むらくも

四国の山歩き

船上山・勝田ヶ山・甲ヶ山…鳥取県

2011-09-13 | 四国外の山
船上山・勝田ヶ山・甲ヶ山       せんじょうさん、かつたがせん、かぶとがせん



登山日                2011年9月10日
標高                 615.6m、1149.1m、1338m
登山口                琴浦町東坂登山口
駐車場                登山口直ぐ傍に有り
トイレ                なし(下の登山口の県立船上山少年自然の家にあり)
水場                 なし




突然に昨年行ったゴジラの背に再び登ってみたくなりました。

その火を吹くゴジラは甲ヶ山のすぐ北尾根にあり、大山(大山とは一般的に主峰の剣ヶ峰~三鈷峰と外輪山の烏ヶ山・野田ヶ山・矢筈ヶ山・甲ヶ山・勝田ヶ山・船上山を総称しての名称ですが、岡山県側にある擬宝珠山・蒜山・皆ヶ山なども含めて表すことも多い)の一角で、特に烏ヶ山や矢筈ヶ山~甲ヶ山~船上山の山々は溶岩台地や古期大山の火砕岩からなる急峻な山々です。

地質は、両輝石石英安山岩を主とする溶岩・凝灰角礫岩からなる古い地質で構成されている。

大山の歴史は…

「おおよそ180万年前から50万年前にかけて噴火形成された成層火山である古期大山のカルデラ上に、5万年~1万年前にかけて成長した巨大な溶岩ドームである新期大山から成る。
裾野は広大で日本海に達している。新期大山は過去数回にわたり破滅的な大噴火を起こしている。

中でも5万年前に起きた噴火は大規模なプリニー式噴火で、大量の火山灰や軽石、火砕流を噴出した。
2万年前の噴火では弥山、三鈷峰、烏ヶ山の3つの溶岩ドームが形成され、再び大量の火砕流が噴出した。

最後の噴火は約1万年前で、有史以後の噴火記録は残されていないが、火山の一生は非常に長く、1万年程度の休止で完全に活動停止したと考えるのは妥当ではない。」

以上のようにwikipediaには記述されている。

以前に訪れたときは11月でコースは甲川から登り、ゴジラの背-甲ヶ山-小矢筈ヶ山-矢筈ヶ山-中国自然歩道-甲川へと降りた。
今回はまだ歩いていない勝田ヶ山と船上山に是非とも訪れてみたい。
特に船上山は歴史の地で、鎌倉幕府滅亡に関わった後醍醐天皇縁の山。



というわけで、3時半起床。
わんちゃん散歩のときの早朝の空は一面の星空、何年かぶりで見ることの出来た天の川、キラキラ輝いていました。

瀬戸大橋を渡り、やがて岡山自動車道へ、この区間では霧がよく発生するところで、高速道には立ちこめてなかったが、山間の盆地では低い雲が棚引き、集落を覆い尽くしていた。
稲の実る田圃は岡山道ではまだ青々としており、中国道辺りから米子道に掛けて徐々に黄金色に変化していく様は少し不思議な感じがした。

蒜山IC辺りから、出口の溝口ICが近づくにつれ、大山がぽっかりと見えるようになる。
ICを降り、伯耆街道45号線から眺めた大山は頂にポッカリ雲を被っており、これはよく言うところの「笠雲」24時間以内にお天気が崩れる兆候、確率は季節によって異なるが70%(春・秋・冬)~75%(夏)。

笠雲にもいろいろあるようで、「れんず笠」だのやれ「ひさし笠」だの「みだれ笠」だのと結構日本人は細かすぎるくらいにうるさい。

因みにこの日のこの笠はなんでしょう?
「ひとつ笠」とでも言うんでしょうか。

さすがに妻の十八番「わたし、日頃の行いがいいから」とは言わなかったが、それでもこんなことを言った。
「この時間にこんないい景色が見られるのはやはり、わたしのお陰よ」
妻はどこまでもとことん前向きなプラス思考の持ち主だ。
わたしは反対に用心深くて、マイナス思考、この風景から、「あ~、崩れるぞ、雨が来る」と考えてしまう。

要するにプラスとマイナスがくっついているようなモンです。
世の中の夫婦はこんなもんですかね?
似たもの夫婦という言葉もあるにはあるのですが、夫婦ともに同じ考えでは一方に偏ってしまいそうな気がするのですが?
二人ともにプラス思考だと、イケイケドンドンで、これはこれでいいのかも、しかし、二人がマイナス思考だとなにごとにも用心深いことになりそう。
そうすると二人の間に産まれた子どもは?

