世界一周船の旅

世界一周船の旅 旅日記 

世界一周船の旅  雑記

2008年11月25日 | Weblog

                世界一周110日間の費用明細
                                             (2007.9.23~2008.1.10)  私の場合

                                                                                        単位 円
                        
          

 

 相部屋は安く済むが人間関係が難しい(長い旅なので色々問題が出てくる)、若い人はあまり問題はなかったようだが、中高年は色々あった。神経質な人、気配りの出来ない人、協調性のない人にはお勧めできない。


                   寄港地オプショナルツアー明細


                

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


オプションは様々あり、どれを選ぶかにより、旅行費用は大分違ってくる。
旅慣れた人は個人行動をしていた(安上がり)。

                      携行品リスト(衣類)

★着物・・・浴衣1、単もの1、袷1 帯他付属品一式 ★ワンピース・・・半袖1 ★ブラウス・・・半袖5、長袖5 ★ブルゾン・・・秋物1、夏物1、冬物1 ★ツーピース・・・フォーマル用長袖1 ★パンツ・・・5  ★トレーニングウエア・・・1 ★セーター・・・夏物1、冬物1 ★トレーナー・・・2 ★ダウンジャケット・・・帰国時用1 ★パジャマ・・・4 ★下着・・・10★靴下・・・6 ★水着・・・2 ★帽子・・・2 ★靴・・・2 ★サンダル・・・1
 
              携行品リスト(その他)

★パスポート・・・1、コピー1 ★現金・・・2,000USドル、1,000ユーロ ★クレジットカード・・・2 ★デジカメ・・・1 ★パソコン・・・1 ★ipod・・・1 電子辞書・・・1 ★テルモス・・・1 ★洗面道具一式、化粧品一式 ★常備薬 ★サングラス・・・1★折りたたみ傘、雨具 ★洗剤、ハンガー、物干し、洗面器 ★携帯用ウオッシュレット・・・1(船でも海外でもウオッシュレットの所はない)★本・・・3冊★大きいスーツケース1。キャリーバッグ1。ショルダーバッグ1。リュック小1。荷物はダンボール3個になった。

ローマを除き暖かい方面だったので夏から秋物中心に持って行った。本は読む時間が殆どなかった (他にやることが多くて)船内に図書館あり。
ipod、電子辞書、携帯用ウオッシュレットは持って行って非常に良かった。どんなデラックスホテルでもウオッシュレットのトイレはなかった。日本のトイレは世界一と思う。

 1人部屋で他の人に気兼ねが要らないので、荷物は迷ったら持っていくことにした。
 


 


旅日記 クルージング(パプアニューギニア~横浜 1/3-1/10)

2008年11月12日 | Weblog

1月3日(木)

 
最後の寄港も終え、船は一路横浜へ。船は時速30キロ、一日に720キロ北上し横浜に向かっている。

 メールを確認に行ったら年賀のメールが来ていたのでとても嬉しかった。
久し振りの晴天にデッキに出てボーっと1時間位海を見る、寝転んで空を見る。
随分と色々な海、空を見たが飽くことはない。残すところ1週間、帰国後の生活を嫌でも考えなければならない。
でももう少し考えるのを止めておこう今は船での生活を楽しもう。

 昨日のラバウルはとても良い印象を持ったが、個人行動をした人が4人組の強盗に襲われカメラを盗られたという。何処にも悪い人は居るものでローマではパスポートを摺られたり、キューバでは貴重品が入っていたウエストポーチを盗られたり、幸い私は何もなかったが・・・。

1月4日(金)

 夜、「チャリティ女装雅ショー」があり、寄付はドルのみということなのでドル紙幣を持って観に行く。普段見知った男の子たちがとても綺麗な女性になって出てきてびっくり!中2の子は14歳、1人乗船では最年少で、大人と話すのは楽しいと言っていた。
 その後午後8時から又1時間半くらい星空を見る。360度の星空だ。おバカな話「あっ天の川が濃くなった」「それは雲だよ」「夜でも雲は出るんですか」「・・・」
 
