紫苑の部屋      

観劇・絵画と音楽・源氏物語      
について語ります        

石山寺と紫式部展

2007-01-07 23:23:17 | 展覧会&音楽会
いちばん古い紫式部の肖像画は、室町期だそうで、
なんだか鼻がね、やたら目立って、もしかしたら末摘花に似ていたのでは、なんて思っちゃいました。
石山寺ですので「紫式部石山寺観月図」が数多く揃っていて、
絵師によっていろいろにえがかれて、とても面白かった。
土佐光起のが、いちばんよかったかな。
唐絵(水墨)の岩壁に、遠景のやわらかい山々や、寺の一室で構想を練る式部の極彩色の大和絵、
湖水に満月がうつって、美しい一幅の絵です。
石山寺に伝わる、この情景に「源氏物語」の構想を得たというのもうなずけるような、題材です。
わかっているのは、式部が石山寺に参詣、あるいは何日か籠った、ということだけ。
それでも、源氏物語のなかでの、式部の月への想いはまた格別、
月をみて思いにしずむ源氏の、須磨での情景を思い浮かべます。

源氏物語かるたや、源氏物語図屏風も楽しい。
1帖1場面を、というと、そこをとるでしょうね、と思いながら見ていくと、時間を忘れます。
絵師はちがっても、とる場面は一致する、ということは、
式部は巻名となる和歌とともに、1帖に必ず絵になる情景をえがいている、そうことなんですね。
色彩感覚といい、薫りの嗅覚といい、想像力の豊かさといい、
とにかく完璧なのです。

石山寺の伝承は、一条帝から彰子への贈り物として執筆を依頼された式部が、
源氏の着想を得て、急ぎ手元にあった写経の裏に書き留めたという、
(須磨の巻が最初に出来たということになっている)
その式部の姿に観音さまをかさね、観音信仰も生まれた、そうなので、
物語を生む創造力に、人間を越えた神のような存在を見たのだろうと思います。
ただ、源氏物語の成立時期は、事実はだいぶ違うようです。
パネルの解説はわかっていることと、推定とをきちんと書かれていて、
宣孝と死別して失意にくれたあと、2,3年執筆にとりかかっており、
道長邸に出仕したころにはすでに知られていて、女房兼家庭教師としてつかえた
彰子の手元にすでにその写しがあった(これは日記に記されている)。
宮中に仕えているあいだに源氏を完成させた、これがもっとも納得できる、時期でしょうね。
なぜなら、
正編を終えてからの物語は、明らかに、女房たちを主な読者として意識している、
と思わせるところが多々あります。
そして、書きながら作者自身の大きな成長(などと私ごときが口はばったいですが)
を感じさせ、またテーマの重さが増していく、時代を超え、人間本質に迫る永遠のテーマ、
そういうものに到達していくように思います。

2007/1/4,7

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2 コメント

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Unknown (雪虫の伝説)
2007-01-15 22:41:24
絵画をなりわいとする人々にとって源氏物語はきっととんでもなく魅力的なものだったのでしょうね。

私は暮れの歌舞伎観劇のとき
配置の美しさにみとれていました。
どの一部を切り取っても絵になるように
研究しつくされた計算された美・・・とでも言ったらいいでしょうか。

源氏物語の絵巻をじっくり見てみたいです。
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お久しぶりです (sion)
2007-01-16 21:12:17
近世のものはきれいに残っていているのだけれど、
どんなに色あせていても、最古の源氏絵巻がいいですよね。
何年かに1度、五島と徳川美術館のを一同に介して見せてくれるのですが、通常はレプリカしか見せないんですよね。
お姫様たちが手に取ってながめたのでしょう、そのくらいの小さな絵巻でね、といっても、切り離してしまってありますが、
よくぞ残ってくれたと思いますよね。
源氏のこと、ぼちぼち書きながら、貴女とお話、楽しみにしてます。
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