考えると眠れません~。




大山環状道路をどんどん走って、大山夏道登山口に、時刻は7時半、駐車場はすでに満車状態。
先へと進もうとすると、なんと土砂崩れのため甲川方面は全面通行止め、仕方なく迂回。
158号線を一旦、下って、314号線から305号線をまた上る。
再び環状道路に合流し、グネグネ走って、大山町から琴浦町へ入ってすぐのところに船上山西坂登山口、一台の車が路肩に止まっていた。
通り過ぎて、しばらくのところで、目的の東坂登山口。

しかし、一旦、トイレ休憩のために「県立船上山少年自然の家」へ。
途中のダムのところで船上山全貌をパチリ。




ダムに映り込んだ逆さ船上山の断崖絶壁をパチリ。
う~ん、マンダム。(爽快、素晴らしいと言う意味、古い人間のみぞ知る言葉)




身を軽くして、再び東坂登山口へ。
駐車場にはすでに高知NOの車も含めて、8台ほど、準備をしていると、もう一台、倉敷からの方でした。
岡山NO車が多い。

登山口にある琴浦町教育委員会の立てた説明板には「後醍醐天皇が80日間、この船上山で行在された」と記しているが、これは別の資料によると鎌倉幕府滅亡へ向けての策略を練った場所と記述されている。
おおよそ678年前当時、このお山は、武装した集団や、衣冠・束帯・烏帽子の人たちで賑わっていたんでしょうね。

滑りやすい登山道を少し登ると、すぐに景色が開け、断崖が目に入る。
ロッククライマーや直接滝へ訪れる登山者たちが、崖へと上る正面登山道が、崖の方に伸びているのが見えます。





綺麗な赤松が登山道沿いばかりでなくあちこちに林立している。

1823年に建立された一丁地蔵さんが松の木にひっそりともたれかかっていた。
今日の無事安全を祈願して…。




赤松があって趣のある景色のところにやってきた。
ここが「籠立場」、後醍醐天皇が京都へ還る折に、ここで籠を立て休んだところ。

烏帽子の公家たちの面々の、出で立ち姿が頭を駆け巡る。
男たちばかりでなく、さぞ美しい女性たちもお供をしていたと思われる。

横道との分岐に差し掛かった。
ここから左へと入ると、崖の下を通り、雌滝、雄滝へ行き、そこから急峻な道を登ると、上の縦走路に出る。
妻は、帰りには、是非、滝を見に行きたいと言う。

う~ん、時間的にどうだろう、調べてないのでちょっと不案内。
適当な返事でやり過ごし、そのまま前進。




薄ヶ原に着く。
左手、小高いところに「船上山行宮之碑」。
三角点には寄らずに「千丈のぞき」へと降りていく。




うむむむ、マンダム。
これが、屏風岩の断崖。
しまつた、やはり紅葉の時期か。
素晴らしい。

遠くに滝が二本、白い糸を引いて断崖を流れ落ちるのが見えている。




断崖のヤマボウシの実が赤く熟れている。




やがて倉敷の方が追いついてきて、断崖の先っちょに立ったところを、すかさずパチリ。
ここから直接神社への道があるらしいが、わたしたちは船上山へ引き返し、そこから平坦な道を船上神社へと向かう。
神社階段の右手には西坂登山口からの登山道と合流していた。




神社の左手を回って、奥へ踏み込む。
最近に登山道の整備が行われたところなのか、刈られた笹の葉がまだ青く、登山道一面に敷かれたように広く整備されていた。

四等三角点 標高941m 点名 大流。
大流はどう読むんだろう?読み方によってはお相撲さん風になる。

倉敷の方としばらく話ながら登ってたが、妻が休みたいと言ってる間に、サッと登って行かれた。




三角点を過ぎて、勝田ヶ山への登りは、思ってたよりもえらい急登だ。
しんどい坂、こんな坂。

妻が歓声を上げた。
アケボノシュスラン。
林内の草むらの薄暗いところで、よくぞこんな小さな花が分かるものだ、感心を通り越して、驚嘆する。

11:40、標高1149.1m、勝田ヶ山に着いた。
展望の好いとこらしいのだが、辺りはすでにガスで景色はまったく見えない。
雨が心配になってきた。
ここに来るまでに、すでに何人かの方たちが下山しておられて、なかには雨が降る予測を立てて、勝田ヶ山でUターンしている方もおいでた。

妻も雨が降るとゴジラの岩は滑って危険なのでしきりに危ぶんでいる。




ゴジラの背はわずかに50m、そこから直ぐに甲ヶ山山頂だ。
雨が降り出してもそこから引き返せば大丈夫だろう。
前進あるのみ。

トチバニンジン。
ツルニンジン。
ニンジンが二つ並んだ。




うっひょ~、昨年に甲川から登ってきて目にしたポールのある分岐に着きました。
まだ、一年にもならないのに、なんだかすごく懐かしい。

イワカガミの葉が赤くなっていた。
秋がもうすぐそこだ。




一瞬ガスが退いて、目の前に甲ヶ山の尖った頂が見えた。
前方から女性たちの賑わしそうな声が耳元に届いてくる。
ゴジラの背を渡っているのかな?