   
                                                                          14歳(中2)       右、元外交官


1月5日(土)

 「59回ピースボート学んだすべて~世界、韓国そして私たち~」を聴きに行く。

韓国の学生5人もこの旅を共にしたが、加害者と被害者、差別と暴力の悲しい歴史を踏まえてこれからの日韓の在り方を熱心に話してくれた。
 
 CCシリーズ留学体験記「山あり谷あり金はなし」波乱万丈の女性2人のアメリカ生活、親の反対を押し切り高校から留学し大学院卒。1人はテキサス州でビジネスを専攻、もう1人はインディアナ州でヒスパニック学を専攻し就職もしたがリセットの為乗船する。長い旅をして来たが又アメリカの大学院に戻るつもりという。
日本の男性は細い牛蒡みたいと評す。長くアメリカで生活しているとそう思うかも。。。

 


1月6日(日)

 朝、5時に起きデッキに星を見に行く。よく晴れていて南十字星がとても綺麗に見えた。これで見納めかと思い1時間位見る。早い時間なのにデッキには50人位はいたろうか。今度南十字星を見られるのは何時だろうか?

 暑い日も、雨の日も、風の強い日も、朝早くから夜遅くまで頑張り、船で出会った仲間と作り上げた自主企画の「収穫祭」と銘うった発表会がある。総勢約700名参加。

              会場 《ブロードウエイ》

                 第1部

1.ラジオ体操  2.般若心教  3.ヨガ健康体操  4.手旗教室  5.NOSS(日本おどりスポーツサイエンス)  6.詩吟を始めてみませんか  7.踊ろうソーラン節  8.琉球エイサー  9.ウクレレ大好きになりました  10.♪沖縄三線ひろば♪  11.歌好き集まれ  12.外気功  13.真向法  14.口笛、草笛、指笛  15.アカペラチームM  16.楽しいハーモニー  17.みんなで歌う楽しい歌声ボート  18.スペイン語と日本語で歌おう

                  第2部

1.太鼓塾  2.ストリートダンス  3.みんなDEパラパラ  4.LetsゴリエダンスFinal  5.セビリャーナスを踊ろう!  6.南京玉すだれ  7.「大地讃頌」を歌いましょう  8.沖縄の音楽やりませんか  9.ゴスペルやろうよ♪F  10.Word  Wide Mujic!  11.花鳥風月

《ウインジャーマール》 社交ダンス 《フリースペース》 絵、写真、絵手紙等の作品
《シアター》 劇団M発表会 

 何と盛り沢山な!みなボランティアで指導してくれたのだ。色々特技を持っている人がいるので感心してしまう。私はヨガ、大地讃頌、スペイン語と日本語で歌おうに出演。ヨガは先生からタイのお坊さんのような衣装を貸して貰い出場、良い記念になる。今日は1日収穫祭で走り回る。

                                   
                                   
                                                                                   
                                            
1月7日(月)

 朝寝坊をし6時から始まるヨガに7時に行く。終ってから先生にマッサージをして貰い天国!人柄がとても良い先生なのでもう少しで別れると思うと残念。

 北海道の元医師の方が主催する「世界ほらふき大会」を見に行く。
“大ぼら吹いて商品ゲット”というキャッチフレーズで1位になった人には300ドルと北の大地にご招待。出場者は6人、全員男性で1位になったのは遺灰をカプセルに入れ宇宙に打ち上げるというものだった。どれも奇抜な発想で笑わせてもらう。
表彰式は主催者が紋付羽織袴姿で本格的だった。

 次回はネパールで開催するといい船の仲間も何人か行くと言っていた。

 “出港曲を歌おう”いつも出港のときに流れる「花鳥風月」の稽古で午前は終わり、午後は「差別と偏見~ハンセン病~」を聴く。以前ハンセン病の資料館に行った事を思い出す。偏見の為病気は完治しても故郷には帰れない、外国には行ったが近い故郷は遠いと。死んでも殆どの人は園内の墓地に葬られるのだ。

