等から連絡が入り、家庭訪問しなくとも明らかになっていた。→ 介護保険のケアマネジャーによって個々人のネットワークが確立できていることが証明された。

 ②ケアマネジャーは、当日の夜から利用者の確認に取り組んでいた。あるケアマネジャーは自宅が半壊しながら、翌日から仕事を始めていた。→ 震災により利用者の状況が変化したことで、モニタリングを実施し、ケアプランを変更することが定着していることを証明することができた。

 ③ある人工呼吸器をつけていた利用者の命を救うことができた。ケアマネジャーはライフラインが崩れて、当日自宅訪問ができなかったが、サービス担当者会議に消防署や民生委員や近隣にも参加してもらい、電気が切れれば、民生委員や近隣が手伝い、消防署がA病院に搬送してくれるように依頼してあったことが効を奏した。具体的には、民生委員や近隣の協力で、消防署の救急車で病院に搬送され、命が救われた。→ これも個々人のネットワークができていた証拠である。

 これらの事実は、介護保険で作ったケアマネジャーの制度が、極めて有効な機能を果たしたことを示している。ケアマネジャーは介護保険を動かしていく人ではなく、日々の生活を支えていく人であることを実証できたと思っている。

 ケアマネジャーは介護だけではなく、生活を支えてくれる専門職になっていることに喜びを感じた。しかしながら、現実のケアマネジャーは介護保険制度の枠内に食い込まれているために、入院や施設入所で、利用者数が減り、収入が減っていくという矛盾のものでいることに、その当時憤りを強く感じていた。

 ヒヤリングや調査に応じて下さいましたケアマネジャーの皆さんに感謝申し上げます。また大学院生を含めて、私も大いに勉強させていただきました。

 そうした内容を論文等に書いているので、提示しておきたい。

①「災害時に求められるケアマネジャーの役割」白澤政和、『介護支援専門員』7巻6号、pp.17~21、2005年
②「新潟県中越大震災における要支援・介護高齢者に対する危機管理の実態と課題」岡田直人、白澤政和他、『老年社会科学』Vol.28、pp.58~59、2006年
③「新潟県中越大震災におけるケアマネジャーの活動に関する調査研究報告書」白澤政和他、大阪市立大学都市問題研究会、2005年