紫苑の部屋      

観劇・絵画と音楽・源氏物語      
について語ります        

絵合せという宮中行事―源氏物語第17帖

2013-05-23 21:29:14 | 源氏物語
↑村上帝の御前で催された歌合―源氏物語の絵合の巻はこれに準拠しているといわれる             

冷泉帝後宮での華やかではあるが、熾烈な女の闘い、
という印象だけの、絵合の巻、

紫式部という作家は、どの巻も少しも手を抜く、ということがないのですね、
この巻も源氏の物語としてのペーソスを内包する、大事な位置づけを与えている巻、
なのです。

この巻の構成は
1 前斎宮の入内から始められる
2 宮中の絵合―皇太后の地位にある藤壺中宮の御前での絵合せ
3 冷泉帝御前での絵合せ
4 絵合の後宴での源氏の述懐
となっています。

1 前斎宮の入内
はじめは源氏がいい出した事でした。
入内の打診を受けた藤壺は、これを好機と捉えて積極的に行動を起こしていきます。
これまでの藤壺のイメージをいっぺんさせる、極めて政治的に動く姿に我々は驚かされます。

藤壺は、東宮の行く末だけを考えてきました。出家もそのためのものでした。
須磨に退去した源氏もまた、東宮に類を及ぼすことを最も恐れたためでした。

帰還してからの目覚しい栄達をつき進む源氏を最強の頼みとし、、
即位した冷泉帝の後見として揺るぎないものにする、またとない好機と
藤壺は捉えたのでした。
権中納言、かつての頭中将はかつての弘徽殿の系統を継ぐ家系、
弘徽殿はこのとき皇太后を引退してはいるが、にがにがしい思いで成り行きをみているにちがいなく、まだまだ油断は禁物、
六条御息所の忘れ形見の前斎宮を、源氏の養女とし、後宮に迎え入れたのでした。

2 藤壺御前での絵合試合
←右に藤壺 左判者帥の宮と源氏
既に入内していた弘徽殿女御との物語絵を争います。源氏方はいにしえの、権中納言方は当世の絵師と書家で対抗。
源氏は劣勢、すると、藤壺は絵より物語の芸術性にふれて源氏に軍配をあげ、辛うじて引きわけ。

3 帝御前での絵合

↑右列源氏 左権中納言 正面帝と藤壺


どんな物語絵で争ったのかはかかれていません。その誂え、調度品がいかに贅を凝らしたものであったかが語られます。文化の高さそれ自身を強調する形になるわけです。
それはまた史実に準拠していることを読む人に推定させてもいます。
村上帝の御代の天徳4年の歌合せがそれです。
また面白いことに、源氏のこの絵合せは後の世の宮中の行事として史実になっていったという、
逆転現象も起こっています。

4 後宴
須磨の源氏の絵で勝利した後の宴は、勝利に沸く源氏方の宴、と思いきや、
そうではないところが、紫式部の物語なのですね。
物語でいったいなにを語ろうとしているのか、物語の主人公になにを託そうとしているのか、
そうしたことを常に考え抜いて、物語を構想しているのですね。
ここでは厭世的になる源氏の思想が語られます。
頂点を極める直前の源氏は、出家を願望し、御堂を建立、
月満ち足りた後は衰退しかない、といった思想でしょうか、
それは、今の世になぜか見直されている、老子の思想のようです。

さて、最初に戻りましょう、藤壺の果たした功績です。
勝利をもたらした須磨の源氏の絵は、藤壺の手に渡されます。
須磨で明石で絵に託した源氏の真実の思いを共有できる、唯一の人だからです。
そして、藤壺中宮は絵合せ参加者全員に帝に代わり、御衣(おんぞ)を賜ります。
こうした重要な役割を果たす藤壺は、出家しているにもかかわらず
終始「中宮」という呼称で語られていたのでした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