 夜、コーラスの反省会がある。今迄アルコールは全然飲まなかったが最後に一度位と思い気分が良いので大いに飲み喋る。友達が心配し部屋まで送ってくれる。楽しい反省会だった。

      “故郷は帰れる所にあるまじとうハンセン病の癒えたる人の”

 
   


1月8日(火)

 明後日に迫った横浜下船の説明会。終日荷造りに追われる。
夜は「フェアウェルナイト」で船長主催のパーテイがある。

 乗員紹介、ピースボートスタッフの太鼓の演奏、ダンス(情熱的なタンゴ)、BLUE WAVE の演奏がある。その後レストランにてフェアウェルディナーがあり、スタッフが照明を落としキャンドルを持ち歌ってくれる、泣いている人もいた。

 キャンドルの揺らめきの中に色々な想い出が蘇ってくる。もうすぐ彼らとも別れなければならないかと思うと込み上げてくるものがあった。
フィリピンのカルメン姉妹、デザートを余分に持って来てくれたインドネシアのブギ、ブルガリアのティナ母子等忘れがたい。「マダーム」と語尾を上げて呼ばれる事ももうないのだ。
   
           フェアウェルディナー メニュー

 ★前菜・・・・・・・タスマニア産オイスターのサバイヨンソースと2種のカナッペ  
 ★スープ・・・・・・パールタピオカ クリアコンソメ
 ★メインコース・・・牛フィレのメダイヨンとフォアグラのソテー レーズンソース
 ★パン
 ★デザート・・・・・ベイクドアラスカ  コーヒー、紅茶、日本茶
 ★ワイン・・・・・・トパーズハウスワイン

  

                  

      “キャンドルの煌きの中想い出づ二十の国の数多なる人”

1月9日(水)

 船での最後の一日。一日中、会う人会う人と挨拶、ハグ。殆どの人とは二度と会うことはない。そう思うと大して親しくしていなかった人とも別れるのは寂しい。

 船内をもう一度見ておこうと一巡りする。50年の歳月を感じさせる緑青のふいた金具、レトロなドアーどれもこれも懐かしい。窓のないモグラ部屋?に寝るのも今日限り、明日は早い人で9時頃より下船となる。

 夜、寒い中見納めと思い星を見に行く。訪れた二十の国のあの人もあの人もみんな同じこの空を見ているのだ・・・元気で幸せにと祈る。日本はさぞかし寒い事だろう。

     “この空は連なりており訪い来たる二十の国の空と人々”

1月10日(木)

 午前6時30分横浜入港。薄明かりの中デッキに出て入港を見守る。久し振りに見る横浜港は何処の港より美しい。長い旅を終えた充足感が満ちてくる、何と濃密な時間を過ごした事か。

 8時30分下船開始、7階より始まり5階の私は11時30分だった。
1,000余名も降りるので遅い組は午後2時頃になるという。荷物検査もなくスムースに下船。迎えの車で真っ先に築地に行き、お寿司の昼食。方々の国で食べたが、やはり日本のお寿司は美味しい、夕食は蕎麦。船中でも日本食は出たのでそれ程恋しいという事はない。

 110日目に見た日本は街が綺麗、人々が整然と行動する、顔に表情がない・・・と感じた。
 
船の旅は体に優しいと聞いていたが疲れは全然感じない。ただ宴の後の空しさが襲う。何時か今度は北周りの船の旅がしたいと思う。

 巷間ではピースボートの旅は思想を強制されるとか言う人もいるようであるが、そんな事はなかった。私は右でも左でもない。古い船であったが故障もなく航海は順調であった。

 船出する前に、110日間元気で過ごせるか、船内で生活出来るか、窓のない狭い部屋で過ごせるか、友達は出来るか等等・・・しかし日が経つにつれ不安は解消されていった。合宿のような船内生活(群れずにマイペースでも過ごせる)一つのものを皆で作り上げていく喜びそこで生まれた友情。今は出会った人達全てに有難うと言いたい。