大山はガスの中。




ゴゴーッ!
ゴジラの背が目に突き刺さる。




山が揺れ、哀れ妻は振り落とされる。
なんと危なっかしい歩き方よ。

コーリャー!
前のめりに渡るのではなく、後ろ向きに、足の踏み場をきっちり確保して、両手と指は岩をきっちり摑む。
手と指を使わずに岩の上を歩くんじゃない。
彼女だけに聞こえるように、檄を飛ばす。




渡り終えた瞬間「ホッ!」
どこかのお茶のコマーシャルだわい。

12:50、甲ヶ山山頂。
倉敷の方がニッコリ迎えてくれた。
12時に山頂に着いてたらしい、速い。




可憐なキュウシュウコゴメグサ。
やがて、甲川から登ってこられたグループの方たちが到着し、休む間もなくそのまま矢筈ヶ山へ行かれた。
大休峠を経て、甲川へと周回するとのこと。

倉敷の方もすぐに下山し、山頂はわたしたちだけに。
ガスが退かないかとしばらく眺めたり、コゴメグサをあちこち探し出したりして、時を楽しむ。




展望は諦めて、甲ヶ山を振り返りつつ、再びゴジラへ。




一ヶ所だけ要注意の岩場を乗り越えて、慣れたのか立ち姿でスイスーイと渡る。
要注意の岩場は昨年にはなかったロープが張られ、ハーケンが打ち込まれていた。




復路は慎重に下る。

アキノキリンソウ。




遠目で少し分かりにくかったが、多分、実が赤くなったナナカマド。
再び、甲川分岐のポール。

ここにも昨年にはなかった赤テープが近くの木の幹に二段巻きに施されていた。




東側斜面を振り返る。
こころなしか秋が忍び寄っているような風情を感じた。




蒜山方向。
再度、勝田ヶ山。




勝田ヶ山三角点は山頂標識のあるところから北寄りに下ったところにある。
この三角点の標高が1149.1m、実際の勝田ヶ山はおおよそ1200mの標高のようだ。
ガスが濃くなり、小雨がぱらつきだした。

妻がヤマボウシの赤い実を一つ手に取り、口に入れた。
この実は食べられるのですが、ほんの少し甘みがあっても、あまり美味しくはない。

妙ちくりんな顔をしている妻に味はどうだったと尋ねたところ、「かすかすのリンゴを食べたような…、美味しくない」
「ペッペッ」。
吐き出すほどではないのですが、まあ、そんな感じのもの。




ブナ、ミズナラ、リョウブ、コナラ、トチなどの繁る自然豊かな山。
キツツキがドラミングをし、クロツグミが張りのある声を森に響かせる。




威厳のある船上神社。
現在の社は1934年に再建されたものだそうです。

ミミイカのよな形をしたヤマジノホトトギス?
見てるとそのまま醤油につけて食ってみたくなる、口の中いっぱいに涎が出てきた。




薄ヶ原。
このガス、朝にはあれほど張り切って見に行くといってた滝、もう見に行く元気はない。
横道の分岐に来ても、黙ってやり過ごす。




ツリフネソウ。

16:32、やっとこさ登山口に降り立つ。
11~2台は駐車できそうな広い駐車場には、わたしたちの車だけがポツンと取り残されていた。

もう一度秋には滝のある横道から登ってみたいと思ったが、来られるかどうか、車のエンジンを掛けてアクセルをふかしたときに、ちょいと後ろ髪を引かれた。

西坂登山口ではまだ車が止まっていた。
周回してる方のようだ。




東坂登山口8:37-船上山9:10-9:14千丈のぞき9:20-船上神社9:42-11:40勝田ヶ山12:05-12:50甲ヶ山13:36-勝田ヶ山14:29-15:53船上神社16:03-16:32東坂登山口


※地図上左クリック→グーグルマップへ移動(お詫び グーグルマップでは登山口などのマーカーを入れたのですが、表示出来ていません。原因が分からないため、しばらくこのままで様子見ですが、因みに登山口はルート線の上部端で、大山環状線上になります。また少年自然の家はそこより東下の環状線より内に入った道路突き当たりにあります。また西坂登山口は東坂登山口より環状線に沿って大山方向に走ると、大山町と琴浦町の町境付近に登山口の標識があります。)
コメント (33)