        
          “虚と実の自分演じつつ110日の地球一周の船旅おえる”

              ”船の旅コーラス、茶道、ハイキング夫亡き後を埋めるものなし”

                       

                       横浜入港                

                                       

                   
       

     


旅日記 ラバウル(パプアニューギニア)

2008年11月05日 | Weblog

1月2日(水)

 
最後の寄港地パプアニューギニアの『ラバウル』に入港、午前9時。
オーストラリアの北にあるパプアニューギニア独立国は、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島々からなる国。イギリス連邦加盟国。
人と自然が共に生きる「地球最後の楽園」ともいわれる。又ラバウルとは湿地という意味があるという、とても蒸し暑かった。パプアは縮れ毛。

 「旧日本軍戦跡をめぐる」に参加。

★南太平洋戦没者の碑.旧日本軍記念碑・・・第2次世界大戦の南太平洋での犠牲者を弔う為1980年に建立。記念碑の天井には南太平洋の周辺の地図が描かれ、ラバウルのところに穴が開いていて太陽の光が入るようになっている。南方日本軍の最前線基地で約16万以上の日本兵が戦死したという。花、線香を手向け般若心経を唱える。合掌。

★ココポ戦争博物館・・・博物館とは名ばかりの建物だった。敷地内には赤さびた高射砲、戦車、魚雷、戦闘機など置かれていた。バナナ、マンゴーが実り自然豊かなこの島で60余年前戦争があったこと等想像できず。

★レストランにて昼食・・・タロイモ、バナナ、サツマイモ、野菜などの食事。シンシン(民族舞踊の総称)ダンスの鑑賞。

★バージトンネル・・・高さ5m位のトンネル。大型発動機船が5艘、縦に並べられている。空襲などにより、破壊されるのを防ぐ為隠した。

★97式陸上爆撃機の残骸見学

★山本五十六海軍司令部地下壕跡見学(ヤマモトバンカー)・・・南東方面の作戦地図が壁に描かれた部屋が残っている。

★ラバウル市場・・・ビンロウを売っていたので試しに少しだけ噛み、スティックで石灰(サンゴの粉)をつけ口に入れると真っ赤になる。沢山かんだ人はくらくらして懲りたそうだ。覚醒作用があるようだ。

 住人はみな親しみやく我々に笑顔で手をふり、写真を撮ってくれと寄ってきた。日本では聴く事のない軍歌、隣組の歌、童謡などを子供も大人も歌ってくれ懐かしかった。かってこの地に駐留していた日本兵が教えそれが子から孫へと歌い継がれたのだろう。帰船16時。

   “ラバウルの地に降り立てば子供らが軍歌唄いて近寄りて来ぬ”

   “戦没の兵に捧げるお経をばピースボートの友と唱うる”

   “戦跡を巡れる旅のラバウルに幼に習う日本の軍歌”

 残すところ後8日になったのに、ここで下船者2名。
1人は父親が1日に死亡、もう1人は高血圧の為という、交通の便が悪く日本には3日くらいかかるというから大変。
今までに船酔いで2名、くも膜下出血でヘリ収容1名、死亡1名付き添い1名の計7名?下船か。最後まで共に過ごしたかったが致し方なし。

 59回クルーズ最後の出港式が21時頃より行われる。最後なので参加。デッキには乾杯のシャンパンが用意され、“花鳥風月”の音楽が流れ汽笛が鳴り、岸壁には現地の人が大勢別れを惜しんで来てくれる。これが最後の寄港地かと思うと感慨深いものがあった。

  
   

                                                                  南太平洋の島々

                                               
“南太平洋の諸島及び海域で戦没した人々をしのび平和への思いをこめてこの碑を建立する”